私がコンピューターなる代物に触れたのは大学4年の時だ。
4年に進級して、講義を選択するときに今までになかった新しい講座が出来ていた。それがコンピューター初級講座であった。キャンパスの端っこに建てられた新しい講義棟には、沢山のコンピューターが置いてあり、大学がかなり力を入れていることが分かった。
さっそくに受講を申し込んだ。自慢じゃないが留年しない程度のお気楽な勉学に終始していた私だが、この講座は休まずに通った。なんとなく未来に必須の知識だと思ったからだ。ちなみに講座の内容はBASICとCOBOLであった。
正直COBOLは自信なかったが、BASICのコマンド入力による操作はそこそこ出来たと思う。ただ、その時、ゼミ室に置いてあったマッキントッシュのPCが気になって仕方なかった。マウスによる画像制作に興味が沸いたからだ。
でもマッキントッシュのPCは高すぎた。当時で一台200万円ちかくした。ちなみに講座で使ったIBM機は30万程度であったから、貧乏学生にはどちらも遠い存在ながら、働きだせばIBM機には手が届くと思っていた。
実際、私が就職した信販会社ではIBM機でのコマンド入力が主な仕事であったから予想通りではあったが、マッキントッシュのPCへの未練はあった。ただ短期間で私は長期の病気療養に入り、PCへの関心を忘れてしまった。
ほぼ10年にも及ぶ病気療養は私に膨大な読書とヴィデオ鑑賞とTVゲームで無聊を癒す日々であったから、徐々にコンピューターへの関心が高まりつつあった。私が聞き及んだところだと、税理士業界で使われるPCはWindowsもしくはオフコンが中心であり、マッキントッシュのPCは使われていないらしい。
少し残念に思ったが、まずは仕事が第一であり、私はWindowsの習得に力を入れた。たしかその頃だと思うが、格安のマッキントッシュのPCが登場したのは。実にスタイリッシュなデザインで、このPCで絵を描いてみたいと思ったが、当時は仕事と難病の治療の両立に悪戦苦闘したので諦めた。
漫画の世界において、PCによる作画のパイオニアと言われたのが先月お亡くなりになった寺沢武一である。ただし人気作「コブラ」ではなく、「バット」の方で使い始めたはずだ。寺沢先生の偉いところは、作画のやり方を独占せず、教わりにくる若手の漫画家たちにも惜しみなく教授していたことだ。
後に悪性の脳腫瘍で障害を負った寺沢武一が、そのハンデにも関わらず漫画を描くことが出来たのは、まさにPCによる作画技術があったからではないかと思う。もっと、もっと作品を読みたかったことを思うと、実に残念な訃報でした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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