私は忘れてやらない。
15年前の早朝だった。阪神淡路地方を巨大な地震が襲ったのは。朝、起きぬけのニュースは、火災が拡がった被災地の映像で溢れていた。崩壊した高速道路や、倒壊した家屋、そして呆然とした被災者の映像に衝撃を受けた。
この映像を首相官邸でポカンとして眺めていたのが、時の総理大臣である村山である。細川率いる日本新党に政権を奪われた自民党が、権力の座に戻りたくて長年の政敵である社会党に膝を屈した上での連立与党の首班が、この村山富市であった。
おかしなことに、長年にわたり反対していたはずのアメリカとの軍事条約を黙認し、「やるっきゃない!」と鰍ッ声を上げた消費税廃案も影に葬った。政権を担う連立政権の首班として、それは当然の判断だ。しかし、鬱屈したものがあったのだろう。
この未曾有の大災害に際し、アメリカ軍から援助の手が差し伸べられたが、男・村山は断固拒否した。侵略者であり、帝國主義者でもあるアメリカの助けは借りんと胸を張った。
長年アメリカとの軍事条約に反対し、ヴェトナム戦争に反対し、核兵器に反対し続けた野党政治家の矜持を守ったわけだ。政治家として、自らの信念に殉じたといってもいい。
だが、冷静に考えて欲しい。アメリカ軍には病院船をはじめとして、災害時に役立つものを多数持っていた。自衛隊及び病院関係者が咽喉から手が出るほど欲しかったヘリコプターも多数展開する力があった。
なにせ道路網は崩壊し、難民で溢れ、車両での移動は難しい。頼みの民間ヘリコプターはマスコミ様が徴用して空きはない。おかげで、医薬品や急病人の搬送に手間取り、多くの命が失われた。
もし、アメリカ軍のヘリコプターを活用できたら、救えたはずの命はかなりあったと思われる。もし、アメリカ軍の病院船を活用できたら、きっと多くの命が救えたはずだ。
しかし、当時の連立政権は敢えて人命を軽視した。自らの政治信条を守るため、被災者の命を犠牲に供した。私は人の命は地球より重いとは考えないが、それでも助けられる命を見捨てた当時の自社・連立政権のやったことは忘れてやらない。
その後、社会党は解体する羽目に陥ったが、これはこの時見捨てられた被災者の恨みのおかげだと私は邪推している。ついでだから書いておくが、当時のマスコミで、この村山内閣の人命軽視を批難した意見は、ほとんど無視された。批難の声が上がったのは確かだが、黙殺してのけたのが当時のマスコミ様だ。
今もそうだが、マスコミには覚悟なき軽薄な反米思想がこびりついているので、アメリカ軍の手を借りなかったことを、むしろ賛美する風潮さえあった。どうやら、自らの政治信念の崇高さに比べれば、被災者の命なぞ軽いものなのだろう。
そして15年がたち、亡くなった被災者の遺族たちは、私たちは忘れないと誓いを叫ぶ。もちろん、亡くなった家族、友人を忘れないのは当然だろう。しかし、忘れずに銘記して欲しいものだ。
当時の政府は、あなた方の亡くなった家族たちを助ける努力を怠った事実を。マスコミはその人命軽視を黙殺したことを。そして、当時の社会党の残党が今の民主党政権に居座っていることを。
日本人は忘れっぽい。でも、私は忘れてやらない。忘れてやるもんか!
15年前の早朝だった。阪神淡路地方を巨大な地震が襲ったのは。朝、起きぬけのニュースは、火災が拡がった被災地の映像で溢れていた。崩壊した高速道路や、倒壊した家屋、そして呆然とした被災者の映像に衝撃を受けた。
この映像を首相官邸でポカンとして眺めていたのが、時の総理大臣である村山である。細川率いる日本新党に政権を奪われた自民党が、権力の座に戻りたくて長年の政敵である社会党に膝を屈した上での連立与党の首班が、この村山富市であった。
おかしなことに、長年にわたり反対していたはずのアメリカとの軍事条約を黙認し、「やるっきゃない!」と鰍ッ声を上げた消費税廃案も影に葬った。政権を担う連立政権の首班として、それは当然の判断だ。しかし、鬱屈したものがあったのだろう。
この未曾有の大災害に際し、アメリカ軍から援助の手が差し伸べられたが、男・村山は断固拒否した。侵略者であり、帝國主義者でもあるアメリカの助けは借りんと胸を張った。
長年アメリカとの軍事条約に反対し、ヴェトナム戦争に反対し、核兵器に反対し続けた野党政治家の矜持を守ったわけだ。政治家として、自らの信念に殉じたといってもいい。
だが、冷静に考えて欲しい。アメリカ軍には病院船をはじめとして、災害時に役立つものを多数持っていた。自衛隊及び病院関係者が咽喉から手が出るほど欲しかったヘリコプターも多数展開する力があった。
なにせ道路網は崩壊し、難民で溢れ、車両での移動は難しい。頼みの民間ヘリコプターはマスコミ様が徴用して空きはない。おかげで、医薬品や急病人の搬送に手間取り、多くの命が失われた。
もし、アメリカ軍のヘリコプターを活用できたら、救えたはずの命はかなりあったと思われる。もし、アメリカ軍の病院船を活用できたら、きっと多くの命が救えたはずだ。
しかし、当時の連立政権は敢えて人命を軽視した。自らの政治信条を守るため、被災者の命を犠牲に供した。私は人の命は地球より重いとは考えないが、それでも助けられる命を見捨てた当時の自社・連立政権のやったことは忘れてやらない。
その後、社会党は解体する羽目に陥ったが、これはこの時見捨てられた被災者の恨みのおかげだと私は邪推している。ついでだから書いておくが、当時のマスコミで、この村山内閣の人命軽視を批難した意見は、ほとんど無視された。批難の声が上がったのは確かだが、黙殺してのけたのが当時のマスコミ様だ。
今もそうだが、マスコミには覚悟なき軽薄な反米思想がこびりついているので、アメリカ軍の手を借りなかったことを、むしろ賛美する風潮さえあった。どうやら、自らの政治信念の崇高さに比べれば、被災者の命なぞ軽いものなのだろう。
そして15年がたち、亡くなった被災者の遺族たちは、私たちは忘れないと誓いを叫ぶ。もちろん、亡くなった家族、友人を忘れないのは当然だろう。しかし、忘れずに銘記して欲しいものだ。
当時の政府は、あなた方の亡くなった家族たちを助ける努力を怠った事実を。マスコミはその人命軽視を黙殺したことを。そして、当時の社会党の残党が今の民主党政権に居座っていることを。
日本人は忘れっぽい。でも、私は忘れてやらない。忘れてやるもんか!