確証はないが、私がアメリカ人以外で初めて出会った外国人はシナ人、それも台湾人であった。
それは二度目の転校で出会ったクラスメイトであった。当初は外国人だと気が付かなかった。ただ名前がちょっと日本離れしていたので、あれれ?と思っていた。後で他のクラスメイトから、彼は台湾の人だと聞かされて納得した。
今、思い返しても彼は不思議な人だった。決して孤立している訳でもないのだが、どこか一人だけ別の世界で生きている感じがした。付き合いの長いクラスメイトとは普通に接していたし、荒ぶるでもなく、無口でもない。
でも、同じ空間に居ても、彼だけ少し違う空気をまとっている気がしていた。誰とでも普通に接するが、誰とも親しくなかったように思えてならなかった。
中学が別であったので、その後の消息は知らない。だが表題の書を読んで、最初に思い浮かんだのが彼のことであった。
よく同じ日本の植民地であっても、韓国は反日で、台湾は親日だと言われるが、そんな簡単に分けられるほど単純ではないことが、この本を読むと良く分かる。
この書は、作家である陳舜臣氏が自ら綴った半生の記である。日本で生まれ育ちながらも植民地人として差別され、さりとて独立運動をするほどの反発もない。それでいて、日本人となる気持ちもなく、日本政府への忠誠心もない。
それでいて、日本の風土に愛着は持ち、日本の文物に親しみ、親の稼業は継がず日本語で書く作家として身を立てる。そんな彼の幼少期から大学卒業までの数年間は、私たち日本人とは自ずと異なる心象を描き出す。
私が陳舜臣氏の小説を読みだしたのは、おそらく中学生の頃だと思う。多分数十冊読んでいると思うが、この作家の心情にこのような歴史的、文化的な下地があるとはとんと気が付かなかった。
それは彼が平易にして落ち着きのある文章の書き手だからだ。今だから分るが、深い思考の末にたどり着いた心境なのだと推察できる。こりゃ、本棚を探し出して、再び読んでみる必要がありそうだ。
若い頃の私の読書が、いかに未熟で表面的にしか読み取れなかったのだと痛感しました。また課題が増えてしまったようです。