立場が違えば、考え方も違って当然だ。
毎年終戦に日になると、各地で反戦集会などが開かれる。なかでも広島と長崎が有名だ。特に原爆記念館とか平和祈念館の原爆被害を展示している施設は、その中心的な役割を果たしている。
この地を訪れる観光客の大半は、原爆被災の恐ろしさを学び、改めて平和を守ることの大切さを脳裏に刻む。それは日本人であろうと外国人であろうと変わりはないはず。
・・・概ね、そうだろうと思う。だが平和を期待する方々の考えが全てであるはずもない。
とある半島の独裁者様や、砂漠の王侯貴族様からすれば、このような悲惨な結果をもたらす原爆があれば、自分たちの権力基盤は安泰だと考えていることは確実だ。国民が飢え死にしてもかまわないが、自分たちの優雅な生活が揺るがされるのは許せない。
人権とか自由を圧しつてけてくる西側諸国なんて邪魔なだけ。彼らに武力弾圧されるくらいならば、原爆落とすと脅かすのが一番効果的だ。原爆の恐ろしさを是非とも世界に広めて欲しい。なればこそ、我々の優雅な生活は守られる。
戦争の悲惨さを訴えるはずの原爆記念館の展示も、ところ変われば違う意味を持つ。そのことを認識している日本人ってどれだけいるのでしょうかね。実績とは言いませんけど、現時点で核兵器所有を疑われる国は、北コリア、パキスタン、インド、イスラエル、南アフリカと増える一方です。潜在的に核兵器を欲している国はもっと多いと思います。
原爆の悲惨さを訴えたことが、核兵器の拡散を手助けしたとは言いたくありませんけどね。まぁ原爆被災国の国民として忸怩たるものはありますが、これが冷酷で無残な現実なのです。
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