忘れもしない平成6年の春だった。
前年の12月に我が家に届いた税理士試験合格の通知は、私を歓喜というより安堵させた。これで受験はお終いだとの思いが強く、喜びよりも解放感のほうが強かった。
同時に、これからのことを思うと、いささか萎縮した。俺、働けるかな?
長きにわたる病気療養生活の安穏さに慣れすぎて、ビジネスの世界に再び身を投じるには不安が先立つのは仕方ない。だが、もう一つの不安が私を嬲るように追い立てる。
果たして難病歴のある人間を採用してくれる働き口はあるのだろうか。当時、警備員のアルバイトをしていたが、これは妹の知人の紹介もあり、スムーズに採用された。しかし、これからはそうはいくまい。
私の心配は的中してしまった。会計事務所の合同面接会の場では、どの事務所も好意的であった。しかし、個別で事務所を訪れて、具体的な話になるとやはりいけない。
はっきりと健康の不安を指摘する方もいれば、曖昧に誤魔化す人も居る。一番積極的に私を評価してくれた事務所も、数日後医者にアドバイスを求めてみた結果、不採用となったと正直に告げてくれた。
私は面接を4件ほどこなして、どこも同じ杞憂を口にすることが分り、とりあえず再就職を中断した。いや、正確に言うなら失望のあまりふて腐れて寝転んだ。
やってられねえよ。
警備員のバイトを続けながら、冷静に考えると、これから3月までは業界的に繁忙期だ。今、その忙しい仕事場に飛び込んだら、どうなるだろう?もしかしたら、身体が耐え切れずに再発するかも。それは嫌だ。うん、ここは一休みして、暖かくなり、業界も落ち着いたら再び就職活動を再開しよう。
うん、分っている。自分をなぐさめるだけの誤魔化しであることは。でも、この精神的なダメージから立ち直るには、ちょっと時間が欲しかった。
なまじ自分の才幹に自信をもち、また難病からの回復を誇りに思っていただけに、予想以上に私は落ち込んでいた。幸い時季は冬だ。冬眠する熊に倣って眠るのもイイもんだ。
で、三月も終わりに近づき、朝日新聞の求人欄にあった小さな募集広告。住所は銀座?馴染みのない場所だが、まあいいか。
電話で予約して、訪れた雑居ビルの奥に、その小さな事務所はあった。初老の男性が面接に応じてくれた。この方が佐藤先生であった。
驚いた、あるいは呆れたことに即決であった。後日知ったのだが、佐藤先生も肺結核で軍隊を長期離脱した上での療養生活(当時は死病だった)の経験があり、また40代からは糖尿病を患いながら税理士稼業をやってきたそうだ。
あれから16年、佐藤先生がお亡くなりになって、早五ヶ月となり、この事務所を立ち退くこととなった。といっても、新しい事務所は同じビルの5階。少し狭くなるが、その分設備は新しい。
ただ、この新しい事務所に佐藤先生の面影を見出すのは難しい。机の配置もだいぶ変り、新たに購入し、または廃棄したデスクなどもあり、前の事務所の雰囲気は微かに残るのみだ。
だが、私は忘れまい。この古くて小さな事務所から私の税理士としての歩みが始まったことを。ここでの出会いがあったからこそ、始まったばかりの事務所の運営が上手くいっていることを。
春は出会いと別れの季節。私はこの春を一生忘れないだろうな。
前年の12月に我が家に届いた税理士試験合格の通知は、私を歓喜というより安堵させた。これで受験はお終いだとの思いが強く、喜びよりも解放感のほうが強かった。
同時に、これからのことを思うと、いささか萎縮した。俺、働けるかな?
長きにわたる病気療養生活の安穏さに慣れすぎて、ビジネスの世界に再び身を投じるには不安が先立つのは仕方ない。だが、もう一つの不安が私を嬲るように追い立てる。
果たして難病歴のある人間を採用してくれる働き口はあるのだろうか。当時、警備員のアルバイトをしていたが、これは妹の知人の紹介もあり、スムーズに採用された。しかし、これからはそうはいくまい。
私の心配は的中してしまった。会計事務所の合同面接会の場では、どの事務所も好意的であった。しかし、個別で事務所を訪れて、具体的な話になるとやはりいけない。
はっきりと健康の不安を指摘する方もいれば、曖昧に誤魔化す人も居る。一番積極的に私を評価してくれた事務所も、数日後医者にアドバイスを求めてみた結果、不採用となったと正直に告げてくれた。
私は面接を4件ほどこなして、どこも同じ杞憂を口にすることが分り、とりあえず再就職を中断した。いや、正確に言うなら失望のあまりふて腐れて寝転んだ。
やってられねえよ。
警備員のバイトを続けながら、冷静に考えると、これから3月までは業界的に繁忙期だ。今、その忙しい仕事場に飛び込んだら、どうなるだろう?もしかしたら、身体が耐え切れずに再発するかも。それは嫌だ。うん、ここは一休みして、暖かくなり、業界も落ち着いたら再び就職活動を再開しよう。
うん、分っている。自分をなぐさめるだけの誤魔化しであることは。でも、この精神的なダメージから立ち直るには、ちょっと時間が欲しかった。
なまじ自分の才幹に自信をもち、また難病からの回復を誇りに思っていただけに、予想以上に私は落ち込んでいた。幸い時季は冬だ。冬眠する熊に倣って眠るのもイイもんだ。
で、三月も終わりに近づき、朝日新聞の求人欄にあった小さな募集広告。住所は銀座?馴染みのない場所だが、まあいいか。
電話で予約して、訪れた雑居ビルの奥に、その小さな事務所はあった。初老の男性が面接に応じてくれた。この方が佐藤先生であった。
驚いた、あるいは呆れたことに即決であった。後日知ったのだが、佐藤先生も肺結核で軍隊を長期離脱した上での療養生活(当時は死病だった)の経験があり、また40代からは糖尿病を患いながら税理士稼業をやってきたそうだ。
あれから16年、佐藤先生がお亡くなりになって、早五ヶ月となり、この事務所を立ち退くこととなった。といっても、新しい事務所は同じビルの5階。少し狭くなるが、その分設備は新しい。
ただ、この新しい事務所に佐藤先生の面影を見出すのは難しい。机の配置もだいぶ変り、新たに購入し、または廃棄したデスクなどもあり、前の事務所の雰囲気は微かに残るのみだ。
だが、私は忘れまい。この古くて小さな事務所から私の税理士としての歩みが始まったことを。ここでの出会いがあったからこそ、始まったばかりの事務所の運営が上手くいっていることを。
春は出会いと別れの季節。私はこの春を一生忘れないだろうな。