民主主義は目的ではなく、手段だと考えるべきだ。
先月だが、アフリカのチェニジアにおいて政変が起きた。長きに渡り独裁政治が行われてきたが、貧富の差の拡大と未来に希望が持てぬ絶望が、大衆をデモに走らせた。デモの主力は職を持たぬ若者たちだ。新聞TVといった既成のマスコミは、政府の管理下にあったがインターネットは違う。
インターネットと携帯電話が、チェニジアの若者たちを反政府デモに駆り立てる手段となった。それを大人たちまでもが支持したがゆえに、チェニジアは政変を止む無くされた。
確認したわけでもないが、イスラム政体の国家で宗教の煽動ではなく、民衆の自発的行動が政体の改変を引き起こした例は稀だと思う。いや、前代未聞だと言っていい。
この結果を恐れたのが、他のイスラム諸国だ。自国への波及を恐れ、自国民への自制を求める報道が相次いだが、既に遅かった。それがエジプトでの大衆デモだ。
長きに渡りエジプトを支配したムバラク政権は、今危機的状況にあり予断は許さない。この事態を注視しているのが、他でもないアメリカだ。エジプトはアメリカの中東政策においてサウジと並ぶ重要拠点だ。
この地の大衆が、反政府運動を行い、その結果として反米国家が出来る可能性は、決して低くない。民主主義に基づき投票をすれば、反米を主張する候補者が勝つ可能性は高い。
民主主義の擁護者を気取るアメリカには、まったくもって皮肉なことだが、民主主義の原理は大衆の欲望の実現化(多数決原理)であり、場合によっては独裁政治を生み出す土壌にもなりうる。忘れちゃいけない、ヒットラーは民主主義の下で生まれたことを。
では、何故イスラム諸国の大衆は反米を叫ぶのか。それは欧米流の近代化が、必ずしも幸せな暮らしを保証してくれるわけでない現実に気がついたからだ。
元々、欧米流の近代化は中世以来の伝統社会を打破することによって産まれた。伝統や慣習よりも、論理や科学を重んじ、合理的な社会を自らの判断で作り上げる思想でもある。
この科学的な思考が、産業革命の土台であり、欧米の産業の生産力を爆発的に増大させ、過剰消費社会を作り上げた。この有り余るキャパシティを埋めるため、新たな市場としてアフリカ、アジアへの侵略が推し進められた。
以来、イスラム社会は欧米の工業生産物に圧唐ウれ、欧米に追いつくため近代化を受け入れざる得なかった。しかし、近代化を受け入れれば、受け入れるほど伝統的なイスラム社会とは齟齬が目立った。
それでも近代化の豊かさを享受できるうちは我慢できた。しかし、イスラム社会は工業化を受け入れるよりも先に、原油という化石燃料の輸出で富を享受してしまったがゆえに、その富みは一部に限定されてしまい、貧富の差は絶望的なまでに開いた。
その絶望が今回の暴動に火をつけた。
チェニジアに始まり、エジプトに波及した今回の暴動に、イスラム諸国は怯えている。強権的に国民を押さえつけてきた国ほど脅威を感じている。
元々情報を政府に管理されることの多い地域だが、インターネットや携帯電話がその情報管理を危うくしている。不満を抱えた国民を押さえつけようとすればするほど不満はたまる。
その不満の原因たる貧困問題に解決の道筋をつけるのが、もっとも正しい解決策だが、どの国もその道筋をつけることが出来ずにいる。
国民もそのことは分っている。だから不満の矛先を政府に向けるが、その背後には欧米主導の国際市場経済があることをも分っている。だからこそ、選挙で多数決をとれば反アメリカ、反近代化の主張が大勢を占める。結果的にイスラム原理主義の政権が出来る可能性が高い。
欧米はアジア、アフリカ、イスラムに対して民主化を求めてきたが、その民主化が反欧米を求める皮肉な現象を甘受できるのか。
世界各地に軍事拠点を持つ新しい世界帝国であるアメリカにとって、エジプト、サウジアラビアは中東政策の要だ。イスラエルの後見を任じるアメリカにとって、反米イスラム原理主義政権の存在は、容易に許せるものではない。
枯渇を迎えつつあるとはいえ、未だ世界の原油の過半を握る中東は、21世紀も不安定な地域となる可能性は高い。日本政府もマスコミも、他人事のように眺めているのが、あまりに無責任すぎると思う。
中東からの輸入原油は日本の生命線。この現実を忘れてもらっては困ります。