恥ずかしながら、初めてまともに観たガンダムのアニメ番組がこれ。
当初のガンダムは私が十代の頃にTV放送されていたのですが、当時極度のアニメ嫌いだったので、まったく観てなかった。40台半ばを過ぎてから、知人の子供が車の助手席で、長距離ドライブの際に「ガンダム00」とか、「ガンダムSEED」を観ていたので、これらの大雑把な粗筋は分かります。
でも車の運転中なので、画面はほとんど観ていない。まァ、子供たちに人気がある理由はなんとなく分かった気がします。だから、今回たまたまCS放送で、表題の作品を夜遅くに放送していたので、じっくりと観たのが初ガンダム(苦笑)。
ガンダムが戦争兵器であり、戦場での活躍こそ見せ場なのは分かるが、この作品、田中芳樹の小説並に人が死んでいく。それも主人公クラスの登場人物が軒並み死んでしまう。
こいつは生き残るよな、と思えた良い人キャラまでも見事に死なせてしまう。それが戦争だと云われれば、その通りなのだが、このアニメを観ている子供たちが平然としているのも、ちょっと凄い。
私がアニメに夢中であった子供の頃にも、登場人物の死という場面はあったが、どちらかといえば希少であったと思う。当時は大人たちが子供向けアニメに過剰なまでの配慮をしていたと思う。
私はそれを現実離れしていると、いささか皮相的にみていたけれど、この作品のように皆殺しといってよいほどに人が死んでいくアニメにも、少し違和感を感じた。こちらのほうがリアルだと分かっているが、やはり子供には夢ある作品をと考えてしまうのは、私が年をとった証拠かもしれない。
私見だが、私が子供の頃は、日本国内は平和だったけれど、ヴェトナム戦争はわりと身近な問題でもあったし、学生運動家の内ゲバや、ヤクザの抗争などは珍しくなかった。その意味で、人の死はそれほど遠い世界の話ではなかった。
現在、日本周辺では戦争は起きていないし、平和ボケが不自然ではないほど安穏とした現実がある。その一方でTVやネットの世界では、映像で戦争の悲惨な画像があふれている。ネットでの情報入手を当然のものとしている子供たちにとって、この作品の残酷さを当然と受け入れられるのかもしれない。
でも、その一方で過剰なまでに暴力や、流血沙汰から距離をおかれた安全な環境にいる今の子供たちは、血の臭いに鈍感だし、殴られた痛みや、殴る痛みも体感したことのない、頭でっかちの状態であることも確かだ。
これは子供たちだけでなく、教師や親までも暴力とは無縁の人が多く、過剰に恐れるか、知らないからこそ手加減を知らないかの、どちらかであることも多いように思う。
暴言だと分かってはいますが、人から殴られる痛み、人を殴る痛みを知らないと、妙に頭の中だけで暴力を浮黷スり、暴力を手加減する知恵がつかないように思えてなりません。
人間は知恵ある動物ですけど、同時に暴力も使える動物ですから、暴力という現実からあまりに離れていると、どこか人としてアンバランスに思うことが、たまにあります。ないほうが望ましいとも思ってはいますが、暴力に対応できることも必要だとも考えています。
知識は経験という肉付けがあってこそ、役に立つものです。知識の中だけで暴力を知った気になるのもどうかと思いますが、暴力から一切遠ざけるのも、問題あると思うのです。
こんな悩みは、日本が本当に平和な国だからこそだと分かってはいるのですがね。
私はガンダムって全くカスっていない世代(宇宙戦艦ヤマト世代)なので以降の続編系アニメにも関心がないのですが、近年ではドラえもんとかャPモンとかの日本のアニメが海外でエラく人気が高い。でも海外では暴力的なものに関しては受け入れられないとか。要するに残酷な表現を多用するということは、当然マニアックな行為であり、制作サイドの心意気でも有るのでしょう。視聴率なんておかまいなし的なね。これで元が取れるの?というアニメなんて深夜枠で沢山やってる。マニアは侮れない、ということかな。
ずばりファーストガンダム世代で、しかもファーストしか知らない輩です。
その後の続編は出まくるし、安彦さんがオリジンを出しちゃうし、ファーストオンリー派には辛いです。
アニメの皆殺しはkinkachoが現役の頃にもありましたよ。イデオンとか、ダンバインとか、ダグラムとか、これらの作品のプロデューサーの富野の異名は「皆殺しの富野」でした。
ガンダムは番組としてはマニアックかもしれません。しかし関連商品の売上は凄いです。とくにガンプラと総称されるプラモデルでは、どこのおもちゃ売り場でも主力商品で、国際的な人気もあるようです。侮れないですよ、玩具としての売り上げも。