十代の頃に年長者から、お前たちはしらけ世代だと言われたことがある。
たしかにそうかもしれない。私が十代を迎えたときには、70年安保闘争は既に終わっていた。熱く激しい学生運動という激流は、無力感と敗北感という名の澱みにはまり、どろどろと蠢くだけになっていた。
「あなたは、もう忘れたかしら、赤い手拭マフラーにして~♪」と神田川のほどりで過去を懐かしむのは、老人ではなく若者だった。
社会人としての新たな門出を迎えても、「就職が決まって、髪を切ってきた時、もう若くないさと、君に言い訳したね~♪」などと、自虐的にふるまう若者が珍しくない時代だった。
たしかに白けていた。社会に向けて、熱い希望を夢見る時代ではなくなっていた。ただ、生きる術として会社に入り、給料をもらって生きるだけ。そんな風に、見られていたことは確かだ。
別に言い訳する気はない。でも、そんな上から目線で辛辣に評する大人たちが、学生運動の失敗を自分たちに押し付けていることぐらいは分っていた。そのくせ、反論する気概さえないのだから、白けていると言われても仕方ない。
そんな白けた時代に、突如として現われたのが表題の漫画だった。
とにかく熱い。猛烈な熱血野球漫画だった。理屈はよく分らないが、凄まじい魔球が唸りを上げて投じられる。それを迎え撃つバッターは、血の汗撒き散らしてバットを叩きつける。
あげくに影腹を切って試合に臨んだり、息も絶え絶えに走塁して、ホームを前に憤死したり、常識はずれの野球漫画であった。
今でこそギャクのネタにされる有様だが、私の記憶では当時の少年たちは夢中になって読んでいた。誰も、そのあまりに常識はずれの熱血具合を揶揄したりはしなかった。
しらけ世代といわれた私たちだったが、心の奥底には熱い思いが眠っていたのかもしれない。この漫画を読んで、野球をやろうと決意した少年はいないと思うが、その熱血をバカにするような白けた少年も当時はいなかった。
誰もが熱い情熱に憧れていたと思う。ただ、その情熱をそそぐ対象に恵まれなかっただけだ。
今だから分るが、当時の若者たちを虚無感に陥れたのは、大人たちの責任だ。アメリカの軍事的庇護下に守られながら、経済(金儲け)に奔走できる幸せを認識せず、現実離れした理想に邁進していた戦後の熱血世代こそが真犯人だ。
平和憲法などという誤魔化しに安住して、辛辣な現実から目を背け、麗しい理想(平等で差別のなく、戦争もない社会)に逃げ込んだ大人たち。現実に敗退した屈辱を直視せずに、出来もしない理想についてこない若い世代を白け世代などと蔑んだ。
大人たちが掲げる理想が現実的でないことを直感した若者たちが、しらけてしまうのは必然だと思う。社会に理想の実現を期待しなくなった若者たちは、政治や社会問題に目をそむけ、経済活動に邁進した。
その結果、バブル経済に突入してあぶく銭に溺れて、倫理観も社会的使命も喪失した。大人たちが若者に夢を与えることが出来なくなったつけが、不透明で活気のない社会を作り上げた。
ただ、過剰に熱血なだけの野球漫画が、今の時代にギャクの対象とされるのは当然かもしれません。
たしかにそうかもしれない。私が十代を迎えたときには、70年安保闘争は既に終わっていた。熱く激しい学生運動という激流は、無力感と敗北感という名の澱みにはまり、どろどろと蠢くだけになっていた。
「あなたは、もう忘れたかしら、赤い手拭マフラーにして~♪」と神田川のほどりで過去を懐かしむのは、老人ではなく若者だった。
社会人としての新たな門出を迎えても、「就職が決まって、髪を切ってきた時、もう若くないさと、君に言い訳したね~♪」などと、自虐的にふるまう若者が珍しくない時代だった。
たしかに白けていた。社会に向けて、熱い希望を夢見る時代ではなくなっていた。ただ、生きる術として会社に入り、給料をもらって生きるだけ。そんな風に、見られていたことは確かだ。
別に言い訳する気はない。でも、そんな上から目線で辛辣に評する大人たちが、学生運動の失敗を自分たちに押し付けていることぐらいは分っていた。そのくせ、反論する気概さえないのだから、白けていると言われても仕方ない。
そんな白けた時代に、突如として現われたのが表題の漫画だった。
とにかく熱い。猛烈な熱血野球漫画だった。理屈はよく分らないが、凄まじい魔球が唸りを上げて投じられる。それを迎え撃つバッターは、血の汗撒き散らしてバットを叩きつける。
あげくに影腹を切って試合に臨んだり、息も絶え絶えに走塁して、ホームを前に憤死したり、常識はずれの野球漫画であった。
今でこそギャクのネタにされる有様だが、私の記憶では当時の少年たちは夢中になって読んでいた。誰も、そのあまりに常識はずれの熱血具合を揶揄したりはしなかった。
しらけ世代といわれた私たちだったが、心の奥底には熱い思いが眠っていたのかもしれない。この漫画を読んで、野球をやろうと決意した少年はいないと思うが、その熱血をバカにするような白けた少年も当時はいなかった。
誰もが熱い情熱に憧れていたと思う。ただ、その情熱をそそぐ対象に恵まれなかっただけだ。
今だから分るが、当時の若者たちを虚無感に陥れたのは、大人たちの責任だ。アメリカの軍事的庇護下に守られながら、経済(金儲け)に奔走できる幸せを認識せず、現実離れした理想に邁進していた戦後の熱血世代こそが真犯人だ。
平和憲法などという誤魔化しに安住して、辛辣な現実から目を背け、麗しい理想(平等で差別のなく、戦争もない社会)に逃げ込んだ大人たち。現実に敗退した屈辱を直視せずに、出来もしない理想についてこない若い世代を白け世代などと蔑んだ。
大人たちが掲げる理想が現実的でないことを直感した若者たちが、しらけてしまうのは必然だと思う。社会に理想の実現を期待しなくなった若者たちは、政治や社会問題に目をそむけ、経済活動に邁進した。
その結果、バブル経済に突入してあぶく銭に溺れて、倫理観も社会的使命も喪失した。大人たちが若者に夢を与えることが出来なくなったつけが、不透明で活気のない社会を作り上げた。
ただ、過剰に熱血なだけの野球漫画が、今の時代にギャクの対象とされるのは当然かもしれません。