信じるだけでは救われない。
今年のノーベル平和賞は、日本の被団協が受賞した。長年の活動に対する評価であり、受賞そのものに異議はない。
被団協だけではないが、日本の反核団体が核兵器の恐ろしさを伝えてきたことは、間違いなく世界平和に貢献してきたと思うからだ。ただし、被団協の人たちの思いとは別の貢献の仕方ではある。
国家間に限らず、地域紛争、部族間の争いでも平和を維持する基本は武力均衡である。だが武力を揃えるのは大変だ。とりわけ近代の最新兵器は金がかかるだけでは済まない。操作の習熟にも多大な時間と金がかかる。とりわけIT機器を併用した最新兵器は、大卒レベルの学力が必要となるが、大半の国では読み書きさえ十分ではない。
だからこそ唯一の被爆国である日本が世界に向けて盛んに宣伝していた核兵器こそが、我が国の平和を守る最強の武器であると確信できた。たった一発で都市を崩壊させるだけでなく、残虐な後遺症さえ残す最凶の兵器であることは間違いない。
そう考えた国は多く、アメリカに続きソ連、フランス、イギリスそして共産シナの五か国が核兵器保有国として君臨している。先行した五か国はこれ以上、この恐るべき兵器を所有する国を増やしたくなかった。しかし、その恐ろしさ故にイスラエル、インド、パキスタン、南アフリカ、イランそして北コリアと徐々に保有国は増えつつある。
被団協の人たちの悲痛な核廃絶の思いとは裏腹に、核兵器はますます拡散しているのが現実である。いや、核兵器の悲惨さを世界に訴え続けた成果でもあるから、皮肉というにはあまりに残酷な結果だと思っている。
まさか被団協の人たちも自分たちの活動が核兵器拡散に貢献したとは思わなかっただろうし、それ以上に認識したくない現実だと思います。でも、この残酷な現実を認めない限り、核兵器廃絶は夢のまた夢である。
もし核兵器が廃絶されるとしたら、それは外部から核分裂反応を止められる方法が見つかるか、あるいは核兵器以上に強力な武器が開発された時だと思います。人の善意と良心を期待しての核兵器廃絶はまずありえない。
ノーベル財団も残酷な仕打ちをしてくれたものです。まぁ日本の平和愛好市民たちは、見たくない現実を見ないふりするのに慣れているので傷つくことはないでしょうけどね。
平和賞受賞と聞いた時、すごく違和感を感じました。
活動は認められるべきだけど、これではないと...