ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

新燃岳噴火で思い出したこと

2011-02-18 12:16:00 | 日記
今年にはいって火山噴火を起した新燃岳。

私はこの地域を二度ほど訪れている。初めての訪問は、小学校1年の夏の家族旅行だ。えびの高原と霧島連山を散策したことを覚えている。そして二度目は、大学一年のワンダーフォーゲル部での春合宿だ。

記憶に新しいのは大学の時だが、実はあまりよく覚えていない。天候に恵まれず、ほとんどガスのなかを歩いたせいで、きりしま連山の火口も、ほとんど見れなかった。だから今回の噴火で新燃岳の名を聞いた時も、すぐには思い出せなかったぐらいだ。

一方、未だに忘れがたいのが40年前の家族旅行の時のことだ。えびの高原にあるホテルに宿をとったのだが、最初に案内された部屋を、母が異常に嫌がった。

たしかに古い建物ではあったが、洋風であり、清潔な部屋であったと思う。ところが母が奇妙なぐらいに嫌がった。「こんな古臭い部屋は嫌だ」とゴネて、結局他の部屋に移った。

私の知る限り、母がこのような我が侭を口にしたのは初めてだ。母と旅行したことは何度もあったが、部屋を変えるなんて騒ぎを起したのは、このとき限りだと思う。

どうも、母のお化けレーダーがなにか感知したらしい。

私は自他共に認めるお化け音痴、お化け不感症なのだが、この時の母の騒いだ原因が床の間にあったことぐらいは、なんとはなしに気がついた。

正確には床の間の上の空気が重いのだ。多分、元々は和風の部屋だったのだろう。それを改築して洋風の部屋にしたようだが、なぜか床の間が残されていた。

その床の間には、磨かれた古木の横木が頭上に渡されていたのだ。いたずら好きな私は、その横木に登ってぶら下がろうとしたのだが、床の間に立った途端にやる気が失せた。

高すぎて、届かないからではない。なぜか気持ちが重くなったからだ。よく分らないが、その場に居たくない気持ちになった。母が騒ぎ出したのは、その直後だったと思う。

あの時は、まったく思いつかなかったが、あの横木、紐をわたせば首吊りに最適ではないか。

40年前のことであり、記憶もあやふやだが、印象が強かったので間違いないと思う。多分、母はなにか見たか、感じたのではないか。

昨年来、寝たきりの状態が続く母に訊ねるのも気が引けるので、確認する気はない。多分、思い出したくも無いだろうし、そういうことは分らないと、とぼけるだろう。

お化けを見たこともないし、背筋が凍るような思いをしたこともないお化け鈍感症の私が、それでも感じた怪しい気配。それがえびの高原のホテルであった。それだけに忘れ難い。
コメント (1)
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