ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

からくりサーカス 藤田和日郎

2011-02-16 12:30:00 | 

神は絶対無二の存在なのか。

子供の頃から聖書に親しみ、キリスト教徒としての意識を育んできた私にとって、最大の違和感は神が絶対的な存在として規定されていることだった。

これはキリスト教に限らないが、ユダヤ教やイスラム教のような一神教では、神は絶対無二の存在とされる。他の神の存在を認めない。

このことが、子供の私にはどうしても承服しかねた。旧約聖書を読めば分るが、ユダヤの民は神ヤーウェと契約することにより、神の信者となった。この契約によりヤーウェのみを神と定め、他の神々を廃した。

廃された神々は悪魔とされ、今日に至る。なんのことはない、他にも神がいたことを聖書が認めている。その神々を排除したのは、ヤーウェとの契約によるものに過ぎない。すなわち排他的独占契約に他ならない。

なんて欲の強い神なのだろうと、子供心に違和感を抱いた。もっとも神の愛を信じるイエスを疑う気持ちにはなれず、ユダヤ教やイスラム教とは違うと思い込んでいた。

ところが歴史、とりわけ世界史を学べば学ぶほど、キリスト教の独善と排他的性格が気になるようになった。イエスが体現した寛容性の欠片も感じられないキリスト教の振る舞いには、どうしても馴染めなかった。

地球には人間に限らず、様々な生き物が生きている。地球は人間のためだけにあるのではない。いくら絶対神との契約があろうと、人間が、人間だけが地球を好き勝手していいわけない。

第一、神は本当に人間のためだけに存在しているのか。犬には犬の神が、カブトムシにはカブトムシの神がいるのではないか。一神教が奉じる神は、すべての生き物に対して存在するわけではあるまい。

生き物は、自然は、多種多様な構成によって織り成されてきた。断じて一種類の生き物によって織り成されてきたわけではない。

そう考えると、ただ一つの絶対神しか認めない宗教は、かなり特異なものだといわざる得ない。特異だからこそ、強烈な存在となりえたのだろうが、どこかに無理がある。

その無理が、産業革命を生み出し、全地球に人類の経済活動の金字塔を打ち立てることに成功した。そして、全地球規模の環境汚染を引き起こし、温暖化、砂漠化などの難題を生み出した。

たった一つの価値観に囚われることは、そこに極限的な集中と寡占を生み出して、それなりの成果を挙げるのだろうが、やはり無理があるように思う。

一つの価値観に縛られると、他の価値観の意義を認められなくなる。多様な価値観の並存こそ、本来あるべき姿なのではないだろうか。

表題の漫画は、長い間週刊少年サンデーに連載されていた。あまりに長すぎて、途中の印象が薄れているが、それでも記憶に残ったのは、あまりに強すぎる想いは人を幸せにしないってことだった。

率直に言って、この著者も強烈な想いを込めて漫画を描くタイプだ。様々な想いが詰め込まれてしまって、主題が曖昧になった側面は確かにある。

たった一人の少女の笑顔が欲しくって、どうしても欲しくって、そのために仕出かしたことが、全世界に不幸をばら撒く結果となった。

そんな不幸な世界で、みんなの笑顔が見たくって頑張ってしまった主人公の苦闘と成長は、是非一度は御覧になって欲しい。でも、40巻を超える長編漫画なので、無理にお薦めはしません。

コメント (7)
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