ヌマンタの書斎

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聖徳太子と斑鳩 千田稔

2019-10-28 12:02:00 | 

古代の日本、とりわけ6世紀ごろの日本の歴史ほど厄介なものはない。

日本書記という資料があるのだが、これが危うい。作成を命じたのは兄(天智天皇)の子を殺して天皇の座に就いた天武(大海人皇子)である。そして、実際に書いたのは、藤原家500年(!)の繁栄の元を築いたあの藤原不比等である。

日本書記の内容に、当時の権力者たちの作為がない訳がない。その作為をないものと見做しているのが、従来の日本の歴史教科書である。いや、基本的にそれしかあり得ないのは分かる。

子供の教育に使う教科書ならば致し方ない。だが、少なくても大学などの高等教育の場では、日本書記=絶対という視点はオカシイ。そのオカシイことを平然と見過ごしてきたのが日本である。

さすがに明治時代から、大学教授などの専門家筋ではいろいろと議論がされてきたのは事実だ。しかし、それが一般化したのは、やはり戦後のことである。それは今も現在進行形である。

私も素人の歴史好きの一人として、自分なりに勉強してみて、自分の考えを持ちたいと思っている。もっとも今も勉強中の身である。読むべき本も非常に多く、正直閉口している。

だから、少し視点を変えてみようと思っている。表題の書も、そのために読んでみた。

ただ、このタイトルはいただけない。聖徳太子に関する著述は最後の方だけである。知名度のある聖徳太子をタイトルにもってきたのは、編集者の入れ知恵なのかもしれない。

元々著者は生粋の学者であるせいか、読み物としてはあまり面白みに欠けるので、余計な入れ知恵をしたのだろうと思う。たしかに面白い読み物ではないと思う。しかし、そこは専門の学者だけに、興味ある視点からの記述は面白かった。

私もこの本を読むまで、軽く忘れていたのだが、日本が大陸から輸入したのは仏教や儒教だけではない。道教、いわゆる神仙思想も輸入している。この観点からの装飾品の由来を考察している点などは、けっこう参考になった。

この本が刊行された契機は、あの藤の木古墳である。そこから発見された装飾品の模様から、朝鮮半島と山東半島のつながりを導き出した視点は、さすがだと思う。やはり専門家の見方は一味も二味も違う。

だから聖徳太子を持ち出すのは余計だと思う。まぁ一般受けするのは、聖徳太子だと分るけど、この場合むしろ内容を薄めてしまう。そこが残念な一冊でした。

コメント
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