諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

勝新太郎・中村玉緒の息子、鴈龍を姓名判断する。その1

2019年12月08日 14時29分43秒 | 占い
勝新太郎と中村玉緒の息子、鴈龍。その前の名前は鴈龍太郎。そして本名は奥村雄大。亡くなりましたね、私と同じ55歳で。

うーん、この人に関しては色々言いたかったのですが、亡くなってしまった方をとやかく言うのも気が引ける。中村玉緒も気の毒。子供に先立たれる程、辛い試練は無い。

それに何となく彼は私と似ている人生を送っていた。

否、違う。私も彼と同じ境遇になりそうだった。私の場合はギリギリで助かった。本当に幸いだった。

彼は正負の法則に多分に左右されていたと思う。彼の人生は考えさせられる。普通の境遇に生まれていれば、普通に生きられたと思う。

原因があるから結果がある。彼の人生は初めから決められていたのかも知れん。本当に人生は思い通りには行かない。難しい。

彼の人生に一番影響を与えたのは、やはり父親の勝新太郎でしょう。

勝新太郎は時代劇の大スター。殺陣をやらせたら兄の若山富三郎や萬屋錦之助と並ぶ最高の技量を見せる。引き付けられる風貌。本当に大スター。勝新太郎を親に持ったら、息子も洗脳されてしまう。自我の形成し難い。父親の真似をする。父親に影響された人生を送ってしまう。

彼のデビューは父親・勝新太郎主演の「座頭市」。七光りで準主役を演じた。その中で彼はとんでもない事をしてしまう。真剣で俳優を切り殺してしまったのだ。

この事件、スタッフが真剣を渡した。それを彼は知らずに使った。そう言う事となり業務上過失致死罪は免れた。

でも、疑惑が残ります。私は信じられない。演技で真剣味を出す為に、スタッフが自分の判断で彼に真剣を手渡すなんて到底考えられない。

本当に真剣と知らずに使う馬鹿がどこに居るのか。真剣は2キロ程ある。重さで判る。刃筋でも判る筈。もし本当の話ならば、そのスタッフに業務上過失致死罪の責任がある筈。

しかし、鴈龍は刑には問われなかった。これは考えられない。この正が彼の人生に暗雲を立ち込めさせたと私は考える。

それにしても真剣で人を殺してしまった。これはキツイ。根津甚八も交通事故で人を殺めた事が響いて俳優を辞めた感じでしたが、精神的に大変な辛さだと思います。普通に良心があるならばです。

人を殺してしまった。こうなると俳優としては終了。否、人間として終了です。20歳そこそこで人を殺した。殺意は無かったとしても永遠に「人殺し」の汚名が付いて回る。

有名な馬鹿プロレスラーには人を殺した事を得意げに言う奴もいますが、私なら表舞台から姿を消します。それが亡くなった方の家族に対する配慮だと思いますし。

その後、彼は暫くの間、謹慎していた。しかし、父親は目立つ男・勝新太郎。コカインをやっているのに、パンツに入っていたで切り抜けようとした。反省が全然見られない。これでは息子の鴈龍も同じに見られてしまう。

母親の中村玉緒とバーターでバラエティにも出ていたが、彼は奇異の目で見られる。

彼はテレビで楽しそうな表情を見せてはいけない。笑ってもいけない。テレビに出るべきではない。私が被害者の肉親だったら、彼に対して烈火の如く怒り狂います。そう言う想いを被害者家族にさせてはいけない。

彼の人生、死ぬまで「人殺し」の汚名は付いて回る。芸能界にいることでストレスが溜まる。そして彼の姉も父に続いて麻薬に手を出した。初めから再起は無理だと想っていましたが、これで止めを刺された。可能性はゼロとなった。

芸能界の華やかさ、勝新太郎の影響力が彼の運気を狂わせた。彼は芸能界に出るべきではなかったと思います。彼の為にも。


続く。


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福島のオシラサマ、オシンメイサマ。その5

2019年12月07日 14時17分53秒 | 信仰
続きです。

さて、オシンメイサマとは一体何なのか。

私は神ではないと思います。神道の神々は人間に対して「あれしろ、これしろ」とは基本言いませんから。言ったとしても「私をあの場所で祀ってくれ、大きな社を造ってくれ」程度です。

願いは言いますが、指図やアドバイスはしません。そう言った伝承は残っていますが、それは神仏習合での仏教的な考えです。

神道の神々は受代苦です。神が人に代わって罪を被る。酷い目に遭う。それが日本の神です。だからキリスト教や仏教の様に、考え方の違いで争いが起きない。戦争が起きない。

「天皇は日本の現人神だろ」と言う人もいるでしょうけど、天皇は神ではない。ただの人間です。人間を信仰するのは神道ではない。人間を信仰したから日本は戦争で苦しんだ。そこが一番重要だと思います。

オシンメイサマとは一体何なのか。一言で言うと神の眷属でしょう。神社で言うと狛犬となります。

その眷属が神の命でお札やお守りに宿る。人を厄から防いでくれる。しかし、眷属は狛犬。動物的性格。なあなあが効かない。自分を蔑ろにすれば祟りを起こす。

オシンメイ巫女の場合は、眷属を宿した人間となる。人を救おうとする眷族の要望に動かされる存在の一面はあると思います。

ただ、それだけでは無い。眷属を宿したオシンメイ巫女の性格も残っていると思えます。

オシンメイ巫女は「遊び歩く事を好む、神の言葉を告げる、病気を治す力がある、物事を予知する事が出来る」とされていますが、それは眷属と巫女の嗜好による。眷属が100%ではないと考えます。

その結果がオシンメイ巫女の堕落です。宿している眷属の怒りを買う。その怒りは巫女の命を左右する。故にオシンメイ巫女が姿を消したのだと考えます。

このオシンメ巫女のルーツはどこにあるのか。

それは熊野だと考えます。熊野には歩き巫女が存在する。その歩き巫女が歩いて福島に来た。同じ性格の巫女ですから、間違いないと思います。

オシンメイサマ、オシラサマの伝承は、南は福島県の勿来、東は青森県の下北半島まで。北海道には存在しません。東北のみの信仰となります。それは馬への信仰が重なったと考えられます。

因みに私の祖父が馬喰をやっていました。本家には三匹の白馬が並んでいる絵が飾られています。

伯父が馬れき神の山である水石山、閼伽井嶽で樵をしていた。馬を使って木を麓まで運んでいた。それなのに信仰心が足りなかった。霊山を敬わなかった。その報いが家系に響いている。これも祟り神であり難しい性格のオシンメイサマの影響なのかと想えてならないです。

最後になりますが、私の故郷である福島県いわき市には熊野明神系、伊勢明神系、白山明神系のオシンメイ巫女が存在していたらしいですが、基本は全部同じでしょう。

明神と言うのですから、仏教の考え方が混在しているだけ。神道の仏教的解釈に過ぎない。源流は全て同じ。そう考えて間違いないと思います。


ではでは。




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福島のオシラサマ、オシンメイサマ。その4

2019年12月05日 15時05分41秒 | 信仰
続きです。総括したいと思います。

以上、オシンメイサマに付いて語って参りました。

その「遊びが好き、出歩きたいとする」オシンメイサマの感情から推察すると、「座敷童子」の特徴も垣間見えます。

実は座敷童子もオシラサマであるとする伝承が残っている。確かにそれも頷けます。

でも座敷童子がオシラサマ、オシンメイサマであるならば、かなり丁重に扱わないと大変な事が起きると考えられる。

現に座敷童子が出る事で全国的に有名になった、岩手県金田一温泉の緑風荘が火事で全焼しています。噂ですが「ついてる、ついてる」でスピリチュアル界では有名な方の実家とか、親戚とか聞いていますが、座敷童子が住んでいる宿が全焼って考えさせられます。何が原因なのだろうか。

緑風荘の庭には稲荷神社と座敷童子を祀る亀麿神社が鎮座しているそうですが、火災の時、二人の童子、或いは火の玉、オーブ??が亀麿神社の祠に飛び込む姿を見た人が何人かいるそうです。

その後、緑風荘は再建されたそうですが、座敷童子は周りの宿にも頻繁に出現するようになったみたいです。遊び歩いているかの如く。

これってどう言う事なのか。座敷童子は何らかの理由で緑風荘から出られなかった。しかし、本来、座敷童子は外に出て遊ぶのが好きな神??。そこから考えると緑風荘の火災は、座敷童子に何んらかの関らりがあるのか。うーん、判らない。

亀麿神社の隣にはお稲荷様の祠もあるが、座敷童子をお稲荷様が調伏し押さえ込んでいたのか。

否、それは違うか。お稲荷さんは庭神。オシラサマは屋敷神。敵対はしていない筈。オシラサマと思われる瀬織津姫を祀る神社にもお稲荷様が祀られているケースが多いし。

オシンメイサマは激しく祟る難しい神??。遊びまわる神??。それに耐え切れず福島のオシンメイ巫女は消えた。座敷童子と性格が重なると思います。

緑風荘が座敷童子の怒りに触れて全焼したとは言い難いですが、もしそうであるなら何が原因なのか。

座敷童子をオシラサマ、オシンメイサマで考えると、もしかしたら戒律を破ったからではないか。

オシラサマ、オシンメイサマは養蚕の神であるだけでなく、目の神、火伏せの神でもあります。火伏せの神であるのに宿は全焼した。座敷童子は何かに怒ったのではないか。その何かとは。

オシラサマは旧正月の16日、3月16日の年に2回、オシラサマの人形を出して祭りを執り行うそうです。

祭りの日には四足、二足の動物は食さない。オシラサマ人形の管理者はその家の主婦が担当するそうですが、主婦には肉食は許されていないそうです。

それを破っていたなら。宿ですからね、肉料理も出していた。

緑風荘に泊まった事が無いのでその点は何とも言えませんが、もし座敷童子の怒りで全焼したならば、考えられない事も無いと思います。


続く。













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福島のオシラサマ、オシンメイサマ。その3

2019年12月01日 15時29分12秒 | 信仰
続きます。

さて、岩手県遠野のオシラサマ伝説と福島県のオシラサマ伝説を重ね合わせるとどうなるか。

遠野は伊勢の天照大神。福島は熊野権現。その元々の起源は出雲にある。そして伊勢と熊野は表裏一体。

熊野は伊勢の仏教的解釈と言える。神道での源流は同じ。そう考えるとオシラサマが瀬織津姫であると言う話も頷けます。

恐山のイタコが信仰する神もオシラサマと言われています。そしてオシラサマは天照大神であるとも。

恐山はあの世とこの世の境界線。天照大神は天岩戸を出入りした。境界線の神と言える。オシラサマが天照大神であると言うのも理解出来ます。

さて、ここから話は一変します。私の故郷、福島県ではオシラサマの事をオシンメイサマと呼びます。

そしてオシンメイサマを信仰するイタコの様な方々が存在していた。それはどの様な民俗だったのか。

岩手にオシラサマの人形??が有ります。桑の棒の先に烏帽子姿の男神、或いは馬の頭の男神、そしてもう一方は姫神の頭を先に付けた棒となります。それぞれ、簡単な衣類をまとっています。

この男女二神のオシラサマ人形がお雛様の原型だと言われております。

福島のオシンメイサマの場合は、棒は桑に拘らず杉のケースが大半です。竹で出来ている事もある。これは岩手県民のストイックさと、福島県民のいい加減さ・・・じゃなかった、大らかさの違いかも知れないです。

その他は殆ど同じですが、福島バージョンは古くなった衣類を変えずにそのまま新しい衣類を重ねます。その形は埃を払うハタキに顔が付いた感じです。

実際、このオシンメイサマ人形を用いて祓い清めの儀式に使います。今は居るのか判りませんが、オシンメイ巫女と言う人々がその棒と言うかオシンメイサマ人形で頭を撫でて頭痛を治したり、肩を撫でて肩こりを取ったりしていたそうです。

このオシンメイ人形ですが、神主が持っているギザギサの紙が付いている棒、御幣(ごへい)と言うのですが、それで祓い清めをするのと全く同じと言えます。

以前にも言いましたが、祓い清めは水だけとは限らない。汚れを取るアイテムである布や紙でも祓い清めが出来ます。そこから考えるとオシラサマもオシンメイサマも祓い清めの神となります。

ただ、この祓い清めの神は恐ろしい、若しくは難しいのです。

オシンメイ巫女が今も存在しているか判らないと申しましたが、オシンメイサマは祟り易く気難しい神なのです。だからオシンメイ巫女もなり手が居なくなった。

以前、「神に追われる人」と題して書きましたが、オシンメイサマも遊び歩くことが好きな神で、オシンメイ巫女も夢遊病者の如く村をさまよい歩く様になります。

それだけでは有りません。オシンメイ人形を所持している家でもオシンメイサマが家人の夢枕に立ち、「遊びたい、出してくれ」と言う。それで外に出すと中々帰りたがらない。

オシンメイ巫女も最後は家々をさまよい、乞食同然の生活になる。それが大変辛い。それでオシンメイ巫女は姿を消した。個人宅でオシンメイ人形を所有する方も激減し、神社仏閣に置かれる様になったそうです。


続く。





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