ヌマンタの書斎

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車輪

2020-11-19 11:53:00 | 社会・政治・一般

人類の発明のうち、最も偉大とされるものが車輪である。

特に車軸を設けて台座に付けたものは、物流を革命的に改善した。猫車のような一輪車から、馬に引かせる二輪の戦車、あるいは牛に牽引させる四輪車など古代から人類の文明に多大な貢献をしてきた。

いつごろ発明されたのかは諸説があるが、おそらく石器時代まで遡ると思われる。私見だが氷河期以降ではないかと思っている。というのは、海面が大きく下がった氷河時代に、人類の一部がベーリング海峡(当時は地峡として繋がっていた)を渡って新大陸へと移動している。

その新大陸では車輪を使わない文明が栄えたからだ。南米各地に支配地を広げたインカ帝国も、中米のアステカ帝国も、またオルメカ先史文明も車輪を一切使った形跡がないからだ。

車輪を使わずにあれほどの石器建造物を築いたことは凄いと思うが、車輪を知らないが故に、ユーラシア大陸とは無関係な文明であったと分る。

一方、知識として車輪を知りながら、なぜだか車輪をまともに使わなかった国もある。それが朝鮮半島の国々である。いや、正確に云えば、古代の三国時代には車輪は使っていたはず。しかし、いつのまにやら車輪を使わない国となっていた。

ただ、当時の支配階級は、移動する際に一輪車に台座を載せた不安定な乗り物を使っていた。二輪にすれば、もっと安定すると思われるが、日本が清朝から朝鮮を譲り受けるまで、二輪車は存在しなかった。


どうも車輪を作る技術がなかったのが本当らしい。一輪であったのは、古い木製の車輪を使いまわしていて、二輪にする余裕がなかったようなのだ。車輪を作るには、熱した蒸気などを用いて木材を曲げる工程が必要となる。その技術が途絶えていたのが実態らしい。

豊臣秀吉の朝鮮出兵で現地に赴いた日本の武将が驚いたのは、朝鮮半島が驚くほど貧しかったことだ。その原因の一つに、灌漑技術がなかったことが挙げられている。端的に云えば、水車がなかった。水車という車輪を作ることが出来なかったのだ。

平地は十分にあり、河川もあるのだが、水路を自在に引く土木技術がなかった。水車があれば、多少の高低差を克服して耕地を増やせるはず。しかし、その水車が作れなかった。

秀吉の死により、日本軍は撤退したため、19世紀まで開墾されていない平地が有り余っていた。日本の朝鮮併合により、ようやく水路と水車によって開墾が進み農業生産力が延びた。

なぜに車輪を作ることが出来なかったのか。

私の考えでは、その原因は儒教にあると思う。儒教は古の周という国家を理想像に掲げている。そのために、新しいことをすることを厭う傾向が強い。また士農工商の考えが強く、工業や商業を蔑視する。

そのせいで、朝鮮半島では驚くほど商業が発達しなかった。当然に工業も発達するはずもなく、流通のための道路、水路さえも蔑ろにされていた。車輪が作られなかったのも、そのような精神風土が強く影響していると私は考えます。

中世の朝鮮青磁などを見れば分かるように、決して技術を持たない国ではない。今でもアイディア豊富な商品を開発することもある。ただ、その技術が継承されない傾向が強い。

技術蔑視、手作業蔑視は、儒教というよりも両班と呼ばれた貴族社会の悪弊なのだと思います。これは現代のコリア社会でも生き残っている性癖です。この悪癖が治らない限り、コリアが製造業大国として栄えることはないと私はみています。

可能性というか、才覚はあるはずなんですけどね。

コメント
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