ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

Google八分とは何か 吉本敏洋

2010-04-01 13:45:00 | 
インターネットの世界は自由だと言えるのだろうか。

先月、いろいろすったもんだ末にGoogleが中国から撤退を表明した。独裁国家であるシナでは、情報の自由は政権に致命傷になりかねないため、ネット上の検閲を強要されたことからの反発とされる。

情報の自由は民主主義国家にとっては、きわめて大切だ。適切な情報あってこそ、有権者は自分たちの政府を適切に判断できるとされるからだ。また市場原理を基本とする資本主義社会では、情報の自由は経済活動の生命線でもある。

しかし、それでもシナは情報の自由を拒んだ。独裁国家としては当然の選択だと思う。もともとシナの民は政府を信用していない。だから、いとも容易に反政府活動に走る。

シナの歴史を紐解けば、多くの強大な王朝が内乱から滅んでいることが分る。もちろん外敵の侵略で滅んだこともあるが、外敵の侵略だけで滅んだことは稀だ。ほとんどの場合、王朝の末期には、農民の叛乱や数百万の難民流出など内政の混乱が引き起こされている。外敵の侵略は、その内政の混乱に付け込んだものであることが多い。

だから、シナの政府はなによりも国内の安定を重視する。貧富の差が激しく、国内に不満が充満していることは周知の事実だ。この不満にひとたび火が付き、対処を誤れば内乱へと拡大する恐れがある。

シナの政府にとって不利な情報が、シナの民の手に自由に渡ることは、なんとしても防がねばならない。インターネットで自由に情報がやり取りされることは、決して黙認できることではない。

したがって、Googleの撤退は当然の結末だ。これを表現の自由を守る勇気或る決断だと賛美する声もあるようだ。

ただ、私は当初から冷ややかにみていた。検索ソフトとしてGoogleは使いやすく便利だ。でも、企業としてみた時、どうしてもある種の胡散臭さを感じずには居られないからだ。

シナに進出した当初から北京政府の意向を受けて、検閲をしていたことは周知の事実だ。それをなにを今更、騒いでいるのか。私には、どうも裏があるように思えてならない。

慈善事業をよくする会社として知られているが、慈善事業をする人には、自己の善意を宣伝して広めたい(必ずしも悪いことではない)との思いがあるのは分る。でも、なかには不正や悪辣な金儲けのイメージを押し隠す目的で、慈善に金を出すことも珍しくないのも事実。

表題の本は、「悪徳商法?マニアックス」というHPの管理人が書いた話題作だった。私は一時期、このHPを熱心に読んでいたので、当時からGoogleが情報検閲していたと知り驚いたものだ。

情報検閲なんてしないと謳いながら、実のところGoogleはけっこう情報を削除したりしている。現在は、その削除の情報を公開するなどしていかがわしさを和らげる努力をしているようだが、それでも私はこの会社には疑念を拭いきれない。

他にもいろいろあるが、現在私は検索する際にはGoogleだけを頼るようなことはしていない。この会社、どうも信用できないと思う。

自由とは浮「概念でもある。批難される自由、攻撃される自由、傷つけられる自由、そして損をさせられる自由。みんな自由。

自由は絶対的な正義ではない。自由という言葉は、よくよく意味を噛み締めて使う必要がある。Googleだけに限らないが、IT企業には他人の褌で相撲をとって恥じぬ気風がある。要は儲けたものの勝ち、である。

検索ソフトとしての利便性は認めるが、私はこの会社は嫌いだね。


コメント (2)
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