諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瀬織津姫は水神であり、疱瘡神であると思う。その7

2019年06月23日 10時53分11秒 | 瀬織津姫
続きます。

行ったり来たりし、酔っ払い運転状態で書いてまいりました。一体何が言いたいのか。

スピリチュアルな方たちは瀬織津姫のイメージカラーを水色とピンクにしている。それらはどちらも死を示していると言いたいのです。

水色は水の色ですが、塩竃・松島で水色は津波の色。それがピンクにも見えた。だからピンクも大勢の人の命を奪った津波の色。

そしてピンク色は桜の色でもある。元・塩竃神社である鼻節神社では木花開耶姫を祀っていた時代があった。猿田彦尊の鼻と木花開耶姫の花。その花は桜。だから塩竃神社の神紋は「塩竃桜」と呼ばれる桜紋。

駄洒落みたいだが、その駄洒落が神道では重要。朝廷には分からないように駄洒落で真実を伝えている部分が多くの神社に見受けられる。笑い話ではない。見過ごせない。

今回、あえて木花開耶姫と表記したが、「耶」の字が付いている木花開耶姫は朝廷にとって禍の神でもあります。天皇家の祖神を産んでいるが、その子は不倫で産んだ国津神の子。不倫は国津罪。木花開耶姫は天皇家を騙した神としても考えられる。

神道の神は受代苦。人に代わって罪を犯す存在。不倫を疑われた時点で不倫を犯したと私は考えます。

木花開耶姫には姉がいた。磐長姫。一緒に瓊瓊杵尊の元に嫁入したが、醜い事を理由に磐長姫だけ返された。それを恥じて磐長姫は自害した。

父親の大山祇神は嘆き悲しみ、天皇家の血筋は短命になると予言した。

大山祇神が大山罪神を表記されるのも天皇家に害をなす神だから。大山祇神は天皇家を祟っているとも言える。

そして大山祇神の娘には、木花開耶姫と表裏一体の女神がいる。それは木花知流姫。

木花知流姫も桜の女神。木花開耶姫が桜の生なら、木花知流姫は桜の死。素戔嗚尊の子である八島士奴美神の妻神となった。

この八島士奴美神の名は「多くの島々を所有する」との意味合いがある。古事記では大国主の祖神。先代旧事本紀では大国主とされている。

仮に大国主であるとする。木花開耶姫と木花知流姫が同神であるなら、天皇家の血筋は大国主とも考えられる。多分、もしもの時にそう言い逃れしたい為に朝廷が創作したと考えられる。

大国主の幼名は大歳神。大歳神の妻神は天知迦流美豆姫。つまり木花知流姫は天知迦流美豆姫と考えられる。木花開耶姫と同神である可能性もある。「開(咲く)と知流(散る)」は表裏一体だから。

本来、桜は禍の花です。直ぐに散ってしまう死の意味合いがある花です。

桜の木の下には死体が埋まっている。桜の花びらは血の色とした小説がありましたが、桜の花は疱瘡神を示してもいます。

「疱瘡は桜の花が咲く様に発生し、桜の花が散るように蔓延する」と形容されます。

桜の花が咲く如く人々は疱瘡となり、桜が散る如く死んで行く。つまり疱瘡神を象徴する花。生と死の境界線の花が桜なのです。

天照大神の天孫降臨の時、行く手に猿田彦尊が現れる。天鈿女命と対峙する。

天鈿女命は道案内をすると言う猿田彦尊に対し、「世にも恐ろしい顔立ちの人、この世界の人の姿ではない、東国の人の顔色は青、南国人は赤、西国人は白、北国人は黒、東洋人は黄色。そなたはその五色人ではない」と語っています。

猿田彦尊は鼻が長いのですが、天鈿女命は猿田彦尊の鼻ではなく顔色に付いて問うています。これはどう言う意味なのか。

私は猿田彦尊の顔が斑模様だった。それは高天原の斑馬を示しているとも考えられる。

疱瘡で爛れていたとも考えられます。大変失礼な話ですが、疱瘡に掛かると顔が醜くなる。伊達政宗などは片目が飛び出ていましたから。

「この世界の人の姿ではない」のであれば、死の国の住人を示すとも考えられます。疱瘡は死の病です。つまり猿田彦尊も疱瘡神だと私は考えます。

大歳神と天知迦流美豆姫も疱瘡神。その子の阿須波神が志波彦神だとしたら、志波彦神も疱瘡神。

その妻神と考えられる志波姫神が阿須波神と対で祀られる波比岐神(アラハバキ神)であるなら、志波姫神も疱瘡神です。

勿論、桜の花を象徴とする木花開耶姫と木花知流姫もまた疱瘡神と言えます。全て同神。賽の神であるなら男女一体の神。性別関係無しで全てが疱瘡神であり、同神であると私は考えます。

疱瘡神は国津神です。日本の地主神です。そして天孫族、天皇家、朝廷にとっては滅ぼした神。つまり悪神となります。

悪神だから恐れる。後ろめたいから畏怖する。多くの人の命を短時間で奪う疱瘡は最凶の祟り。一番恐れる神。

疱瘡は風が運んで来る。疱瘡神は風神。つまり国津神の太陽神。太陽神は雨も司る。水神でもある。男女で形容すれば風神が男神で、水神が女神。男女一体で太陽神となる。

素戔嗚尊が殺した高天原の馬は斑模様だった。私が思うに白と黒の斑模様だったと考えます。黒は雨を、白は晴れを示すので。

そして斑馬は国津神の太陽神であり疱瘡神。

素戔嗚尊は高天原の斑馬を殺した。だから天照大神は斑馬に乗って天空に昇れなくなり、世の中は暗闇の世界になった。

スサノオ尊も疱瘡神とされますが、私的には疱瘡神である斑馬を殺したから疱瘡を調伏する神。そこから疱瘡を操る神へと誤解、或いは進化したのだと考えます。

だったら何故、大歳神は素戔嗚尊の子なのか。

それは大歳神よりも上位である事を示したと考えます。敵対した相手を破り臣下とする。親子の関係にする。その方が安定的に統治出来ますし。

以上、長々と書いて参りました。私が言わんとした事がお分かりになったでしょうか。

分からないでしょうねぇー。第一、タイトルの瀬織津姫に付いて語られていないし。

実は語っております。これまで出て来た神の全てが瀬織津姫です。

瀬織津姫は隠された神ではありません。瀬織津姫の名でこれらの神々の名を隠したのです。人々に国津神への信仰が高まっては困る。自分たちが侵略者であることがばれてしまう。

しかし、祟りが恐ろしい。特に風神(疱瘡神)であり、水神(津波の神)であり、本来の地主神である太陽神が恐ろしい。だから祀らなければならない。祟りを収めて貰いたい。

だから瀬織津姫を登場させた。瀬織津姫の名で本来の太陽神を隠した。瀬織津姫の名で受代苦をさせた。つまり瀬織津姫に罪を背負わせた。

天照大神は本来の太陽神を天皇家の祖紳として生まれ変わらせた姿。瀬織津姫が天照大神荒魂、禍津日神とされるのもその為だと思います。

まっ、そう言う事で「私は瀬織津姫。貴女の恋愛を占いますとすか、遠距離リーディングで瀬織津姫が貴女の人生を占います、私が瀬織津姫です。敬いなさい・・・」とか言っているヒーラーさんは、全員紛い物だと私は断言します。

瀬織津姫の名は隠された国津神の太陽神を暈し、象徴とした神考えますので・・・・。


あっーあ、こんな事を書いちゃって大丈夫かな私。

でも神の名を語り人を惑わせ商売をしている人よりはマシか。あんまり神の名をペラペラ語るのは良くないだろうけど。

でも若い頃の私のようにヒーラーや教祖に騙されて欲しくない。その一念で今回の記事を書きました。

ご登場させてしまいました神々には許して貰いたいです。私も罰当たりな事をしたのかと畏怖しております。


ではでは。





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瀬織津姫は水神であり、疱瘡神であると思う。その6

2019年06月22日 07時03分46秒 | 瀬織津姫
文章を最初から読み直したのですが、文脈が行ったり来たりでバラバラ状態。

この話はまだ早かったかなぁー。祟りが恐ろしい鼻節神社の事も書いているし、私の精神状態も何時もよりおかしい。罪悪感も感じる。困ったなぁー。そろそろ終わらせなければ。


それでは続きます。

かつて塩竃神社の真ん前は入り江でした。そして対岸には祓川が流れ、人々は参拝前に祓川で祓い清めをしていた。今、その場には祓戸社の石碑がある。祓戸社ですから祓戸四神が祀られている。瀬織津姫が祀られている。

瀬織津姫は木花開耶姫と同神との説がある。そして元塩竃神社である鼻節神社には木花開耶姫が祀られていた時代があった。

実は鼻節神社が祀られている花淵崎には「垂水」の地名が残っています。「垂水=水が垂れる」。「瀧」の表記が現れる前は、「垂水」が「瀧」の事であった。

更に塩竃神社から利府・松島方面に行くと、染殿神社が鎮座しています。

染殿神社に付いては何れまた書くつもりですが、多くの伝承でガッチリとガードしていますが、この社には「垂水姫」が祀られている。瀬織津姫と思われる。

塩竃、そして松島には瀬織津姫の影が見える。何故、この地に瀬織津姫なのか。

色々考えて来たのですが、塩竃・松島は日本の賽の地である事。それが関係しているかは不明ですが、古代から地震による地盤沈下や津波に悩まされていた。その2点がキーワードのように思えます。

そうなるとやはり志波彦神が重要視される。神名に「波」の字が付いている。更に鬼渡神・阿須波神が志波彦神であるならば、塩竃神社に鹿島神・香取神らの武神が祀られているのにも納得がいく。

鹿島神宮・香取神宮には、それぞれ要石が存在する。地震を抑える為。そして鹿島神宮の地主神は阿須波神であるとされる。つまり阿須波神は地震の神でもある。或る意味、津波と地震はイコールだから、それは納得できると思う。

塩竃・松島も地震・津波に古来から悩まされていた。だから阿須波神である志波彦神が一森山に蝦夷によって祀られていた。

更に志波彦神を調伏する為に、鹿島神・香取神も祀られた。地震や津波を起こして貰いたくない為。だから日本最高額の1万束の祭祀料も奉納されていた。

塩竃・松島は日本の賽の地と申し上げましたが、阿須波神の親は大歳神と天知迦流美豆姫です。賽の神の神道での神名です。そして夫婦とも疱瘡神である。

古来、人が一番恐れたのは疱瘡です。意味が分からず人々の身体が爛れて死ぬ。日本人の半分が疱瘡により亡くなった時代もあった。原因不明。神の怒りとしか考えられない。これ以上の恐怖は無い。特に麻疹は子供の命を簡単に奪う。これ以上の悲劇は無い。

二柱神社が仁和多利大権現とされ、子供の守り神と呼ばれた由縁も仁和多利大権現が疱瘡神だったからでしょう。仁和多利大権現に疱瘡を撒き散らして貰いたくない。子供の命を奪わないで欲しい。その思いが子供の守り神として反転したのだと思えます。

現在、二柱神社にはイザナギ命・イザナミ命が祀られています。これは牡鹿半島の2社の二渡神社で説明が付きます。

2社ともイザナギ命・イザナミ命を祀りますが、それは蝦夷討伐は第2の国産みの儀式と朝廷は捉えた。だから蝦夷達が建立した神社に国産みの神・イザナギ命・イザナミ命を祀った。

蝦夷の神が信仰を集められては困る。だから蝦夷の神である鬼渡神を消したのだと思います。


続く。

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瀬織津姫は水神であり、疱瘡神であると思う。その5

2019年06月20日 20時58分11秒 | 瀬織津姫
とんだ脱線をしてしまいました。

私のブログは計画性も無く考えながら、行き当たりばったりで書いていますので、毎回、こんな感じになります。すまんです。それではヘロヘロながら続きます。

浪分神社の白馬に乗った海神に戻ります。

白馬に乗った海神。海神かどうかは分かりませんが、塩竃に白馬に乗った神がいました。志波彦神です。

志波彦神は白馬に跨り川を渡った。白馬は川の石に滑り転倒。志波彦神はその拍子に頭に被っていた冠を川に流してしまった。それにより、その川は「冠川」と呼ばれるようになった。それが現在の七北田川でです。

七北田川は不思議なくらい川石が少ない。伝承では志波彦神が川石に躓いて冠を流したことに怒り、部下の神々に川石を川から退けさせた。だから川石が無くなったとされます。

事実、仙台地下鉄・八乙女駅から橋を渡った七北田川の対岸に、部下の神々が川から上げた石を置いたとされる場所があります。その場所には現在、武烈天皇を祀る石留神社が鎮座しています。これは何を意味しているのか。

大和朝廷と蝦夷との戦いで、大和朝廷側は自分達の戦死した兵士を冠川(七北田川)に流したとの伝承があります。

もしかしたら、川石に引っかかって流れなかったのでは。それで蝦夷兵が川石を川から上げたのでは。その事実を隠す様に志波彦神が川を白馬で渡って転んだ話に変えたのではないか。

でも分からないのは石留神社に武烈天皇が祀られている事。

武烈天皇が即位したのは確か10歳。そして17歳前後で無くなった。後継者を残していなかったので、次の天皇には出雲の流れにある継体天皇が就いた。

武烈天皇は記紀において名君である話と、カリギュラ皇帝のような変態じみた性格だったとの話が伝わっている。その点をどう考えるか。

一つの解答として石留神社は二柱神社の境内外の末社である事を考えなければなりません。

石留神社の近くには同じ二柱神社の境内外社の高玉明神が祀られている社がある。宇迦魂神、つまりお稲荷様が祀られているが、高玉とは番町皿屋敷のお菊さんと全く同じ殺され方をした少女の事。

私は以前、この高玉明神の伝説だけでなく、番町皿屋敷のお菊さんも瀬織津姫がモデルであるとしてブログに書きましたが、それは今も間違いではないと思っています。

正確には賽の河原で死人の衣服を脱がせ、木の枝にかけ、枝のしなり具合でその死者の罪の重さを計った奪衣婆から番町皿屋敷等々の話が創作されたのは間違いないでしょう。衣類も皿も一枚、二枚と数えるので。

そして奪衣婆は川で人々の祓い清めの手伝いをしていた人間の女性がモデルなのは、学術的には正しいと思う。

祓い清めは神道的な儀式。仏教から見たら異教。だから恐ろしげな奪衣婆を登場させたと考えられる。高玉伝説、番町皿屋敷の話もそう。これは仏教の優位性を高める為に、神道の儀式を貶めた話なのだと思う。

それプラス武烈天皇を変態としてでっち上げ、蝦夷の神である志波彦神の部下としたのではないだろうか。

お笑いタレントの鹿野英孝の先祖は、この武烈天皇の側近です。約1500年前、武烈天皇の失脚、或いは暗殺を機に、鹿野英孝の先祖は宮城県の栗原市まで左遷された。だから鹿野英孝の実家である櫻田山神社では武烈天皇を祀っている。

何で櫻田山神社に「桜」の字が付くのか。元々は「櫻田」の地にある山神社だから「櫻田山神社」となったらしいが、だとすれば大山祇神が祀られている筈。大山祇神の娘は木花開耶姫だからそれなら説明が付く。


話を高玉明神に戻します。

この高玉明神がある七北田川で当時の人間・瀬織津姫が祓い清めをしていた可能性が高いと思う。祓い清めは川でするものですし。

そして忘れてならないのは二柱神社。神仏習合時代は仁和多利大権現と称していた。つまり鬼渡神を祀る神社だった。

代表的な鬼渡神は阿須波神。そして阿須波神は志波彦神と考えて良いと思う。

志波彦神を信仰していたのは蝦夷。そうなると祓い清めの儀式は蝦夷の文化であり伝統。つまり人間・瀬織津姫は蝦夷だったと考えられるのではないか。


続く。




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瀬織津姫は水神であり、疱瘡神であると思う。その4

2019年06月19日 16時38分34秒 | 瀬織津姫

何かタイトル間違ってしまったなぁー。瀬織津姫をどうやって出せば良いのだろう。困ったなぁーと思いながら続きます。

波切不動尊には過去の津波の最終到達地点に鎮座しているとの伝承が残っています。事実、東日本大震災の大津波も波切不動尊の足元まで来ている。津波が発生したら、ここまで逃げろとの目安になっている。

実は仙台湾付近・若林区荒浜方面にも同じ意味合いの神社が鎮座しています。浪分神社です。

若林区と言うと約57%の土地が津波の浸水を受けてます。平野でしたから一気に来ました。しかし浪分神社でも直前で津波は止まった。つまりこの神社も過去の津波の停止位置に鎮座していることになります。

浪分神社はお稲荷様ですが、津波に対しての伝承が残ってます。過去において津波が発生した時、海神が白馬に跨り駆けつけて、剣で津波を一刀両断。見事津波はこの場で停止したとの事です。

この海神ですが、一般的には大綿津見神だとされるみたいです。私的には「大綿津見神=大山津見神」と考えています。同じアタ族でしょうから。

でも、引っかかる点があります。白馬です。馬に乗る神は海神よりも太陽神です。太陽神は天馬に乗り天空を駆け上がり、日光を地上に照らす存在です。馬が無いと天空には上れない。太陽神としての役目が果たせない。

スサノオ尊により高天原で斑馬が殺され皮を剥がされ、機織の部屋にその皮を投げ込み、中の稚日女尊は驚きのあまりホトを突いて亡くなったと記紀に記載されてます。

稚日女尊を簡略に訳すと「幼い太陽の女神」となります。そして斑馬はそのパートナー、否、夫と考えられる。

飼い馬と夫婦になったオシラサマの伝承は稚日女尊を示している。オシラサマは養蚕の神。稚日女尊は織姫。この点からも同じ。

更に斑馬が殺され、稚日女尊がホトを突いて死んだ。ホトとは女性器を示す。つまり稚日女尊は性器信仰の女神である事を示す。皮を剥がされた斑馬はその夫。馬もまた男性器を示す。

つまり日本の地主神である性器信仰の神々はスサノオ尊によって殺された。性器信仰の太陽神が殺された事により、天上に太陽が昇らなくなった。暗闇の世界になった。

実際は日食だった可能性があります。当時としてはパニックになるでしょう。でも1日で日食は終了する筈。

ここでふと思ったのですが、日食って「日を食べる」と書きますね。食べると言う事は殺すこと。

月読命は食物の神・保食神を殺した。スサノオ尊も食物の神・大気都比売を殺した。全く同じ動機で。っと言う事は「月読尊=スサノオ尊」。

スサノオ尊の仏名は牛頭天王。牛の頭には角が生えている。その形は三日月。やはりスサノオ尊は月神。月読尊と考えられる。

日食は満月の月が太陽と重なって起きる。それは正に月が太陽を食べるが如く。そこから天照大神とスサノオ尊のウケヒのストーリーが出来上がった可能性もある。

そして保食神、大気都比売も同神。本来の天照大神とも考えられる。

月神・スサノオ尊との間にはウケヒとは言え子供が産まれた。そうなると天照大神は月神の妻。そしてスサノオ尊が殺した大気都比売は大月姫とも表記される。

それ以上の進展は馬頭観音を考えなければ進まないと思います。脱線しちゃいましたが、この話は練りが足らないので、またの機会に書きたいと思います。


続く。





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瀬織津姫は水神であり、疱瘡神であると思う。その3

2019年06月18日 12時05分57秒 | 瀬織津姫
続きますけど、やっぱり今回の御題は難しいです。計画性も無く書き始めたので文章がもうしどろもどろ。仕方なく「その2」の内容をかなり手直ししました。でもまだ文章がバラバラです。困ったなぁー。

話は「塩竃は性器信仰の地だ」からでしたね。忘れてました。困った。本当に全て書き直したい。

さて、ここからが本題です。

私、前々から不思議に思っていたのです。元塩竃神社とされる鼻節神社表参道の存在に付いて。

大抵の方は裏参道から参拝し、そのまま裏参道を引き返すしています。表参道を通る人は少ない。通る必要が無い。だから、まるで獣道みたいになっている。

表参道は変に遠回りして崖のに到達する。その崖を引き返す感じで表参道の古い石で出来た山形の扁額が取り付けられた鳥居をくぐり、長く急な石段を登らなければならない。つまり崖から鼻節神社が参拝する感じに繋がっているのです。

鼻節神社への参拝は船で崖下に到達し、その崖を登って参拝していたとの話しが伝わっていましたが、東日本大震災で間違いが分かりました。

松島は過去の地震で地盤沈下したのが調査で分かった。鼻節神社の表参道は松島が地盤沈下して消えていた。本来の表参道は崖の下へと地盤沈下で消えていた。

鼻節神社の7キロ置きの海底にあるとされる大根神社も地盤沈下で海の中に消えた。塩竃、そして松島は日本で一番の震災の土地であった。

不思議に思っていたのですよ。宮城県の湾曲している海岸にポツッンと丸く抉れて松島がある。不自然です。

抉れていると言う事は下ネタになっちゃいますけど、何と言いますか性器信仰に繫がったのかと思えます。言い辛いですか地震も津波も。何と言いますか大自然の性行為的な感じで。

松島周辺は古墳時代の墳墓等々が見つかっています。松島は古代集落だった。しかしこの地盤沈下、若しくは津波被害で多くの古代人は命を失った。そんなことから松島は霊場になった。信仰の地となった。

それが蝦夷の時代まで続いていた。だから松島に面している塩竃神社は震災や津波が起きて欲しくはないと、一万束の祭料が献上されていたのではないか。

もう、大地震による地盤沈下、津波は起こしてもらいたくない。その願いの為に志波彦神が蝦夷達に信仰されたのではないか。

何で志波彦神に地震や津波を防いで貰いたいのか。もしかしたら津波を止めるから「止波彦神」。津波を殺すから「死波彦神」なのかも知れない。

否、地震は志波彦神が起こしている。鹿島の地主神は志波彦神とされる阿須波神。鹿島神宮では地震を抑える要石が存在する。それは地主神である阿須波神に震災を起こして欲しくない為に、要石で押さえていると考えられるのではないか。

塩竃神社に鹿島神が祀られているのも、阿須波神である志波彦神を押さえ込む為ではなかろうか。

塩竃神社の周辺に波切不動尊が鎮座している。塩竃神社の真正面に参拝の前に禊をしたとされる祓川が流れていたが、その祓川の上流に波切不動尊が鎮座している。そして塩竃神社の正面には祓戸四神を祀る祓戸社が鎮座している。

祓戸四神の筆頭は瀬織津姫。その上流に波切不動尊が鎮座しているのは、仏教からの瀬織津姫の姿と考えられる。

塩竃神社にはお堂がある。神仏習合時代は神職と僧侶が塩竃神社に共に居た。その流れから祓川の上流に波切不動尊を鎮座させたのではないか。


続く。



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