ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

セミと温暖化

2018-09-06 17:13:00 | 社会・政治・一般

クマゼミの鳴き声は大きい。

子供の頃、夏休みの楽しみといえば、やはり虫取りであった。王道はカブトムシであるが、こいつらは夜でないと捕まえにくい。その点、セミは昼間に捕まえられる。

ただし、簡単には捕まえられないのが蝉取りの醍醐味であった。まず、セミの居場所を調べる。これはセミの鳴き声から場所を推定することから始まる。

当然ながら、セミの鳴き声を聞き分けることが必須である。東京だと夏の時期に鳴くセミは、ニイニイゼミ、ツクツクホウシ、アブラゼミ、ミンミンゼミが定番であり、これにヒグラシが加わる。

これらのセミの鳴き声を探り、場所を特定するところから、セミ取りは始まる。セミって奴は、非常に目がいい。人の動きに敏感なので、基本抜き足、差し足、忍び足となる。

セミって奴は異常に視力が発達している。ただし、動きに対して敏感なだけで、止まっているものに対しては鈍い。だから虫取り用の竿を、ゆっくり、ゆっくりと動かして、最後に竿をしなるように高速で動かして捕まえる。

これがセミ取りの醍醐味である。もっとも7割がたは接近中に察知されて失敗する。如何にセミに気が付かれずに接近するかが勝負であった。子供の頃の私にとって、夏休み最大の挑戦が、如何に多くセミを取るかであったほどだ。

だから、大人になり、セミ取りをしなくなっても、セミについては割と気にかけている。そして、気が付かざるを得ない。セミの種類が少し変わったことに。

まず第一に、ツクツクホウシの声を聴かなくなった。ニイニイゼミの鳴き声も、もう数年聴いていない。代わって増えたのがクマゼミである。

私が初めてクマゼミの声を聴いたのは、九州の林の中であった。家族で遊びに行った宮崎の山の中で、初めて聴いたクマゼミの声の大きさに驚いたことは、今でも覚えている。

そのクマゼミの声を自宅周辺で聴くようになったのは、ここ十年くらいではないかと思う。鳴き声の大きいアブラゼミやミンミンゼミの声に混じって、クマゼミの声は響き渡る。

その一方で、ツクツクホウシやニイニイゼミの声を聴くことはない。私の自宅周辺は、都内屈指の寺町であるせいで、木々がとても多い。それらの木の植生が大きく変わった訳ではないので、やはりこの変化の原因は温暖化ではないかと思う。

この夏は誰もが異常に感じるほどの暑い夏であることは異論のないところだと思う。台風が来たのでもないのに、数十人の死傷者が出るほどの豪雨が降ったりと、異常気象を実感している人は多いと思う。

だからこそ、私は日本の新聞TVに違和感を感じる。なぜに温暖化の報道を厭うのか。温暖化のニュースを報じると、原子力発電の再開を促すとでも思っているのであろうか。

現在の日本の発電を支えているのは火力発電である。しかも、既にメンテナンス時期を超えて、無理に稼働している火力発電所が多数ある。メンテをしたくても、発電所を止めないとそれは出来ない。

止まっている間だけでも原発を稼働せねば、日本の電力需要を満たせない。しかし、原発の稼働が議論に上がることさえ厭う、反原発教とでも言いたくなく頑迷な人々も少なくない。

今さらの話だが、日本の多くの新聞TVは、原則として原発に対して否定的である。それこそ、信念としての反原発である。ちなみに、この反原発を、「反・憲法改正」「反・米軍基地」に置き換えてみれば、長年変わっていないことが良く分かる。

信念はけっこうだが、現実も観て欲しいものだ。温暖化は確実に進んでいる。火力発電所だって、最新のものにすれば、CO2排出量はかなり抑制される。ただ、火力発電所は設置場所が限定される。海外から石油、石炭、LPGを輸入する日本では、海沿いの港近くでないと火力発電所は設置できない。

そして、その場所は既にある火力発電所が占有している。私は現行の原子力発電システムは欠陥品だと思っているが、それでも一時的にでも稼働させないと、古い火力発電所を取り壊して、新しい高性能な火力発電所を作れないことぐらいは分かる。

形あるものは、いずれ壊れる。火力発電所も適切なメンテナンスをしなければ、いずれ大規模な故障が発生する。それが、真夏の最中であったら、どうするのか。

私にはクマゼミの鳴き声が、頑なな人たちへの警鐘に聴こえることがる。原発が嫌なら、それに替わり得る電源を作るべき。さもなければ、電気に依存しない社会でも提唱してみろ。

ただ反対するだけでなく、議論さえ避ける反・原発論者の頑迷さには怒りを通り越して、呆れるばかりです

コメント
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