誤解を恐れずに敢えて予言すると、日本はそう遠くない将来、アメリカ軍の一部隊として戦場に引きずり出される。
実際のところ、既に国連軍の一部隊として主に戦後処理を担っている。でも戦後なんて国連が勝手に決めただけ。現地ではいつ再び戦争が再開されるか分からない。
国連信仰に染まった方には理解不能だろうけれど、欧米以外の国では国連は必ずしも好意的に受け入れられる存在ではない。特にアフリカでは、国連がかつての植民地の宗主国であるヨーロッパ諸国の手先と捉える現地人は少なくない。
日本の歴史教育では、まず教えらえないが第二次大戦後、多くのアフリカ諸国が植民地から独立したが、その際の旧・宗主国主体の国連軍の振る舞いは蛮行以外の何物でもない。
ピース・キーピング・オペレーション(平和維持活動)の美名の下、旧・宗主国はかつての植民地の財産を収奪し、反対者を虐殺し、そのあまりの醜悪さから一時期国連はアフリカの地に国連軍を派遣することが出来なくなるほどであった。
幸いにして日本の自衛隊は今のところ深刻なトラブルには見舞われていない。オサマを始めとして世界各地に国連軍の名の下、自衛隊が派遣されているが、戦争に巻き込まれずに済んでいるのは、むしろ僥倖だと思う。
だが、ここでアメリカ軍が日本の自衛隊が利用価値の高い軍隊であることに気が付いてしまった。「なんだ、日本国外でも使えるじゃないか」
もともとは、太平洋戦争時その狂ったような戦い方に辟易したアメリカが、日本から軍隊を取り上げる為、平和憲法を押し付けた。そして日本の防衛はアメリカ軍が担ったのだが、冷戦が状況を一転させた。
ユーラシア大陸東部に対する軍事拠点として、日本列島は最適の位置にあり、ここを兵站拠点として活用することに価値を見出した。武器、弾薬、食料、修理、兵士の慰安など多様に活用できる日本である。その警備も日本人にやらせよう。
そう考えたからこそ、アメリカは自衛隊の創設を日本政府に命じた。平和憲法の下、国力を日本経済再建に集中していた日本政府は慌てたが、なんとか専守防衛の大義名分で世論を黙らせ、自衛隊と称する国防軍を作り上げた。
ただし、アメリカ軍は案外と自衛隊を馬鹿にしていた。実戦経験もなく、実弾訓練だってたいしてやっていない未熟な部隊だと蔑んでいた。もっとも日本軍との合同演習を重ねる度に、現場サイドでは自衛隊に対する評価は高まっていた。
それでもアメリカ国防省は戦地での経験がない日本の軍隊に懐疑的であった。その評価を一変させたのが、国連平和維持軍での活躍であった。「これならば戦場でも使えるぞ」と。
表題の書は、日本での生活経験が豊富な元・アメリカ陸軍将官が記した自衛隊に対する再評価である。現在もPMCの役員として活躍し、アメリカ国防省だけでなく、日本の自衛隊及び防衛省とも人脈を持つ著者だけに、この本が書かれた背景は不気味である。
私は予言したい。日本の若者たちが世界各地の戦場で活躍し、戦死する未来はそう遠からず実現すると。
更に嫌な予測だが、その時の日本は未だに平和憲法を現状のまま放置しているだろうと。憲法を守らず、法治の基礎を蔑ろにして、我が日本は戦争の道へと突き進む。
戦争を始めるのは容易い。しかし、戦争を終わらせるのは難しい。
戦地で無残な死を遂げた日本の若者のため、戦争続行を訴える熱狂的な日本国民は過去にも幾度もあった。特に日露戦争の時は、戦場で疲弊する兵士を想い、断腸の思いでアメリカの停戦交渉を受け入れた原・内閣。
その日本政府に対して戦争継続を訴えて大阪の地方紙から全国紙にのし上がったのが朝日新聞であり、その熱狂的な購読者が日本各地に多数いた。原・内閣はそれを強硬に押し潰し(言論の弾圧だァ!)て戦争終結を受諾している。
だが、この時の政府の混乱を見て、明治憲法の欠陥と有事法制の不備を悟った軍の若手将校らが、後に満州で勝手に戦線を拡大し、それが太平洋戦争への入り口を切り開いた歴史をどう考えているのだろうか。
脳内お花畑平和市民が固執する平和憲法と、有事法制の不備が日本を再び戦争の泥沼へ引き込む可能性は決して低くないと思います。
21世紀は、水と食料と石油をめぐる戦いが必ず起こります。水以外の資源に欠ける日本が、再び戦争に巻き込まれる可能性がないは到底思えません。
巻き込まれるのは不可避かもしれませんが、撤退は政府の意志次第です。その時、有事法制の欠陥が邪魔しなければ良いのですけどね。
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