ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

確定申告雑感

2013-03-22 13:49:00 | 日記

一年前の丁度この時期に「昨年の不況はほんとうにひどかった」と書いた覚えがある。

ちなみにその時の昨年とは平成23年のことである。私の認識の如何に甘かったことか。平成24年度の確定申告を終えて一週間、昨年すなわち平成24年度は23年をはるかに上回る不況であった。

とにかく消費が低迷している。いつもなら交際費使い放題のオーナー社長の個人の申告は頭痛の種であったのだが、今回に限っては悩む必要はなかった。交際費自体が例年の6割程度であったからだ。

確定申告の大半を占める不動産オーナーの賃貸収入は、前年(平成23年)を上回る申告は希であり、大半が前年割れであった。すなわち空き家、空き室、空きテナント、空き駐車場だらけで、赤字申告も珍しくない。

不動産売買は低調で、売買価格も低い。買うなら良い時期だったのだろうが、銀行が融資を渋ってのキャンセルまである始末。資産を十二分に有する不動産オーナーであり、融資を渋る理由が分からず、オーナーの苦情を受けてこちらで問い合わせたところ、担当者が融資のノウハウを持ち合わせておらず、書類を机に仕舞い込んだままであることが発覚。

慌てて支店長と融資担当課長が挨拶に来たので忙しい最中であったが同席する。どうやら今どきの銀行員は、生命保険や投資信託の販売なら慣れているが、不動産融資は苦手なご様子なのかと皮肉を言ったら、既に担当者は転勤とのお返事。あくまで個人の失態であるとしたいらしい。

そんな銀行の言い訳なんぞ聞く価値ないが、有利な融資条件を少し強引に迫ってみたら、散々渋りつつも了承したのだから良しとする。私としては、オーナーからの信頼を勝ち得たことが何よりであった。

ちなみに融資の件は先日、通ったとオーナーから連絡があった。これで次の事業承継がやり易くなったと思うが、反面こんな間抜けな銀行が大手面しているのでは、景気の低迷も当然な気がする。

少し気分よく事務所に帰るが、夜一人静かに自分の事務所の昨年の売上を集計してみたら唖然。予想よりも落ちていた、しかも未回収の売上も増えている始末。これでは資金繰りが苦しいのも当然だと、改めて痛感する。

景気の低迷を政府のせいにするばかりでは能がないが、率直に言って個人の努力では限界がある。白川・日銀が固守してきたデフレ政策は、金融不安を安定させたが、景気を低迷させた主要因でもある。

どうした訳か、白川が退任すると分かってから、何故かここ数年日銀は金融緩和をやってきたなどと与太記事を書くマスコミを散見するが、馬鹿も休み休み言ってほしい。

日銀がやってきたのは金融不安の解消、すなわち資金の流動性を弱めることで、分かりやすく云えばお金が世に回らなくすることだ。安定とは停滞の性格を有するので、金融不安の解消には役立つ。これは日銀の功績だとの論なら分かる。

しかし、それは設備投資や消費動向を抑制することでもあり、必然景気は低迷する。つまり政府主導の不況政策でもある。ちなみに民主党政権はお小遣いをばら撒くことはしても、お金の蛇口を開くことはしなかった。

これは財政赤字を危惧する一方で、官庁の予算規模は確保したかった財務省の意向を汲んだものでもあり、政官一体となった不況政策(金融安定でもある)である。

一応書いておくと、財務省とて一枚岩ではなく、内部では相当な議論があったと聞くが、結果的には金融の安定を優先した。その結果、金融不安を抱えるユーロとドルに対して相対的に信用が高まった円が高値を付けた。

だが、この笑えない喜劇もここまでのようだ。安倍・自公政権の樹立以降、明らかに潮目が変わってきた。既に円安に振れ出し、株式相場は上昇基調。不動産売買も、明らかに以前よりも活気を呈している。

でも、未だ好景気を証明するような決算書の数字は目にしていない。だから私は半信半疑でもある。しかし、今年こそ景気回復の年だと信じたい。寂しくなった銀行の通帳を見ながら、本気で念じている。

税理士という仕事は、赤字の時にはあまり遣り甲斐がない。せいぜい相続対策で株式贈与プランをひねり出すぐらいだ。黒字で税金対策を真剣に考えねばならぬと気こそ、税理士としての遣り甲斐を感じるものだ。

今年こそ、景気回復が本格化して欲しいものです。お狸様、是非ともお願いしますよ。景気よくポンポコってね。

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白川・日銀総裁の退職金に思うこと

2013-03-21 13:42:00 | 経済・金融・税制
役員と従業員では立場が違う。

具体的に云えば、役員は会社との請負契約となる。株式会社ならば株主の委任を受けて役員は経営業務を請け負う。それに対して従業員は会社に雇用される。つまり、まるで立場が違う。

役員は高額な報酬を受け取る代わりに、その立場は不安定であり、実績を挙げない限り、株主総会でいとも容易に解任される。一方、従業員は労働基準法によりその雇用はある程度保証される。違法行為などをしない限り、従業員は簡単には解雇できない。何故なら立場が異なるからだ。

先日のことだが、日銀の白川総裁が退任した。そこで問題になるのが退職金である。

云うまでもなく、白川総裁は従業員ではなく、役員の立場にある。日銀の役員の退職金は下記の算式で計算される。

 月額報酬×0,0125×在職月数×功績倍率(0~2.0)

前任の福井総裁の場合、功績倍率を1.5と算定されたので、約2500万円ほどの退職金であったらしい。ちなみにこの功績は、日銀内部の評価委員会により算定される。つまりお手盛りである。

日銀の役割は物価の番人である。その評価はインフレ率で算定されるのが妥当だと思われるが、どうも日銀では異なるらしい。インフレ率自体は当の日銀が毎月公表しているので、白川氏の実績評価はそう難しくない。

すなわち、当の白川氏が自ら公言したように目標インフレ率2%を達成できたかどうか、である。あるべきだ。

雑誌等での識者の判定では、目標達成率は2割程度なので、完全に落第だと評していい。つまり功績は0、よって退職金は算定0円である。このことは、なによりマーケットが裏付けしている。なにせ、白川氏が自ら退任を公表して以降、株式相場は上がりっぱなし。これ以上、的確な評価はあるまい。

だが、日銀は間違いなく退職金を支給するだろう。おそらく前任の福井氏とほぼ同額だと思われる。なぜなら、日銀はお役所だからだ。前例踏襲主義であり、功績で評価する慣習はない。あるのは不祥事があった場合の減額だけだろう。

そして、お堅いお役人である白川氏は、マスコミが飛びつきそうな不祥事とは無縁であった。だから、任期中の4年間でお茶で濁したような小手先のデフレ対策しかやらなかった。

もっとも白川氏本人及び日銀内マスコミ接待所で腑抜けになった日銀番の記者たちのおべんちゃら報道によると、デフレ対策を着実にした(マーケットは評価していない)堅実な4年間であったそうである。

不況に対して、小出し、小出しの金融緩和が如何に役に立たないかを立証した程度の金融専門家というのが私の評価だが、大手マスコミ様の記者どもには異なる評価基準があるらしい。

オカシイと思うが、これは日銀に限ったことではない。おおよそ官庁はもとより、政府系の公的組織すべてに共通する問題でもある。すなわち、結果で評価するのではなく、業績を評価するのでもない。ただ、堅実に前例を踏襲し、組織の慣例を順守すれば、それで満点評価なのだ。

そのような評価基準に染まっている人間に景気回復を任せられると思うのもオカシイと思うが、それを当然視する人間は、マスコミも含めて相当な数にのぼるのも確かだ。

私は安倍政権が本当に景気回復できるか、今でも疑問視しているが、少なくても白川・日銀総裁を退任に追いやったことだけは評価している。後は株価や為替相場だけでなく、実需としての景気浮揚が実現することだ。

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9月が永遠に続けば 沼田まほかる

2013-03-19 11:53:00 | 

人の心は永遠ならず。

昨日まで愛おしいと恋い焦がれたものが、今日になってたった一つの出来事で、見知らぬ他人への冷淡さに変わる。世の中で人の心の移ろいやすさほど不可解で、不可思議なものはあるまい。

私自身、何度となく戸惑い、悩み、苦しみ、そして悲しんだ。なにより自分で自分の心持が分からない。なぜ急に怒りが込み上げたのか、その原因さえも分からずに戸惑いながら怒声を上げたこともある。

自分で自分が分からない以上、他人のことなど分かるはずもない。そんな割り切りで納得できるはずもなく、今も理由を訊けずにいる悩みを抱えている。心ほど不可思議なものはない、そう確信している。

表題のミステリーは、犯罪が主眼ではない。一人息子が深夜にゴミ捨てに行き、そのまま帰ってこない。サンダル履きで、財布さえ持たず、着の身着のままでの失踪は、母親の心を打ちのめす。

警察は当てにならず、数少ない手がかりを探って、一人探す過程で知った、自分の知らない息子の姿。別れた夫とその連れ子と息子が逢っていたことを知った時の驚きと、別れた夫の見てはならぬ姿に、母親は自らの心境の変化に驚き戸惑う。

サイコ・ミステリーと言いたいところだが、実のところ犯罪としての影は薄く、むしろ登場人物たちの心理面こそが恐ろしい。犯罪そのものよりも、人の心が織りなす暗い絹の羽織が、一枚一枚解かれていることにより見えてきた真相が浮「。

妙な感想だが、私はこの作品の主要な登場人物を誰一人として好きになれなかった。むしろ嫌悪感が募ったくらいだが、それでも最後まで読み切れたのは、事の真相を知りたいという思いがあってこそだった。

真相を知ったことによる満足感こそあるが、爽快感には乏しい。でも、これが現実なのだとも思っている。事件が解決したからといって、それが必ずしも幸せなことだとは限らない。

この作品はやはりミステリーというより、人の心を描いた作品だと考えるべきだろう。その点は見事だと思う。ただし、ミステリー小説の特徴である事件解決の爽快感に乏しい。そこが欠点だと思うが、深い人物考察あってこそ書かれた作品だとも思う。その意味では作者に敬意を表したいな。

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WBC台湾戦

2013-03-18 12:07:00 | スポーツ
これだけ緊迫感のある試合は滅多にお目にかかれない。

確定申告の前は、連日帰宅が10時を過ぎる。その日は金曜日であったため、さらに遅く帰宅したのは11時近かった。天気予報でも観ようとTVを付けたら、まだ試合をやっていてビックリ。

同点に追いついた場面であり、思わず番組に見入ってしまった。それから試合が終わるまでの深夜、文字通りTVの前に釘づけであった。気が付いたらTVの前で正座して応援していましたね。こんなの、サッカーのワールドカップ以来、久しぶりである。

それにしてもよくぞ勝てたものです。台湾チームの気迫も凄かったけど、最終的には日本の粘り勝ちでしょうか。王建民というスーパーピッチャー以外は、どちらかといえば突出した選手のいない台湾に比して、日本チームは層が厚かった。交替で出てきた選手のレベルの高さが、試合を決めたように思います。

少し気になったのは、昨年日本一となった巨人の主力選手たちの不調でしょうか。長野にせよ阿部にせよ実績は十分なのにWBCではイマイチ。替わって井端や鳥谷といったどちらかといえば地味めな選手たちの活躍が目立つ。

昔ほどではないにせよ、マスコミは依然として巨人偏重であり、このように日本中の野球ファンの前で活躍できる充実感が巨人以外の選手たちを燃え上がらせたといったら言い過ぎであろうか。

もっとも不調が目立った巨人の選手たちも、オランダとの二連戦で目が覚めたのか、打ちまくっていたのが面白い。既にアメリカに渡り、準決勝に備えているようだが、気になるのが失点の多さ。

過去二連覇した時も、日本チームは決して攻撃力とりわけ長打力のあるチームではなかった。むしろ守りの堅さで勝ち上がったチームであった。もっといえば、優秀なピッチャー頼りのチームでもあった。

今回は松阪もダルビッシュもいない。率直に言ってスーパースター級のピッチャーに欠ける。楽天の田中は思ったほどには活躍できず、むしろ不調を伝えられた広島の前田が突出している。オランダ戦のコールド勝ちは、前田の好投が引き寄せたと云ってイイ。

決勝までの試合は、どこのチームが出てくるにせよ強豪ばかり。投手力がものをいうのは確かなので、田中、涌井、杉内といった投手陣の奮起を願いたいものです。

それにしても、アンチ巨人の私にとって巨人以外の選手の活躍は、殊更嬉しいものです。試合を観る時間はとれそうもないけど、期待したいものです。

追記 現在(3月18日)準決勝のプエルトリコ戦中、一点ビハインドのようですが、頑張って欲しいものです。
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死国 坂東眞砂子

2013-03-15 12:32:00 | 

踏み込めない場所はある。たしかにあると信じている。

大学生の頃は、一年のうち2か月以上を山で暮らしていた。大半がテント暮らしであり、同じ場所に幕営することは少なく、いつも移動していた。北アルプスや南アルプスのようなメジャーな山域にも行ったが、地元の山岳会でさえ滅多に登らぬマイナーな山にも登っていた。

人が入らぬ山道は、あっという間に草木に覆われて荒れてしまう。もっとも動物が移動に使うので、獣道としての痕跡が残る。パッと見には、草のトンネルにみえる。腰から下はスカスカだが、上半身は藪に邪魔されて歩きにくい。

このような藪道は、歩くというよりも泳ぐ感覚に近い。上半身を振りながら、手で藪をかき分けながら歩く。これを通称、藪漕ぎと呼ぶ。平地でもかなりキツイ動作になるが、これを山道でやるのだから大変な労力となる。

だが、突如として藪がなくなり、開けた場所に出ることがある。主に峠や沢筋に出た時なのだが、なんでもない山裾でこのような開けた場所に出くわした時は、妙な気分に襲われる。背の高い樹はなく、草もまばらだ。なにより生き物の気配がしない。鳥の鳴き声もなく、虫の徘徊すら見当たらない。これは不自然すぎるのだ。

過去、何度かこのような不自然にひらけた場所に入り込んでしまったことがある。樹海で有名な富士山の青木が原の時は、朽ち果てたしめ縄が残っていて、落ち着かない気分に陥り、早々に退散した。はっきりした理由はないのだが、ここに居てはいけない気持ちになったことだけは覚えている。

大学3年の春、四国縦断を試みた時にも出くわしている。

あれは宇和島から三本杭へ上り、大黒山を経由して篠山を目指すコースの途中であった。下調べの段階で、このルートは既に廃道であり、踏み跡が残るだけの藪山であることは分かっていた。四国の山の藪は濃い。その藪に挑むためのコース設定でもあった。

ただ、あまりに藪が濃かったため、途中大黒山の手前の鞍部でビバークすることとなった。かつては峠道であったことが窺える感じで、もしかしたら茶屋のような建物もあったのかもしれない。平らな場所があったので、そこで幕営したが、メンバーの大半は疲労でへたり込む始末であった。

その日の分の水は確保してあったが、翌日の水が足りないので私が沢を下り、一人水汲みに行くこととなった。夕暮れ間近であったので、ヘッドライトを持ち、ポリタンクをサブザックに突っ込んで、急いで出かけた。

峠の西側は傾斜がきつく、その分沢を見つけやすいと思われたが、如何せん一人では危険だ。多少、時間はかかっても傾斜の緩い東側を下ることにした。こちらには踏み跡があり、おそらく地元の人が偶に利用していると思われたからでもある。

南国である四国といえども3月はまだ寒く、日の入りも早い。下るときは楽だが、登り返す時に迷い易いので、要所要所に黄色のビニールテープを貼って目印にしておく。30分ほど藪の中の踏み跡を下ると水音がする。音のするほうへ向かうと、開けた沢にぶつかり、上手く水を汲むことが出来た。

10リットルのポリタンクと、2リットルのポリタンクを数個満杯にすると、けっこうな重さになる。サブザックにバランスよく積み込むと、峠のビバーク地に戻ることにする。

既に日は沈み、星が瞬き始めている。ヘッドライトを点灯して慎重に登り始める。だいたい、登りは下りの5割増しの時間がかかる。おまけに暗い藪道だ。下るときに貼ったビニールテープを目印に、ゆっくりと登る。

たいした登り道ではないが、一日の疲労が蓄積しており注意力が散漫になっていたのだろう。気が付くと道に迷っていた。どうやら踏み跡をはずして、脇にそれたらしい。

こんな時は慌ててはいけない。まず、ザックを下して一休み。一度ヘッドライトを消して、目を閉じて暗闇に慣らす。目を開けると、さっきよりも落ち着いて周囲を見渡すことができた。

私が道を間違えたのは、今歩いてきた道がよく踏み固められていたため、歩きやすかったからのようだ。明らかに獣道ではなく、人の手が入った山道だった。下るときは、こんな歩きやすい道はなかったはずだ。

ちょっと気になって、ザックを降ろしたまま、その先を行ってみる。すると驚いたことに開けた空地に入った。でも、雰囲気がヘンだ。まず、背の高い草が生えていない。そのくせ、刈払った痕跡はない。

周囲は葦やススキの原っぱであることを思うと、この場所だけぽっかりと空いているのは妙だ。沢筋ならば、イノシシの昼寝場だともいえるが、糞や体臭の強烈な臭さも感じられない。いや、生き物の気配が感じられない。冬場とはいえ、この寂寥感は異常すぎる。ここは一体、なんなのだ。

私は霊感どころか、普通の勘にも乏しい鈍感男だ。それなのに、その時私が感じたのは、一種の畏れであった。なにも理由がないのに、この場所に居てはいけない気持ちにさせられた。

早く退散したいと思ったが、なぜかその場を動けなかった。なにかに見られているような違和感を感じたからだ。私はそっと腕をベルトにもっていき、吊るしてあったナイフを外して、その折り畳みの刃を引き出して、なにかに備えた。なにかを恐れて、構えずにはいられなかった。

おそらく数分の間、その場に固まっていたと思う。その時、急に明るくなった。雲が切れて、月の明かりが射したからだ。その瞬間、緊張が途切れた。同時に、その機を逃さず、私はその場から後ずさりながら立ち去った。

藪の中に戻ると、すぐに残置したザックのところに戻り、ナイフを仕舞い、藪払い用の鉈を手に取った。鉈はずっしりと重く、その重さが安心感につながった。慎重に周囲を見渡すが、何も見えず、何も感じなかった。

自分でも良く分からないが、私はその時踏み込んでしまったことを詫びるかのように、今言ってきた空地に向かって一礼してさっさと逃げ出した。戻るというよりも、逃げるという言葉のほうが相応しかったと思っている。

数分下ると、私が貼ったビニールテープが目に留まったので、元の道に戻ったことが確認できた。また迷うのは嫌なので、今度は慎重に登る。すると笑い声が聴こえてきた。あれはうちのパーティの女の子たちの声だ。一気に張りつめたものが抜け落ちて、思わず座り込みたくなった。

テントに戻ると、今日の藪漕ぎでお肌に傷がついたと女の子たちが騒いでいた。その賑やかな雰囲気に押されて、私は今さっき経験したことを話す気がなくなった。こんなビバーク時に、妙な話をして怯えさすのも良くないしね。

実は私が歩いた山道は、昔のお遍路さんの使っていた道らしい。そのことは、山を下りた翌日の幕営の際に、地元の役場の方から聞いた。いや、正確に云えば、役場の方に道の状況を訊かれた。地元の人でさえ、今は滅多に入らぬ場所らしいことが分かった。

お遍路路と聴いたら、事前に地方研究をしていたA子が、「この辺りにお遍路さんの路があるなんて、知りませんでした」と云うと、役場の方があれは御大師様が四国に来る前からの巡礼路だったと言われていますと答えていたことが妙に記憶に残っている。

あの時はそれほど気にかけなかったが、つまり仏教伝来以前からの巡礼路ということだろう。すなわち古代日本の神々に係る古の路だ。イザナミ、イザナギに代表されるように、古代の日本の神々たちは正義や倫理観の体現者ではない。

生きとし生ける人間の現身であり、自然の体現者でもある。情熱と怨念の体現者でもある古代の神々に係る古の路である以上、私が出くわしたような不思議な場所があってもおかしくないのかもしれない。

表題の作品は、四国を敢えて死の国と表現して現代に古代の浮黷Sらせたホラー小説です。もっとも恐ろしいのは古代の神ではなく、今を生きるはずの人間の怨念であることが印象的な作品でした。

上記の体験談は、この作品を読むまで忘れていたのですが、山間を抜ける古のお遍路が作中に取り上げられていたことで思い出しました。四国に限らないと思いますが、たしかに人が踏み入るべきでない場所ってあると私は信じています。

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