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ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

月と6ペンス W・S・モーム

2010-01-08 07:07:00 | 
狂気と付き合うのは難しい。

私自身、狂気を裡に孕みながら生きていたことがある。私は自らの内に異常な感情が蠢いているのを自覚しながらも、それを認めるのが嫌だった。

なによりも他人にそれを知られるのが嫌だった。だから狂気に身を焦がしながらも、常識ある大人のふりを演技することに集中した。

だが、内心この狂気を活かして生きていけたらと思うことがあった。狂気は時として芸術に昇華することを知っていたからだ。

その代表が画家のゴッホであり、また表題の作品のモデルとされたゴーギャンだと思う。

己の心のうちに吹き荒れる情熱が狂気の域に達し、それをキャンパスの上に描かれる芸術。私は好きではないが、それでもゴッホやゴーギャンの絵から目を離すのは難しい。目をそらすことを許さないほどの強烈な意志に惹かれてしまうからだ。

自分に狂気があることを自覚していたからこそ、私はその狂気とどう向き合うかに苦悩した。狂いきってしまえば、この苦悩から逃れられると夢想したものだ。

でも出来なかった。私はその狂気を認めることが出来なかった。狂気に身を任せることへの恐怖と羞恥心。狂気に逃げることは敗北であるとの思いが、私が狂気に染まることを押し留めた。私はかなり臆病だと思う。

だが、もし狂気を堂々と認めて、その狂気に素直に応じていたのなら、どんな人生が待ち受けていたのだろうか。閉鎖的な日本なら、格子戸で囲まれた病室に閉じ込められるのが普通だろう。

でも、地球上のどこかに、そのような狂気を孕んだ人間が自由に生きていける場所はあるかもしれない。それが南太平洋の孤島タヒチなのだろうか。

この本も十代の頃に読んだ時は、さっぱり面白いとは思わなかった。ただ、ゴーギャンの名前を覚えただけだった。だが、難病で苦しみぬいた末に再読してみると、まったく別の作品に思えて仕方なかった。

私には出来なかったもう一つの生き方。それはそれで幸福なのかもしれない。出来なくて良かったとも思っているのですがねぇ。
コメント (2)
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