このまま乗り過ごしてしまおうかな・・・
帰宅途上のことだった。丁度、事件の真相と犯人が判明しそうな場面で、降りるつもりの駅のホームに電車が着いた。あまりにいい場面なので、思わず乗り過ごそうかと思った。しかし、断腸の思いで本を閉じ、夕飯の買い物もそこそこに家路を急ぐことにした。
そんな気持ちにさせられたのが表題の作品。最近エンターテイメント路線に傾倒している西尾維新が初期の頃に発表した本格ミステリー作品だ。
ミステリーとしては悪くない。探偵役の保健室引きこもり娘の饒舌には参るが、そのトリックと解明のプロセスは悪くない。殺人事件であるにも関らず、警察がほとんど顔をみせないのも新鮮ではあるが、これじゃ迷宮入り間違いなしだ。それだけ厄介な構造を抱えた事件でもある。
その原因は、思春期の男女の複雑な気持ちにこそある。恋愛感情と友情とのせめぎ合いは、思春期の若者にとって正解があるようで無い超難問であるのは、いつの時代でも変らないのだろう。
恋愛感情はいとも容易に憎悪へと姿を変え、その鎮静薬を果たす友情は何故か真直ぐには効き目が無い。どこかでひねくれて、どこかで捻じ曲がり、その癖いつのまにやら答えを導き出す。
思春期の男女は、繊細すぎて壊れやすい粘土細工にも似ている。いくらでも形を変えることが出来そうで、その癖ある一線を超えると壊れてしまう。決して固まらず、さりとて消え去ることもない。
人間形成が未熟で、それでいて迸る才覚がきらめきを見せる不思議な年代。それが思春期なのだろう。
実際は知らないが著者は、おそろしく無口な人なのかもしれない。無口な人ほと、心の中では多弁であることが多い。その口には出ない多弁が、文章として描かれると、恐ろしく饒舌な文章になる。
はっきり言って無駄な文が多いと思うが、それさえも未熟さと鮮烈さが同居する若者の特権にさえ思える。この饒舌な文章が嫌いでないのなら、西尾維新はけっこう面白いと思う。
でも万人向けの文ではないな。癖ありすぎだもの。あたしゃ好きですけどね。