少し前に、再読は避けるといいながら、ついつい戯言シリーズ全巻再読してしまった。
いや、それどころか外伝である零崎シリーズまで読んでしまった。先月末に一挙に4巻発売された零崎人識4部作である最終巻まで読んでしまったほどだ。かなり売れたようで、書店の売上ランクを独占していたので、目にした人もいるかもしれない。
でも、手にとって読んだ人は少ないでしょうね。若い人には絶大な人気を誇る戯言シリーズですが、大人とりわけ40代以上の年齢層だと、読まないケースの方が多いと思う。
イラストが目に付くライトノベルであることが最大の理由だと思うが、少しもったいない気もする。以前から書いているとおり、この著者の日本語の独特さは一読の価値はあると思っているからだ。
ところで、なぜに若い人たちから支持されるのであろう?
実のところ、私は分らなかった。もっと読みやすいライトノベルは数多ある。しかしながら、この戯言シリーズはくどい言い回しと饒舌に過ぎる長編であるにもかかわらず、若い世代から圧涛Iな支持を受ける。
外伝の最終巻を読んで、おぼろげながらその理由が分った気がする。
この戯言シリーズには異形の登場人物が沢山登場する。いや、登場人物の大半が異常なキャラクターばかりだ。むしろ普通の人のほうが少なくて、少ないゆえに目立つくらいだ。
理由なき殺人鬼、目的を持たない天才エンジニア、頭がいいだけの天才学者など、身近にいたら迷惑な人たちばかりが登場する。なかでも一見、普通の青年である主人公が一番異常だ。
人間失格といわれた理由なき殺人鬼から、もう一人の自分だと言われるほど異端の人間なのだ。第一巻はともかく、第二巻で私は、こいつ大嫌いだと公言できるほど、嫌な奴である。ちなみに呼び名は、いーちゃんである。嫌な奴、いーちゃんとは、著者もなかなかに皮肉屋だ。
並外れた、いや、度を越した頭のよさを持つ主人公は、それを自覚しつつも社会とのかかわりを避ける。逃げると断じてもいい。それどころか、他人との付き合いを避け、心を開くことをしない。しかも、それを巧みに誤魔化す狡賢さまで備えている。
その嫌な奴である主人公が、はじめて本音を叫び、逃げようと必死になり、本性を露にする。その主人公を立て直したのは、主人公が蔑む普通の人たちであった。普通の人たちの、当たり前の思いを受け止め、逃げるのではなく、自分の人生に堂々立ち向かうことを決意する。
自分は特別であると思っていた主人公が、ここで始めて普通の人間として、堂々向き会って生きることを決断する。これは自意識過剰であることが当たり前の青年が、大人への階段に足をかける第一歩なのだ。
この戯言シリーズが若い読者から支持されるのは、このあたりだと思う。若い頃は、どうしたって自意識過剰となる。自分は、自分だけは特別だと無意識にも考えたくなる。
この過剰な自意識を脱ぎ捨て、無防備な自分を社会にさらす覚悟が出来た時、それが大人への第一歩でもある。若い読者は、主人公の成長に自分を重ねてみているのかもしれない。
表題の作品中で、いーちゃんは虚飾の仮面を脱ぎ捨て、素顔で現実と向き合うことを決断する。私がシリーズ中、一番好きなのは、この巻であることは言うまでもない。
ライトノベル独特の漫画チックなイラストは、とりあえず無視して、一度は読んで欲しいと思います。
いや、それどころか外伝である零崎シリーズまで読んでしまった。先月末に一挙に4巻発売された零崎人識4部作である最終巻まで読んでしまったほどだ。かなり売れたようで、書店の売上ランクを独占していたので、目にした人もいるかもしれない。
でも、手にとって読んだ人は少ないでしょうね。若い人には絶大な人気を誇る戯言シリーズですが、大人とりわけ40代以上の年齢層だと、読まないケースの方が多いと思う。
イラストが目に付くライトノベルであることが最大の理由だと思うが、少しもったいない気もする。以前から書いているとおり、この著者の日本語の独特さは一読の価値はあると思っているからだ。
ところで、なぜに若い人たちから支持されるのであろう?
実のところ、私は分らなかった。もっと読みやすいライトノベルは数多ある。しかしながら、この戯言シリーズはくどい言い回しと饒舌に過ぎる長編であるにもかかわらず、若い世代から圧涛Iな支持を受ける。
外伝の最終巻を読んで、おぼろげながらその理由が分った気がする。
この戯言シリーズには異形の登場人物が沢山登場する。いや、登場人物の大半が異常なキャラクターばかりだ。むしろ普通の人のほうが少なくて、少ないゆえに目立つくらいだ。
理由なき殺人鬼、目的を持たない天才エンジニア、頭がいいだけの天才学者など、身近にいたら迷惑な人たちばかりが登場する。なかでも一見、普通の青年である主人公が一番異常だ。
人間失格といわれた理由なき殺人鬼から、もう一人の自分だと言われるほど異端の人間なのだ。第一巻はともかく、第二巻で私は、こいつ大嫌いだと公言できるほど、嫌な奴である。ちなみに呼び名は、いーちゃんである。嫌な奴、いーちゃんとは、著者もなかなかに皮肉屋だ。
並外れた、いや、度を越した頭のよさを持つ主人公は、それを自覚しつつも社会とのかかわりを避ける。逃げると断じてもいい。それどころか、他人との付き合いを避け、心を開くことをしない。しかも、それを巧みに誤魔化す狡賢さまで備えている。
その嫌な奴である主人公が、はじめて本音を叫び、逃げようと必死になり、本性を露にする。その主人公を立て直したのは、主人公が蔑む普通の人たちであった。普通の人たちの、当たり前の思いを受け止め、逃げるのではなく、自分の人生に堂々立ち向かうことを決意する。
自分は特別であると思っていた主人公が、ここで始めて普通の人間として、堂々向き会って生きることを決断する。これは自意識過剰であることが当たり前の青年が、大人への階段に足をかける第一歩なのだ。
この戯言シリーズが若い読者から支持されるのは、このあたりだと思う。若い頃は、どうしたって自意識過剰となる。自分は、自分だけは特別だと無意識にも考えたくなる。
この過剰な自意識を脱ぎ捨て、無防備な自分を社会にさらす覚悟が出来た時、それが大人への第一歩でもある。若い読者は、主人公の成長に自分を重ねてみているのかもしれない。
表題の作品中で、いーちゃんは虚飾の仮面を脱ぎ捨て、素顔で現実と向き合うことを決断する。私がシリーズ中、一番好きなのは、この巻であることは言うまでもない。
ライトノベル独特の漫画チックなイラストは、とりあえず無視して、一度は読んで欲しいと思います。