私が大学の一般教養課程に是非とも採用して欲しいと思うのが「地政学」である。
地政学(ちせいがく)は、国際政治を考察するにあたって、その地理的条件を重視する学問である(Wikiより)。
学問としての地政学は、現在もいろいろと学者たちの争いのネタになっているが、そんな論争は学者に任せておけばよい。日本人が知るべきは、現在の文明は欧米が主導するものであり、その欧米の政治の根底にある一般常識としての地政学であることだ。
特にアメリカは今もなお19世紀のに提唱されたシーパワー概念に強く影響されており、それは21世紀の今日でもアメリカの国際政治、とりわけ軍略の基本となっているがゆえに重要である。
ところが、日本では地政学は戦後忌避された学問であった。戦前の日本における地政学が、中華事変及び太平洋戦争に少なからず影響を与えていたのは確かだと思う。そこで戦後、地政学は大学から追放された学問であった。
日本における地政学が日の目を浴びるようになったのは、1970年代であり、経済の高度成長とともに日本独自の政治戦略を考える際に復活した。実際はアメリカの軍事戦略に適切に対応するためにこそ、地政学が復活したとも云える。
もっとも日本には、とりわけ大学には左翼の影響下にある学者が主流であり、戦争忌避ゆえに戦争を政治と結びつける役割を果たす地政学に対する拒否反応が非常に強い。そのせいで、多くの日本人にとって地政学は、大人になって初めて知る学問である。
私に言わせれば、戦争を拒否すれば平和が叶うとの幼稚な思い込みが、むしろ平和を守る障害になっている。むしろ戦争という現象を、歴史的、政治的、宗教的、民族的そして地理的に分析し解明する地政学こそが、平和を守る学問的礎になりうると考えている。
欧米の主流となっている地政学からすると、世界は海洋国家と大陸国家とに二分され、双方が異なる目的で、自らの勢力の拡大を目指すが故に戦争が絶えることはないと規定している。
ちなみに日本は歴史的には日本列島内に留まることが多かったせいで見過ごされがちだが、本質的には海洋国家である。太平洋戦争は、太平洋を巡る海洋国家アメリカ及びイギリスとの覇権争いであるとも云える。
海洋国家は本質的に大陸への進出には消極的(アメリカをみれば分る)だが、大陸国家が海辺とりわけ港湾を勢力圏とすることを本質的に嫌う。これは、海洋国家が通商など海上流通を掌握しており、その終点としての港を重視しているからだ。
一方、大陸国家は陸上流通を鉄道に置くことが多い。第一次世界大戦の時のドイツの鉄道敷設やロシア(ソ連を含む)のシベリア鉄道の敷設と、その終着点としての港湾の確保を重視する。
19世紀以降の大きな戦争は、海洋国家と大陸国家との争いの面があることは、全てではないにせよ一面の事実だと思う。では、それを回避するにはどうしたら良いか。
それが地政学でいうところのバッファゾーン(緩衝地帯)である。AとBが争いそうな場所にCという独立した存在を設けて、AとBが直接に争うことを回避する手法である。
これはヨーロッパではメ[ランドやウクライナがその役割を担わされてきた歴史がある。そこを制した大陸国家であるロシアは、旧ソ連崩壊後にメ[ランドに独立され、ウクライナまでもが離脱の姿勢をみせていることに苛立つ。
このあたりの構造が見えれば、現在の米ロの対立が分かってくるはずだ。ちなみに、ユーラシア大陸東部では、このバッファゾーンは朝鮮半島である。困ったことに、北も南もそのことが分かっていないから面唐セ。
地政学の見地から国際情勢を俯瞰することは、欧米では常識である。しかし、日本では地政学自体、戦争への道だと短絡的に考える平和愛好家が後を絶たない。
彼らは自らを平和のために奉仕する天使だとも思っているらしいが、私からすれば戦争を回避する手段を阻害する邪魔者である。戦争は平和への愛や信仰では回避できない。いい加減、目が覚めて欲しいと思うけど、無理だろうなァ。
「あたくしは平和の夢に酔いしれているの、なにが悪いの、邪魔しないで」と拒否されるのが落ちだ。自己陶酔ほど性質の悪いものはないのだけれど、それを自覚できないから困る。
私が考える現在の危険なバッファゾーンは三つ。ポーランドからウクライナにかけての地域、中央アジアからアフガニスタンを経てインド洋に至る地域、そして朝鮮半島です。
なかでも半島で戦争が起きた場合、日本が巻き込まれる可能性は高く、その意味でもいい加減、平和ボケから目を覚まして欲しいものです。