子供を政治の道具にするなと言いたい。
国連の議場で環境問題について勇ましく語るグレタ嬢の姿に、どうしても違和感を禁じ得なかった。別に子供が政治を論じてはいけないなんて思わないけど、子供には子供の分というものがあるだろうと思っている。
政治的発言の自由を行使したのならば、それに伴う義務はどうするのだ。未だ学生であるグレタ嬢に、その義務を求めることは相応しくない。
環境問題をアピールする手法として、可哀そうな動物、純真な子供の映像を使う事には、相当な効果が見込まれる。だからこそ、彼女の映像は世界を駆け巡ったのだと思う。
その一方で、子供を政治の道具にする大人たちの遣り口に、どうしても嫌悪感が湧くのを否めない。そもそも、この御嬢さんの親御さんは親として、子供を学校に通わせる義務を放棄していることを、どう思っているのだ。
いや、親も確信犯なのか、それとも単に利用されているだけなのか。いずれにせよ、私には好ましいことのようには思えない。
なぜかといえば、義務を伴わない権利を主張する自由だけを満喫した子供は、大人になっても同じことを繰り返すからだ。米ソの冷戦時代、似たようなことは幾つも散見した。
私とて、原爆禁止を訴える子供たちの祈りの象徴として、千羽鶴を折って国連本部に届ける活動に協力した過去がある。子供心に千羽鶴が原爆禁止に繋がるわけないよなと思っていたが、周囲の熱意にほだされて協力してしまった。
私はその後、その活動から遠ざかってしまい、政治に関する関心を失った若者として成長した。あれから数十年、日比谷公園などで戦争反対とか、ヘイトスピーチ禁止などと騒ぐ市民グループの中に、かつての仲間を見つけた時の嫌な感じは忘れがたい。
お前、まだそんなこと、やっているのかよ・・・
同窓会などの噂で、正社員にもならず、非正規の仕事を繰り返していると聞いている。たまたまかつて住んでいた街を訪れた際に、気になって知人の家の近くを通りかかったが、ただ古くなっただけの家を見つけて、ちょっと唖然としてしまった。
私が参加していたある集団では、若きリーダーとして将来を嘱望されていたはずなのだけれど、今では薄汚れたスーツ姿が哀れを誘う中年おじさんらしい。
割と見目が良かった彼は、女性にもけっこうモテていたはずなのだけど、学生運動に身を入れ過ぎて、かえって浮いていたらしい。大学には行かず、某政治組織に入っていたらしい。でも、今はそこを離れていると聞いている。
お前、なにやっているんだよ。
彼が自身の人生をどう思っているのかは知らない。ただ、彼がそのような人生を歩むきっかけは、小学生の頃から反米デモに参加したりして、周囲の大人たちからマスコット的な扱いを受けていたことだと思う。
私も似たような立場にあったが、喋るのが下手で、人前に出るのが厭であったから何時も裏方であった。だから地味な私はあっさりと、そのグループから抜けることが出来た。また私を政治運動から引き離してくれた大人がいたことも幸いだったと思う。
でも、彼は自他ともに認めるスター気分であったのかもしれない。だから抜けるなんて思いもよらなかったのだろう。
子供をバカにする気はない。でも、社会経験も未熟で知識が、知恵にまで至らない子供を政治活動に引き込むことは止めたほうが良いと私は確信しています。グレタ嬢もはやく学校に戻りなさいな。それを薦めない大人が一番悪いのですけどね。