私は人工知能に関しては否定的だ。論理を数式に置き換えることは可能だと思うが、感情を数式に置き換えるのは無理だと思っている。
実のところ、知能とはいかなるものであるかの定義さえ、未だ議論の途上でさえある。このあたりの研究はアメリカが最先端を走っているが、軍事関連が多くて情報はすべて公開されているわけではない。それでも、未だ完成に程遠い分野であることは、よく知られている。
もし仮に人工知能が作られるとしたら、それは人間とは異なる思考方式を持つ知能であろうと思う。もしくは、人間の脳のコピーのような形での人工知能にならざる得ない。
だが、コピーでさえ現時点では不可能だ。人間は二進法で考えるのではない。驚くほど多元的に考え、その記憶の仕組みさえ単純ではなく、多層的かつ多元的だ。複写の受け皿さえ複雑すぎて設計できない。
それでも人は、人を創ることを止めないだろう。部分的な人工内臓なら既に実用化されている。しかし、人工心臓でさえ未だ十分とは言えず、他の臓器ともなると、未だ実験の域を出ない。
そのせいか、近年は人工臓器の開発よりも、他の人間の臓器を移植する手法が中心だ。倫理的な問題もそうだが、免疫抑制剤の服用など実用上の問題も多い。
それでもチャレンジすべき未知の分野として、多くの研究者が挑んでいる。
表題の漫画は、70年代に描かれたSFものだ。性交渉が可能なアンドロイドゆきと、彼女のパートナーである諜報員シマが主人公だ。当然にエッチな場面も多く描かれているのだが、なにせ松本零士である。あまりいやらしさは感じない。そのせいか、朝日ソノラマ文庫で改めて文庫化されて、一般の漫画の書棚で売られていた。
私が高校生の頃にまとめ買い(但し、全4巻)したのだが、なぜかもの凄く記憶に残った不思議な短編集だった。男性の欲望を実現化したかのようなアンドロイドゆきだが、その機能はセックスを含めた身体能力よりも、むしろ内面の思考機能の向上にこそあった。
それは相手の気持ちを察する能力であり、肉体的欲望よりも精神的欲望を満足させるように優先的にプログラムされた成果なのだろう。これは男女の立場を超えて誰もが必要とされながら、誰もが十二分に有しているとは言いがたい貴重な能力だと思う。
それが他のアンドロイドとの最大の違いであり、だからこそ他の女性型アンドロイドから敵視された。もちろん人間の女性からも敵視される。
最後は人工生命体と人間との共存の可能性を示して漫画は終わった。人工生命体の優劣を、その身体能力ではなく、気持ちや洞察力といった形で示したことが、なによりも私の記憶に残っている。
果たして人類は、心の優しさや包容力といった数値化しずらい能力まで人工知能として作ることが可能なのだろうか。最初に述べたように私は懐疑的だ。なぜって、現時点でさえ使いこなしているとは言いがたいものを、理想的な形で作れるはずがない。
それはそれで情けなく、また哀しいことでもあるのですがね。
実のところ、知能とはいかなるものであるかの定義さえ、未だ議論の途上でさえある。このあたりの研究はアメリカが最先端を走っているが、軍事関連が多くて情報はすべて公開されているわけではない。それでも、未だ完成に程遠い分野であることは、よく知られている。
もし仮に人工知能が作られるとしたら、それは人間とは異なる思考方式を持つ知能であろうと思う。もしくは、人間の脳のコピーのような形での人工知能にならざる得ない。
だが、コピーでさえ現時点では不可能だ。人間は二進法で考えるのではない。驚くほど多元的に考え、その記憶の仕組みさえ単純ではなく、多層的かつ多元的だ。複写の受け皿さえ複雑すぎて設計できない。
それでも人は、人を創ることを止めないだろう。部分的な人工内臓なら既に実用化されている。しかし、人工心臓でさえ未だ十分とは言えず、他の臓器ともなると、未だ実験の域を出ない。
そのせいか、近年は人工臓器の開発よりも、他の人間の臓器を移植する手法が中心だ。倫理的な問題もそうだが、免疫抑制剤の服用など実用上の問題も多い。
それでもチャレンジすべき未知の分野として、多くの研究者が挑んでいる。
表題の漫画は、70年代に描かれたSFものだ。性交渉が可能なアンドロイドゆきと、彼女のパートナーである諜報員シマが主人公だ。当然にエッチな場面も多く描かれているのだが、なにせ松本零士である。あまりいやらしさは感じない。そのせいか、朝日ソノラマ文庫で改めて文庫化されて、一般の漫画の書棚で売られていた。
私が高校生の頃にまとめ買い(但し、全4巻)したのだが、なぜかもの凄く記憶に残った不思議な短編集だった。男性の欲望を実現化したかのようなアンドロイドゆきだが、その機能はセックスを含めた身体能力よりも、むしろ内面の思考機能の向上にこそあった。
それは相手の気持ちを察する能力であり、肉体的欲望よりも精神的欲望を満足させるように優先的にプログラムされた成果なのだろう。これは男女の立場を超えて誰もが必要とされながら、誰もが十二分に有しているとは言いがたい貴重な能力だと思う。
それが他のアンドロイドとの最大の違いであり、だからこそ他の女性型アンドロイドから敵視された。もちろん人間の女性からも敵視される。
最後は人工生命体と人間との共存の可能性を示して漫画は終わった。人工生命体の優劣を、その身体能力ではなく、気持ちや洞察力といった形で示したことが、なによりも私の記憶に残っている。
果たして人類は、心の優しさや包容力といった数値化しずらい能力まで人工知能として作ることが可能なのだろうか。最初に述べたように私は懐疑的だ。なぜって、現時点でさえ使いこなしているとは言いがたいものを、理想的な形で作れるはずがない。
それはそれで情けなく、また哀しいことでもあるのですがね。