ヌマンタの書斎

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プロレスってさ ハーリー・レイスの死去

2019-10-17 15:11:00 | スポーツ

悪い子はサーカスに売り飛ばされるよ!

こんな風に怒られた子供は、今となってはいないと思う。でも日本でもかつては、こんな風に子供を叱る親がいたらしい。

私は決して良い子ではなかったと思うけど、サーカスに売り飛ばされると怯えた事はない。母にもそのように云われた記憶はない。でも、何故だが覚えている科白なのだ。

どこで聞いたのかは、覚えていない。TV漫画の「タイガーマスク」かもしれないが、もしかしたら江戸川乱歩の少年探偵団シリーズだったかもしれない。

まだ高度成長前の日本では、子供の数は多く、小学校を出ると丁稚奉公に出されることは珍しくなかった。たぶん、その頃には本当にサーカスを演じる団員の弟子として、子供が売られることはあったのかもしれないと思っている。

興味深いことに、似たような話がアメリカにもある。ただしサーカスではなくカーニバルである。TVはもちろんラジオさえ普及していなかった開拓時代のアメリカにおいては、各地を巡業するカーニバルは人々の数少ない娯楽であった。

アメリカのカーニバルでは、即席で作られた手動式の観覧車や、奇形の人たち(フリークス)を展示する見世物小屋、射的場、ポップコーン売りなどがあり、子供たちにせがまれて家族が訪れる代表的な娯楽であった。

そのカーニバルにおける目玉興行の一つがプロレスであった。実はアメリカにおけるプロレスの発祥は、カーニバルが原点の一つだとされている。

基本的には人相の悪い悪役と、人の良さそうな善玉役が試合をして、逆転勝ちで善玉が勝利して観客を喜ばせる。ただ、そこはアメリカである。時々、地元の腕自慢が「俺にもやらせろ」と割り込んでくることがある。

これを断っていたらプロレスは信用ガタ落ちである。だからカーニバルには、必ず一人は本当に腕っぷしの強いレスラーを雇っていた。いや、レスラーというよりも用心棒といったほうが適切であろう。

なにせ強いこと=正義であるアメリカである。大柄で喧嘩っ速い荒くれ者には不足しない。だからカーニバルレスラーには、相当な実力者がいることは珍しくなかった。

もっとも20世紀になり、映画とその後のTVの普及が、カーニバルへの需要を大きく減らしてしまっている。それでも、今もカーニバルは健在だというから、アメリカの古典的大衆娯楽なのだろう。

ところで、このカーニバル出身だと噂されたのが、8月に亡くなったハーリー・レイスである。長くNWAの世界チャンピオンを務めたので、往年のプロレス・ファンには忘れがたい名レスラーであった。

レイスのあだ名は「ハンサム」である。率直に言ってハンサムとは程遠いし、むしろ強面のオジサンであった。でも同業者から馬鹿にされることは、まずない人である。

何故なら裏では「喧嘩番長」と呼ばれる怖い人であったからだ。荒くれ者の多いプロレスラーであるから、もめ事は日常茶飯事である。だが、評判を落とすようなもめ事は、なによりプロモーターが嫌う。

だからこそ、もめ事にレイスが仲介に入ると、ほとんどのレスラーは委縮してもめ事を治めてしまう。格闘技の経験こそないが、ナイフから拳銃まで飛び出すような修羅場を潜り抜けた強者であるレイスに逆らうレスラーは滅多にいなかった。

ただし、レイスはプロのレスラーである。だからプロレスの試合では、けっこう負けたりしている。チャンピオンの座から転がり落ちたのも、かなりの数に上る。だからファンからすると、たいして強くないチャンピオンである。

でも、プロモーター(興業主)からすれば、地元の期待の若手に華を持たせる試合も、快く受けてくれる重宝なレスラーである。でも、たとえ負けてチャンピオンの座から転落しても、レスラー仲間から軽視されることは決してない。

なぜならガチで強いからだ。それでもレイスがプロレスの試合で、本気を見せたことはほとんどない。あるとしたら、場外乱闘に持ち込み、会場を離れて観客の目につかない控室に入ってからだ。

私は一度だけレイスが本気を見せた場面を見たことがある。それは黒い呪術師と異名をとったアブドーラ・ザ・ブッチャーとの試合であった。ブッチャーは黒人に対する蔑視差別が当たり前の時代に、敢えて白人レスラーをいたぶる試合で人気を博した実力派の悪役レスラーである。

ブッチャーは喧嘩の強さには定評があっただけに、敢えてレイスに逆らったらしい。激怒したレイスだが、そこはプロ。陰惨な喧嘩は決して観客には見せない

。体重160キロを超えるブッチャーを引きづり回して、控室への通路に消えていった後ろ姿は、まさに赤鬼であった。

もっともブッチャーもそこから本気を出したらしく両者とも負傷し、その後は欠場する有り様で、プロモーターであるジャイアント馬場が苦り切っていたのが印象的であった。

でもね、この後この二人の遺恨はファンの間に拡散して、次からは観客が押し寄せる目玉カードになっていました。二人とも無類の喧嘩強者でしたから、その試合の乱闘ぶりは凄まじかったです。

多分、欠場したことを悪いと思った二人が、馬場への義理を返すため遺恨試合を繰り返して、盛り上がりに協力したのだと思います。でも3割くらいは、二人とも本気だったんじゃないかなぁ。そのくらい迫力ある乱闘でした。

私は、本来乱闘試合は好きではないのですが、この二人の乱闘だけはけっこう評価しています。だって、普通二階席まで乱闘を続けたりしませんからね。どこまで本気で、どこまでが演技だか分かりませんけど、すんごい試合でした。でも、名試合ではないと思います。まぁ二人とも喧嘩には自信があるだけに、演技で済ませなかったのでしょう。

そんなレイスも病には勝てず、この夏に逝去。また一人伝説のレスラーが消えてしまいました。合掌。

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