グレート東郷といえば、太平洋戦争後のアメリカにおける典型的な悪役レスラーである。
とにかく徹底して観客の罵声を浴びることを目的とするスタイルであった。
従者を伴い控室からリングにゆっくりと上がり、清めの塩を盛り、妙な儀式をして時間を使う。今か、今かと試合のゴングを待つ観衆を尻目に、対戦相手の白人善玉レスラーに丁寧なお辞儀をして、ようやく試合が始まる。
ゴングが鳴れば、そこからは一転して徹底的な悪役ぶり。塩で目つぶし、急所を打撃、凶器で正義の善玉役である白人レスラーをいたぶる。激高する観客に対し、憎々しげに勝利をアピールして、もう会場は興奮の坩堝に投げ込まれた状態である。
「リメンバー・パールハーバー」と叫ぶ観客の声に応えるかたちで立ち上がる白人レスラーに、観客は期待の声援を送る。
そこから正義の白人レスラーの堂々たる反撃が始まる。碌な反撃も出来ずに逃げ回り、最後は土下座して許しを請う様に、観客は拍手喝采である。鷹揚に許して、観客に勝利を告げようとする白人レスラーの背後から襲いかかるグレート東郷。
うずくまる白人レスラーを憎々しげに見下ろし、観客に向けて「リメンバー・ヒロシマ」と叫び、もう会場は暴動勃発3秒前の危険な状態である。
しかし、再び立ち上がった白人レスラーは、反則覚悟の鉄拳制裁でグレート東郷を叩きのめす。もう観客は歓喜に沸きあがり、「U・S・A~♪」の大合唱である。
こうしてグレート東郷は、全米各地のプロレス会場を大入り満員にして、プロモーターを歓喜させた。ホテルの一室では、さきほどまで正義の雄たけびを上げていたはずの白人レスラーが、グレート東郷の前で直立不動で感謝を述べる。
その部屋の廊下では、他の白人レスラーたちが次の対戦相手には是非、自分を指名してくださいと列を為す。こうしてグレート東郷は巨万の富を築き上げたと云われている。
グレート東郷は力道山が始めた日本プロレスにとって重要な協力者であった。彼が有力な外人レスラーを日本に送り込んでくれたからこそ、日本のプロレスは人気を得たと評しても良い功労者でもある。
ところが日本側では、グレート東郷はケチとして悪名高い。彼を知る人で、褒める人はほとんどいない。曰く、約束を違える、支払いが悪い、横暴で非協力的だと悪口ばかりが並べられる。
プロレスの世界では、どちらかといえば善玉レスラーよりも悪玉レスラーに良い人が多いと云われている。特に私生活に於いては紳士であり、知名度の高い事業家として知られたタイガー・ジェット・シンなんかは有名だ。もちろん例外はあるが、悪役レスラー=イイ人説は、プロレス・ファンの間では常識である。
しかしグレート東郷は違う。ジャイアント馬場を始めとして、アメリカ巡業で世話になった日本人レスラーは多いが、彼を良く言う人は皆無だ。唯一悪口を言わなかったのが力道山その人である。
そのこともあってか私は長い間、グレート東郷は日本人ではなく、半島出身者ではないかと思っていた。だが、インターネットが発達し、情報があり溢れる今日にあってもグレート東郷は謎多き人であった。
熊本出身の日系二世? 奥さんが中国系アメリカ人? 実のところ真相は闇の中である。おそらくは、オレゴン州の日系2世との話が一番可能性が高い気がする。そんなグレート東郷を追いかけた力作が表題の作品である。私の知る限り、岩波書店が初めて取り上げたプロレス本である。
著者はどちらかと言えば左派系の映像作家であるが、近年はルポタージュに力を入れている。まぁ、ぶっちゃけ左派系の映像の需要が減っているせいでもある。この企画も当初はNHKなどでのドキュメンタリーとして売り込んだが採用されず、書籍として刊行されたものだ。
少し偏った視点の著者だが、企画としては悪くない。私自身、試合は観たことがまったくないにも関わらず、その名前だけは知っていたグレート東郷の隠された部分にスャbトを当てた視座は興味深い。
ある意味、プロレスという興業の目に見えない部分を理解するには最適かもしれない。力作だと思うけど、最後まで謎を解明できなかったあたりが、この著者の力量の限界かもしれません。途中で企画がずれたせいもあるとは思いますけどね。