諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瀬織津姫は水神であり、疱瘡神であると思う。その3

2019年06月18日 12時05分57秒 | 瀬織津姫
続きますけど、やっぱり今回の御題は難しいです。計画性も無く書き始めたので文章がもうしどろもどろ。仕方なく「その2」の内容をかなり手直ししました。でもまだ文章がバラバラです。困ったなぁー。

話は「塩竃は性器信仰の地だ」からでしたね。忘れてました。困った。本当に全て書き直したい。

さて、ここからが本題です。

私、前々から不思議に思っていたのです。元塩竃神社とされる鼻節神社表参道の存在に付いて。

大抵の方は裏参道から参拝し、そのまま裏参道を引き返すしています。表参道を通る人は少ない。通る必要が無い。だから、まるで獣道みたいになっている。

表参道は変に遠回りして崖のに到達する。その崖を引き返す感じで表参道の古い石で出来た山形の扁額が取り付けられた鳥居をくぐり、長く急な石段を登らなければならない。つまり崖から鼻節神社が参拝する感じに繋がっているのです。

鼻節神社への参拝は船で崖下に到達し、その崖を登って参拝していたとの話しが伝わっていましたが、東日本大震災で間違いが分かりました。

松島は過去の地震で地盤沈下したのが調査で分かった。鼻節神社の表参道は松島が地盤沈下して消えていた。本来の表参道は崖の下へと地盤沈下で消えていた。

鼻節神社の7キロ置きの海底にあるとされる大根神社も地盤沈下で海の中に消えた。塩竃、そして松島は日本で一番の震災の土地であった。

不思議に思っていたのですよ。宮城県の湾曲している海岸にポツッンと丸く抉れて松島がある。不自然です。

抉れていると言う事は下ネタになっちゃいますけど、何と言いますか性器信仰に繫がったのかと思えます。言い辛いですか地震も津波も。何と言いますか大自然の性行為的な感じで。

松島周辺は古墳時代の墳墓等々が見つかっています。松島は古代集落だった。しかしこの地盤沈下、若しくは津波被害で多くの古代人は命を失った。そんなことから松島は霊場になった。信仰の地となった。

それが蝦夷の時代まで続いていた。だから松島に面している塩竃神社は震災や津波が起きて欲しくはないと、一万束の祭料が献上されていたのではないか。

もう、大地震による地盤沈下、津波は起こしてもらいたくない。その願いの為に志波彦神が蝦夷達に信仰されたのではないか。

何で志波彦神に地震や津波を防いで貰いたいのか。もしかしたら津波を止めるから「止波彦神」。津波を殺すから「死波彦神」なのかも知れない。

否、地震は志波彦神が起こしている。鹿島の地主神は志波彦神とされる阿須波神。鹿島神宮では地震を抑える要石が存在する。それは地主神である阿須波神に震災を起こして欲しくない為に、要石で押さえていると考えられるのではないか。

塩竃神社に鹿島神が祀られているのも、阿須波神である志波彦神を押さえ込む為ではなかろうか。

塩竃神社の周辺に波切不動尊が鎮座している。塩竃神社の真正面に参拝の前に禊をしたとされる祓川が流れていたが、その祓川の上流に波切不動尊が鎮座している。そして塩竃神社の正面には祓戸四神を祀る祓戸社が鎮座している。

祓戸四神の筆頭は瀬織津姫。その上流に波切不動尊が鎮座しているのは、仏教からの瀬織津姫の姿と考えられる。

塩竃神社にはお堂がある。神仏習合時代は神職と僧侶が塩竃神社に共に居た。その流れから祓川の上流に波切不動尊を鎮座させたのではないか。


続く。



コメント
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