諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

神道と相撲道。或いは負けた力士こそが瀬織津姫だ!? その4

2018年01月08日 16時30分08秒 | 瀬織津姫
そろそろ終わりたいのですが、未だにお題との核心に触れていません。困っちゃいました。失敗したと思いながら続きます。

伊勢には伊勢津彦命の親がいた筈。それは誰なのか。

伊勢にはこんな囃子言葉??が有ります。「♪お伊勢参れば朝熊(アサマ)をかけよ。朝熊かけねば方参り??」だったと思います。

簡単に略すと「伊勢神宮に参拝するなら朝熊にも行かないと駄目だよ。伊勢神宮の半分は朝熊なんだよ」と言う事なのでしょう。

「朝熊」と言うのは「朝熊山」。そしてその頂上には朝熊神社が鎮座していたが、明治時代に焼失。現在はインドのキングコブラ??を祀る八大龍王社が鎮座しているそうです。

現在の朝熊神社は伊勢神宮の摂社として朝熊町に鎮座しているのですが、その祭神は「大歳神、苔虫神、朝熊水神」の三神。

ここで分からないのか「苔虫神」ですね。東北では聞かない神名です。ネットで調べたら「山神・岩長姫」と同神だそうです。

何故、苔虫神なのか理由は分かりませんか、岩長姫は妹の木花咲耶姫と共にニニギ命に嫁ぎ醜いからと返されたから。コケにされたから苔虫神なのか。まっ、馬鹿にしている神名なのは間違いないでしょう。

考えてみたらニニギ命が岩長姫を実家の大山祇神に返した為に天皇家は短命となった。メンツを潰された大山祇神と、恥じて自害した岩長姫の呪いが天皇家を苔の様に蝕んでいる。だから苔虫神なのかも。否、苔は岩に生す物だから苔虫なのか。うーん、そっちかな。

朝熊を何故かアサマと呼ぶ。そして木花咲耶姫を祀る浅間神社もアサマと読める。岩長姫と木花咲耶姫は姉妹。親は大山祇神なので同じ一族。多分、アタ族。

そして「朝熊水神」。「大歳神」が祀られているのだから、「朝熊水神」は大歳神と同神であり夫婦でもある「天知迦流美豆姫」となるでしょう。「天知迦流美豆姫」もその名から水神と言っている様なものですけど。

大歳神、苔虫神、そして天知迦流美豆姫。この三神が伊勢の地主神であると考えられる。この中で苔虫神である岩長姫は天皇家の寿命を縮める神。天皇家を呪う死神。流石に天皇様も近づかないでしょうね。

そして大歳神と天知迦流美豆姫。このニ神は本来の天照大神。男の天照大神が大歳神。女の天照大神が天知迦流美豆姫。ニ神そろって大歳神。それを天の岩戸に隠し、天津神・天照大神として登場させた。だからこそ大歳神の祟りを恐れ伊勢神宮に歴代の天皇は近づかなかった。そんなところではないでしょうか。

そうなると伊勢津彦命は誰なのか。その正体は大歳神そのものとも考えられますが、私はやっぱり子だと思います。そうなると伊勢津彦命の正体はやはり・・・・・・。


続く。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神道と相撲道。或いは負けた力士こそが瀬織津姫だ!? その3

2018年01月07日 11時07分22秒 | 瀬織津姫
続きますけど、今までの私の話、お分かりになられてますでしょうか。私も書いていて何が何だか分からなくなってきてますけど、正月なんでしょうがないですね、これ。

さて大歳神なのですが、世間的には大国主の幼名とか、ニギハヤヒ命の別名とか言われてますね。

申し訳ないですけど、私は違うと思います。ずっとずっと前の神様が大歳神。否、大歳神が国津神・天照大神なら、日本の最初の神の様にも思えます。

だったら天照大神の親のイザナギ命・イザナミ命はどうなんだとなります。大変恐れ多いのですが、天照大神に親が必要だったから創られたのではとも考えてしまいます。私が記紀の編集者でもそうします。神がどのように誕生したのかを書いた方がわかりやすいので。

さて、チョット話を天皇に戻します。

天皇家の祖神は天照大神。そして天照大神を祀る神社と言えば伊勢神宮。それなのに持統天皇から明治天皇の間の約1000年間、歴代の天皇は伊勢神宮に参拝して来なかった。これって不思議です。

持統天皇の時代、天変地異が連続して発生。側近が大反対するのを聞かずに持統天皇は天変地異を鎮める為に伊勢神宮に参拝した(持統天皇が伊勢神宮を建立したらしいけど)。

そして時代は過ぎ明治時代に明治政府は神仏分離を決行。天照大神を日本の最高神と定めた。その報告の為に明治天皇は伊勢神宮に参拝したのか。

色々考えられますけど1000年もの間、天皇家は祖神を祀る伊勢神宮へ足を運ばなかった。それは伊勢神宮を恐れていたから。持統天皇の側近が伊勢神宮への参拝を止めたのは祟りを恐れたから。

それはやはり本来の天照大神を消し去って天の岩戸へ隠して隠蔽し、、天の岩戸から出した新しい性質の天照大神を、自分たちの祖神として迎えた事に後ろめたさを持っていたからだと思います。

天皇家は祟りや呪いに敏感です。明治天皇の玄孫の竹田恒泰なんかは自分の誕生日を非公開にしていますが、それも呪いをかけられるのを恐れての事らしいです。それほど天皇家は慎重に生き延びてきた。こんなに続いている王家??は世界広しと言えども天皇家だけです。神経質な程に天皇家は祟りを恐れた。だから伊勢神宮には詣でなかった。

その理由は伊勢神宮の地主神、天の岩戸に隠した本来の国津神である天照大神を恐れていたのではないた。本当の天照大神は天皇家にとって敵だった。出雲に続いて伊勢も国譲りを行った。敵の神を自分たちの祖神として日本を統治した。その後ろめたさがある。天変地異はそれを怒った地主神・天照大神が起こしたと考えた。だから恐れて伊勢神宮には近づかなかったのではないか。

そして本来の天照大神とは誰なのか。

伊勢の地主神と言えば風神・伊勢津彦命。阿部志彦神に伊勢の国譲りを迫られ、神風と共に諏訪に移ったと言われています。

この伊勢津彦命の別名は出雲建子命。この名から出雲系の神である事は間違いないと思う。そして「子」が付く。っと言う事は親の神の方が知名度があるのではないか。

出雲建子命と似ている出雲系の神は建御名方命。建御名富方命とも表記されているので富氏系の神。だとすると登美長脛彦と同神。又は同じ系列と考えられる。父親は大国主なのか。

大国主命は役職名。そして伊勢津彦命も役職名と思えるが、伊勢の地名は伊勢津彦命から来ていると考えられる。

出雲と伊勢の違いがある。時代に差が感じられる。大国主は伊勢にはいなかった筈だ。だとしたら誰が伊勢津彦命の親なのか。


続く。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神道と相撲道。或いは負けた力士こそが瀬織津姫だ!? その2

2018年01月06日 11時55分14秒 | 瀬織津姫
うーん、困った。話の内容とお題が違う。どうしよう。無かった事にしようか。

うーん、やっぱりちゃんと考えを練らずに書くと、後々後悔してしまいます。

気付いていないと思いますが、私、結構後からお題や文章を手直ししてます。後から読んでみると間違っている事もあるので。でも今回は手直しでは済まないかも。

大体、この記事を書けば桜の神紋の神社に迷惑が掛かるかも知れない。それに袖見出しは「負けた力士こそが瀬織津姫だ!?」です。どうやってそこまで関連付けて書こうか。

もう、無かった事にしてお終いにしちゃおうか。うーん、困った。

まっ、いいや。このタイトルだと検索しにくいだろうから返って好都合かも。しらばっくれていれば分からない筈。それを願って続けます。

さて、木花咲耶姫とは別に桜の花弁と関連する神は誰か。

その神の名は前にも書きましたが鬼渡神の親である大歳神です。

そう言ったら「男神じゃん。何で瀬織津神が男なのよ」とお思いになるが大勢いらっしゃると思いますが、何度も言います。神様は男女の区別をしたら駄目です。

その理由は別の機会にもう一人の天照大神のモデルで説明したいと思いますが、大歳神は男女二神で大歳神と考えてください。

理由としてはこれも前にも書きましたが、大歳神を祀る神社に小さな同じ向きの草鞋を二つ奉納する儀式がある。つまり大歳神は二匹の蛇と考えられる。小さな同じ向きの草鞋は二匹の夫婦の蛇が尻尾で履くからです。

瀬織津姫(ショウリツヒメ)を祀る九州の速川神社では二つの卵を奉納する。これも瀬織津姫は男女の蛇神の可能性を示していると考えられます。

「瀬織津姫=大歳神」として考えれば答えが出ます。そして多くの神々が男女で一つの神でもある。その点が重要です。

変な言い方ですが女性である大歳神は天知迦流美豆姫と言います。キーポイントは「流」と「美豆」。

「流」の字があるのですから、「美豆」は「水」と考えて良いと思います。

日本には元々文字は無かったので本来の意味は違うかも知れませんが、そのまま「天知迦流美豆姫」を直訳すれば、「天の知が加わる川の姫」、「天から流れる水の女神」、もっと簡単に略すと「天の川の姫」。

天の川と言いますと織姫と彦星。天知迦流美豆姫は天の川の織姫を意味する名前でもある。

川には瀧が付き物。小さな滝は水が織り込まれる様に流れる。天を流れる天の川は瀧の流れと考えてもおかしくはない。

水の流れが織り込まれていく。それは「瀬」でもある。「織」と「瀬」。つまり「瀬織津姫」は「天知迦流美豆姫」であると私は考えます。少々乱暴な仮説かも知れませんけど。

瀬織津姫は天照大神荒魂とされていますが、「天照大神荒魂」は一霊四魂ので「荒々しく荒ぶっている、怒っている天照大神の姿」と考えられます。

何故、天照大神は怒っているのか。それは本来の姿を変えられたからだと思います。「私は朝鮮から渡って来た天津神ではない。自分達の統治のために私を利用するんじやねぇー」と。

つまり瀬織津姫である天知迦流美豆姫は本来の女性の天照大神。国津神である本当の女性の天照大神。そして男性の天照大神は大歳神となる。


続く。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神道と相撲道。或いは負けた力士こそが瀬織津姫だ!? その1

2018年01月05日 00時35分57秒 | 瀬織津姫
どうです、今回はお題は。正直、なんのこっちゃとお思いでしょ。

そりゃそうですよ、私だって何を書いたらいいのか今の時点で分かっていないのですから。まだ落としどころを考えていないのですから。

正月早々、行き当たりばったりでブログを書いています。書きながら考えるのがチャランポランな私のやり方。今年はチョット直さなければなりませんね。

さて、本日の貴乃花の理事解任会見で池坊保子大先生が相撲協会の矛盾を棚に上げて、偉そうに解任理由を申し述べていました。

その場面でアレッと思ったのです。日本相撲協会のロゴマーク??って「土俵を表した様な二重の丸??に桜の花」だったのかと。

何で相撲協会が桜の花弁をシンボルマークにしているのだろう。

以前、「瀬織津姫は相撲の神様??」と題して書きましたが、桜の花弁のマークはその一つの証明になるのではないかと思いました。何となくですが。

詳しくは「瀬織津姫は相撲の神様??」を読んで頂きたいのですが、武道館の土俵の上に吊り下げられている屋根??に瀬織津姫とされている禍津日神と直日神が並んで祀られている。だから瀬織津姫は相撲の神様なのではと考えられる。

そして相撲協会のシンボルマークが桜紋??だった。これはピンと来た人がいると思います。瀬織津姫は桜の花と関連付けられていますので。

理由としては瀬織津姫はコノハナサヤ姫とされているからでしょう。

漢字で書くと木花咲耶姫命。木に咲く花と言えば日本人だったら桜です。そして「耶」の字。「やましい」とか「悪しき」と言う意味です。コノハナサヤ姫は国津神と不倫した可能性がある。夫となるニニギノ尊に疑いがかけられた。だから「耶」の字が付く。

そして禍津日神も禍々しい悪神。「耶」と「禍」は同様の意味。そうなると「禍津日神=木花咲耶姫=瀬織津姫」が成り立つ。まっ、一般的??にはそう考えると思います。

しかし私は「瀬織津姫カムフラージュ説」を採っています。以前にも書きましたが、神道の秘密を瀬織津姫で誤魔化していると考えています。

私、神は元々男女の区別は無かったと考えます。そして瀬織津姫には多くのモデルが存在する。否、そのモデルも多くの神名でカムフラージュしている。理由は何か。

極論、天照大神は天皇家の祖神ではない。元々は国津神。国津神・天照大神を天の岩戸に隠して、また出して天津神・天照大神を誕生させた。

それで国津神・天照大神の正体を隠したい。故に中臣氏が大祓祝詞で古事記や日本書紀には載っていない瀬織津姫を登場させた。そう考えています。

瀬織津姫のモデルは大勢います。これは多分、古事記や日本書紀の編集者は何名もいた。同じ神をモデルとした多くの伝承が存在した。それを別のストーリーとして記紀に載せた。だから瀬織津姫には多くの同神とされる神が存在する。

それらの神々に付いては考えが練りあがったら小出しに書いて行く予定ですが、今回は桜の花弁をから木花咲耶姫とは別の神を瀬織津姫のモデルとして関連付けたいと思います。

その瀬織津姫のモデルとは・・・・・・・・・、


続く。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする