ヌマンタの書斎

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グローバリゼーション人類5万年の旅 ナヤン・チャンダ

2010-11-29 13:50:00 | 
言葉の定義は難しい。

とりわけ一度、ある一定のイメージが付いてしまった言葉は、そのイメージに拘泥されて、本来の意味が失われることがある。

私にとっては「グローバリズム」が、その代表例だ。私の理解では、要は欧米の多国籍企業を中心とした資本家たちが、自分たちが売りたいものを自由に売りさばく自由を追求するための方便がグローバリズムなのだ。

グローバリズムが推し進められた背景は、先進国においては、これ以上市場開拓の余地が少なく、未開発の市場である途上国こそが、これからの富を産みだす可能性を秘めている。だが、既成勢力が市場を囲って離さないので、グローバリズムを押し付けて、市場開放を促す。

まさに欧米の強欲そのものであり、欧米自体が行き詰っていることを示している。私はそう理解していた。しかし、表題の本を読んで、だいぶ印象が変ってきた。

グローバリズムを全体化、あるいは拡散化と考えてみると、実はそれは5万年前にアフリカの地を出て世界中に広がった人類の基本的行動様式だとも規定できる。

有史以前から人類は、在る地から他の地へと移住を進め、未開の地を切り開くこともあれば、既に先住者が居る地に入り込んで、様々な抵抗を押しのけてまでして動いてきた。

住み易い環境ならば、その地に定住し、住みづらくなると移住して新たな生活地を求めてきた。やがて文明を発達させると、交易という名のグローバリズムを志向するようになってきた。

ただし、当時の技術では移動手段は主として徒歩であるがゆえに、グローバリズムはゆったりとしたものであった。ゆったりとはしていたが、それだけに断固たる決意の下で行われてきたため、移動先でのトラブルは必然でもあった。

新たな地を求めることは変化であり、それに抵抗する側は安定を求めてきた。そして歴史は多くの場合、前者が勝ち残ってきたことを教えてくれる。

表題の書は、アメリカに移住したインド人の視点で、グローバリズムについて新しい解釈を与えてくれた。さすがにインド人、その視点はユニークであると同時に、古い歴史をもつがゆえに欧米化を絶対視しない客観性をも持ち合わせている。

今後、人類が進むべき方向性を模索する上で、きわめて重要なサジェスチョンが多く含まれていると思うので、機会がありましたら是非どうぞ。
コメント
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