日本刀を手に取って戦う侍の最盛期は、戦国時代ではなく江戸時代の終わり、すなわち幕末であった。
これは戦国時代においては集団戦闘が常態化しており、兵士の使う武器は弓と槍が主であった。この時代、刀は相手に止めを刺したり、首切り、鼻削ぎ、耳削ぎなどに使われる補助的な扱いであった。ちなみに殺傷力なら日本刀以上である薙刀や長巻は農民兵が使うと同士討ちが多く、僧兵など一部でしか使用されていない。
平和の世が実現した江戸時代となると、刀を使った剣法は官僚化した侍の嗜み程度の扱いに堕した。ところが幕末になり世相が物騒になると、侍ばかりでなく農民たちまでも剣道場に通い修練に励むようになった。
江戸では三大道場に全国から強者が集まり、剣法に切磋琢磨する一大ブームと化した。もちろんこの時代、道場では竹刀が用いられたが、実戦を予感していた若者たちは木刀を使うことも多く、更には真剣を用いた修練にも余念がなかった。
おそらく日本の歴史に於いて、もっとも剣法が盛んであった時期だと云える。もっとも剣豪たちの全てが真剣を振るっていたわけではない。幕末剣豪で最強といわれた仏生寺弥助や千葉栄次郎、男谷精一郎などは一度も人を斬ったことがないとされる。
江戸時代、道場でしか刀を振らない剣法は、花法剣法などと揶揄されたが、明治維新の立役者たちはもちろん、幕府側も剣法に夢中になり、実戦にも強かった剣豪たちは多い。その一方で剣法ではさして名を上げられず、また真剣で人を斬ったことがない維新の志士や幕府側要人も少なくない。
現代の軍隊でも徒手格闘技やナイフ等を用いた格闘戦を重視している。実際の戦場で使うことはないだろうが、竹刀であろうと摸擬戦であろうと武芸を磨くことは、心と体の鍛錬になるとの確信があり、だからこそ幕末であろうと現代であろうと重要視されるのだと思う。
それでも本当に強かった幕末の剣豪は誰であるかは、関心を持たずにはいられない。
表題の作品は、幕末にあって最強の武闘集団であった新選組を軸に、維新方の剣豪との仮想対決を取り上げたが故に人気が出た。その最終巻が先だって発売された。最後の対決は幕府側からは、新選組局長の近藤勇であり、維新側からは桂小五郎が受けて立った。
近藤は最前線で真剣を振るった実戦での剣豪であり、なかでも池田屋事件の時の戦いぶりは凄まじい。灯りを消された室内で、しかも剣を振るのが難しい室内で多数の維新側志士と斬り合い無傷で退出している。永倉新八でさえ手傷を負っていることを思うと、近藤の実戦での強さは際立っている。
一方、桂小五郎は司馬遼太郎が「逃げの小五郎」などと称したせいか逃げ腰の印象があるが、それは絶対に生き残る覚悟があるからこそ。神道無念流の道場に入門して一年で塾頭にまでなった剣豪であり、その強さは神秘的なほど。実戦での斬り合いの記録はないが、その剣技は対峙した剣士の肌が粟立つほどの偉容であったと伝えられる。
ただし、この桂小五郎をもってしても冒頭に挙げた仏生寺弥助には勝てなかったと伝えられる。もちろん道場での試合だが桂の伝説的な強さを考えると、如何に強かったかが想像できる。ただし仏生寺氏、人間的には桂に遠く及ばない酔っ払いですがね。
またこの最終巻では、沖田総司と吉田稔麿との架空試合も描かれている。これまた納得の描写であった。本当に誰が強かったのか、どの程度強かったなんて想像の域を出ないが、想像の範囲内で描かれた本作は実に興味深い作品でした。興味がありましたら是非どうぞ。
息子が
時代小説を
受賞しました。
2023年9月24日(日) 8:52 菊地正二 <kikuchi@p-rism.nir.jp>:
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作者 菊地輝登Subject: 作品
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