夢は夢のままであった方が良かった。
昭和45年、遂に幻の名レスラーであるエドワード・カーペンティアが国際プロレスに来日した。当時、小学校の低学年であった私は、その試合を見れるはずもなく、ただプロレス雑誌を見てどんな試合であったかを想像していただけだった。
彼は空飛ぶフランス人の異名で知られ、マットの魔術師としてアメリカで大人気のプロレスラーであった。あのルー・テーズとの試合でも勝ったが、3本目がテーズの負傷による勝利であったため、正式なNWAチャンピオンにはなれなかった。
得意技はサマーソルト・キックだ。プロレス雑誌に掲載された写真には、マットの上でトンボを切るカーペンティアの姿が映っていた。小柄な体つきながら、筋肉の塊であり、その高いジャンプ力から繰り出すと思われたサマーソルト・キックという技に夢見るプロレス少年が私だった。
その真実を知ったのは、それから十数年たった頃、某大学のプロレス研究会の映写フィルムでカーペンティアの試合を見た時だ。コーナーに相手レスラーを押し付けて、駆け昇るようにジャンプして空中で一回転。
その着地の後に、相手レスラーへ後ろ蹴り。それがサマーソルト・キックと称された技であった。全然、サマーソルト・キックではない・・・
この時の失望感は、プロレスが本気の格闘技でないことを知った時よりも痛烈であった。要するにマット上での高いジャンプと空中回転は、単なるパフォーマンスに過ぎなかった。
その頃には新日本プロレスで、あの天才であった佐山サトルがタイガーマスクとしてのサマーソルト・キックを披露していたので、それと比較してしまい、余計に失望が大きかった。佐山タイガーのキックは、本当に空中飛び回し蹴りであったから、単なる見世物のカーペンティアとは比べ物にならなかった。
あれほど失望したことは滅多にない。
ただし、それは私の勝手な思い込みに過ぎなかったことが分かったのは、比較的最近のことだ。昔のプロレスの試合がユーチューブ上にアップされている。大半が白黒映像なのだが、そこで試合をするカーペンティアの姿は本物のプロレスラーであった。
よくよく見ると、その筋肉ダルマとしか言いようがない体つきは、体操競技で鍛え上げたもので、怪力に加えて優れた運動神経の持ち主であった。加えてレスリングの技術も本物であった。画質の悪い映像ながら、その試合巧者ぶりは強豪そのものであった。
その試合は1950年代のもので、その当時が彼の全盛期であったようだ。身長は低いのだが、筋肉の付き方が異常で、見るからに怪力であることが分る。これはステロイド剤などの服用によるものでなく、体操競技で鍛えぬいた筋金入りの筋肉だ。
身長は公称184㎝とあったが、実際は170㎝半ばであったと思う。つまりアメリカ人プロレスラーとしては、かなり小柄な部類である。しかし、試合を見ると、自分よりも一回り、二回り大きい相手を軽々と振り回している。
どんなにデカい相手でも得意のグランドレスリングに持ち込めば、絞め技、関節技も豊富で実に見応えのある試合であった。こりゃ人気が出るはずだ。だから来日回数は少なかったのだろう。
ただ、そのテクニックは地味であるが故に、体操競技の経験を活かして、マット上での高いジャンプと空中回転で派手なパフォーマンスを演じて、試合にメリハリをつけていたのだと思う。
でもサマーソルト・キックに夢を見た子供ヌマンタの失望は如何ともし難い。誰だよ、あんな適当なネーミングを付けたのは。ちなみに、ユーチューブで視た試合では、カーペンティアはサマーソルト・キックではなくトーラス・キックと称された後ろ蹴りを多用していた。あのブッチャーの得意技が、まさかここで視れるとは思わなかった。
まだ数試合しか視てないが、その実力は本物でした。プロレス雑誌が適当なネーミングさえつけなければ・・・と思わざるを得ませんね。
昭和45年、遂に幻の名レスラーであるエドワード・カーペンティアが国際プロレスに来日した。当時、小学校の低学年であった私は、その試合を見れるはずもなく、ただプロレス雑誌を見てどんな試合であったかを想像していただけだった。
彼は空飛ぶフランス人の異名で知られ、マットの魔術師としてアメリカで大人気のプロレスラーであった。あのルー・テーズとの試合でも勝ったが、3本目がテーズの負傷による勝利であったため、正式なNWAチャンピオンにはなれなかった。
得意技はサマーソルト・キックだ。プロレス雑誌に掲載された写真には、マットの上でトンボを切るカーペンティアの姿が映っていた。小柄な体つきながら、筋肉の塊であり、その高いジャンプ力から繰り出すと思われたサマーソルト・キックという技に夢見るプロレス少年が私だった。
その真実を知ったのは、それから十数年たった頃、某大学のプロレス研究会の映写フィルムでカーペンティアの試合を見た時だ。コーナーに相手レスラーを押し付けて、駆け昇るようにジャンプして空中で一回転。
その着地の後に、相手レスラーへ後ろ蹴り。それがサマーソルト・キックと称された技であった。全然、サマーソルト・キックではない・・・
この時の失望感は、プロレスが本気の格闘技でないことを知った時よりも痛烈であった。要するにマット上での高いジャンプと空中回転は、単なるパフォーマンスに過ぎなかった。
その頃には新日本プロレスで、あの天才であった佐山サトルがタイガーマスクとしてのサマーソルト・キックを披露していたので、それと比較してしまい、余計に失望が大きかった。佐山タイガーのキックは、本当に空中飛び回し蹴りであったから、単なる見世物のカーペンティアとは比べ物にならなかった。
あれほど失望したことは滅多にない。
ただし、それは私の勝手な思い込みに過ぎなかったことが分かったのは、比較的最近のことだ。昔のプロレスの試合がユーチューブ上にアップされている。大半が白黒映像なのだが、そこで試合をするカーペンティアの姿は本物のプロレスラーであった。
よくよく見ると、その筋肉ダルマとしか言いようがない体つきは、体操競技で鍛え上げたもので、怪力に加えて優れた運動神経の持ち主であった。加えてレスリングの技術も本物であった。画質の悪い映像ながら、その試合巧者ぶりは強豪そのものであった。
その試合は1950年代のもので、その当時が彼の全盛期であったようだ。身長は低いのだが、筋肉の付き方が異常で、見るからに怪力であることが分る。これはステロイド剤などの服用によるものでなく、体操競技で鍛えぬいた筋金入りの筋肉だ。
身長は公称184㎝とあったが、実際は170㎝半ばであったと思う。つまりアメリカ人プロレスラーとしては、かなり小柄な部類である。しかし、試合を見ると、自分よりも一回り、二回り大きい相手を軽々と振り回している。
どんなにデカい相手でも得意のグランドレスリングに持ち込めば、絞め技、関節技も豊富で実に見応えのある試合であった。こりゃ人気が出るはずだ。だから来日回数は少なかったのだろう。
ただ、そのテクニックは地味であるが故に、体操競技の経験を活かして、マット上での高いジャンプと空中回転で派手なパフォーマンスを演じて、試合にメリハリをつけていたのだと思う。
でもサマーソルト・キックに夢を見た子供ヌマンタの失望は如何ともし難い。誰だよ、あんな適当なネーミングを付けたのは。ちなみに、ユーチューブで視た試合では、カーペンティアはサマーソルト・キックではなくトーラス・キックと称された後ろ蹴りを多用していた。あのブッチャーの得意技が、まさかここで視れるとは思わなかった。
まだ数試合しか視てないが、その実力は本物でした。プロレス雑誌が適当なネーミングさえつけなければ・・・と思わざるを得ませんね。
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