寒い日は、ついつい陽だまりに歩み寄ってしまう。
その日は、顧客の元へ直接伺うので、いつもよりも30分遅く家を出た。駅のホームに立つと、空気は冷たいが、陽だまりに立てばほのかな暖かさを感じて心地よい。
電車を待つ間、しばし目を閉じて陽だまりの温もりに身を委ねる。考え事をしつつも、うとうとしている自分を自覚していた。
ふと目を開けると、電車の扉が閉まるところであった。乗り遅れた・・・
これまで、電車で降りるべき時に寝過ごしたことなら3回ほどあるが、ホームに突っ立った状態で、乗り過ごしたのは生まれて初めてである。ビックリしてしまった。
別にそれほど疲れていた訳ではないと思う。ただ、陽だまりの温もりが、あまりに心地よかった。
幸い、少し早めに出かけたので、顧客との約束の時間に遅れることはなかった。でも、なんというか、自分の愚かさに些か落ち込んだ。
同時に驚くというか、戸惑った。人間、突っ立ったままの状態で眠れるのか。電車内で吊り輪に捉まった状態で、ウトウトしたことはある。でも、まったく何にも捉まらず、なにかに背をもたれる訳でもない状態で眠れるとは思わなかった。
どちらかとえいば不器用な私ですが、けっこう器用なこと、出来るんですね。
沖縄の夜空は美しかった。
何度か、旅行で訪れているが、海沿いを夜散歩すると、星空の美しさに感動してものだ。空気が綺麗なのもあるが、照明やイルミネーションが少ないことも大きいと思う。
だが、これは治安の面では問題がある。
私は子供の頃から、夜の散歩が好きだった。当時の三軒茶屋の街は、今ほどお洒落ではないが、居酒屋、立ち飲みや、スナックと夜の商店街は酔客で溢れていた。
幼い子供だからこそ、その暗く輝く夜の街の危険には無頓着であった。商店街から一歩路地を入った銭湯の帰り、母と妹たちと貸し本屋に立ち寄り、時には屋台で焼き鳥を買って帰る時には気が付かなかった。
だが、中学から高校生くらいになると、夜の街の危うさに気が付かざるを得ない。
角のスナックの看板の脇で、酔いつぶれているかにみえるサラリーマンを良く見れば、顔が腫れている。多分喧嘩でもしたのだろう。その背広のャPットが裏返してあるところからすると、財布を抜かれていると思える。
路地の奥の倉庫の脇の狭い通路には、なにやら怪しい影が蠢いている。それが男女の絡み合いだと気が付くと同時に、近くの茂みに潜んでいる人影にも気が付いた。覗き専門の痴漢であろう。
そんな場面に出くわすと、私は足早にその場を立ち去っていた。巻き込まれるのは真っ平だからだ。見て見ぬフリをするのが一番無難だと、十代半ばにして私は悟っていた。
なのせ痛い目に遇っている。あれは中学に入った頃だと思う。図書室で借りた本を読み終えて、慌てて銭湯に駆け込み、カラスの行水並みの速さで入浴した。
さっぱりした気分で、いつものように夜の三茶の繁華街をブラブラと散歩していた時だ。
時計屋の角の路地の奥から、なにやら人が争う物音がした。なんだろうと思い、近寄ってみると、大人の男女がなにやら身体をぶつけ合っている。女性の声が「やめて、嫌」と言っているように聞こえたので、どうしたんですかと声を鰍ッたら、怒鳴られた。
それも男と女、双方からだ。へっ?と思ったが、男が近づいてきて、いきなり拳骨でお腹を殴られた。「ガキが邪魔するんじゃねえよ」、そう吐き捨てた。その姿を座り込んで、苦痛に耐えている私の目には、その男に駆け寄りすがり付く女性の姿が見えた。
なんだ、いちゃついていたのか・・・大人のすることは分からねえ。
以来、見て見ぬフリをすることを覚えた。だが、その態度が正しいかどうかは別問題だ。実際、男女が仲良くではなく、一方的に男が女を・・・そんなこともあったように思うからだ。
人気のない暗がりの奥に、服がはだけた女性がすすり泣く姿を見かけたこともある。その傍に立つ男が不気味で、近寄らなかったが、あれはどうみても合意の元だとは思えなかった。でも、子供がかかわることではないと分かっていた。
だいたい、その手の事柄が起きるのは、暗がりの奥だ。そこが危ない場所になり得ることは明白だと思う。
ところで、観光地である沖縄の夜の繁華街は賑やかだが、少し離れると怪しい暗がりがあることには、すぐに気が付いた。街中だけでなく、街と街をつなぐ道路も、幹線道路は明るいが、路地に入れば薄暗いどころか、真っ暗な道もよくみかけた。
沖縄にある米軍基地は、前線勤務につくアメリカ兵にとって休養の地でもある。休息と娯楽の為、繁華街に行くのは当然だし、酒と音楽には事欠かない店は沢山ある。そして男ならば当然、女が欲しくなる。
もちろん沖縄には、その手の需要に応じるお店もあるが、決して安くはない。安い給与の若い兵士にとっては、そうそう頻繁には通えない。もっとも、出会いと会話、楽しい時間を過ごしたくて女性が集まる店もある。
そこで知り合った女性と飲み食いしての帰り道。そんな時、薄暗い路地に入ったら、怪しい気持ちになる男女は珍しくない。ただ、それが男の側だけの都合と、欲求だけが先走ると、いささか暴力的な状況になる。
別に沖縄に限らないが、軍事基地周辺の繁華街がある地域では、この手の事件が必ず起こる。命の危機は、人の生存本能を刺激する。たとえ戦闘がなくても前線勤務は、人を緊張下にさらす。
だからこそ、そのストレスを発散する場が求められる。理由が金銭であれ、純粋な気持ちであれ、薄暗い空間は人間の性欲を刺激してしまう。これは本能に基づくことなので、理屈では完全に抑制できない。
沖縄の地から軍事基地を完全に排除することは、現実的ではない。ならば、その地の首長ならば、住民の安全の為、やるべきことはあると思う。薄暗い路地に街灯を設置するだけでも、安全度は高まる。
監視カメラを設置することも、有効であることは言うまでもない。また住民有志による、見回り活動なども役に立つ。自治体としてやるべきことは、まだまだ沢山ある。
で、今の沖縄はそのような現実的な対策をやっているのか。やっているのは、反米軍基地、辺野古移転反対、対日本政府訴訟ぐらいではないのか。私は沖縄の置かれた立場に、一定の同情と共感を抱きつつも、その地方行政の在り方に賛同できません。
誰が言ったのか忘れたが、古代の王が国家が独占すべきものを三つ挙げている。
軍隊(警察含む)、裁判所、通貨の鋳造権。この三つを押さえておくことが肝要だと、その王様は述べていた。ただし、他の書では、通貨の鋳造権の代わりに徴税となっていたものを読んだこともある。
いずれにせよ、通貨というものは、その財産価値、流通性、利便性などの観点からも政府による管理が必要なのだと思う。
だからこそ、数年前に仮想通貨なるものを知った時は驚いた。
国家以外の存在が発行している通貨は、本質的に国家を危うくするものだとの認識があったからだ。しかし、現在、国家の規制を受けにくいインターネットの存在がある。
ネット上で限定的に使われる仮想通貨は、国家の裏付けがないが故に、極めて信頼性が低い。しかし、その利便性ゆえに広く普及しつつある。
なぜ、仮想通貨は許されたのだろうか?
この数年、私はこの問題にずっと悩んできた。現在も万全の解答を得ている訳ではない。だから、以下の文はかなりあやふやなものだ。
現在、世界で流通している通貨のうち、最も広く普及しているのは、間違いなくアメリカ・ドルである。EUのユーロも相当な流通量だが、ドルには及ばない。
これは随分と前から心配されてきたことなのだが、いったいアメリカ・ドルは何時まで信用されるのか、である。かつては金と交換できたドルだが、現在は不兌換通貨となって久しい。
つまりドルの裏付けは、アメリカに対する信用だけである。そのアメリカだが、政府は慢性的な赤字を抱え、公務員の給与や公共サービスでさえ一時的に止まることもある。まァ、これは議会の交渉戦術の一環でもあるが、アメリカ財政が危機的な状況であることには変わりはない。
もっともドル紙幣に対する信頼は、その世界一の軍事力を背景にした政治力に裏付けされているのが実相であろう。アメリカ経済が大不況に陥っても、その政治力、軍事力が機能する以上、ドルに対する信頼は揺らぐまい。
だが、歴史を学んでいるのならば、永遠に続く覇権国家なんて存在しないことは当然に理であろう。アメリカが覇権国として、その地位を確立したのは、ほんの100年前のことに過ぎない。次の100年後も同じであると、誰が保証できようか。
何度か書いてきたが、21世紀は枯渇する原油と、増大する人口、不足する水と食料を巡って争う世紀になると予想される。世界一の軍事力を持つアメリカの覇権は、当面は維持されると予測できる。
だが何時までか?
市場経済の宿命は、常に市場は動き続けなければいけないことだ。停滞こそ経済の死であり、そのためにも経済は動き続けねばならない。市場にとって、戦争は大儲けの機会であると同時に、市場を危うくする時限爆弾でもある。
大きな戦争には、好景気と大不況がセットのように付いて回る。世界一の戦争商人国家でもあるアメリカは、まさに戦争で市場を拡大し、繁栄を得てきた国家でもある。
だが永遠に勝ち続ける国家なんぞ存在しない。まだアメリカは勝ち続けるだろうが、それに伴い拡大する市場を十分に維持できるだけのドルを維持できるだろうか。不兌換紙幣であるドルを、永遠に刷り続けるつもりなのだろうか。
そんな想いに至る時、仮想通貨の役割が見えてきたような気がする。(ちと危ない発想ですけどね)
金貨や銀貨と異なり、不兌換紙幣は信用によってのみ成り立つ価値観である。その信用さえ得られれば、政府が保証しない仮想通貨でも十分だと云えるかもしれない。
ただし、現時点で私は仮想通貨に手を出す気はない。必要がないし、現時点では不安定すぎる。あれほど値上がりと値下がりを繰り返す仮想通貨なんて、危なくて手が出せない。
ドルの不安性ばかり書いてきたが、我が日本・円にしたところで不安定なのは同様である。なにせ現時点では、アメリカ・ドルを買い支えている補助通貨だと云えるくらいドルとのつながりが深い。日本財政の巨額負債の問題も看過しえない要素である。
私としては余裕があれば、金の現物が一番だと考えているが、リスクヘッジの一環として仮想通貨も考えるべきかもしれない。今、そんなことを考えています。
久々の快読。
ビックリするほど、猛スピードで読めた。別に速読したかった訳でもなく、電車の中で、いつも通りに読んでいただけ。でも、後半は我慢できなくて、帰宅してからも布団に寝転びながら、あっという間に読んでしまった。
読み終えたその日の夜、確認したいことがあり、更に再読してしまったのだから、久々に完敗の気分。いや~、これは良かった。
前作「隠蔽捜査」の主人公が、降格左遷人事で、大森警察署長に赴任した矢先に起きた人質立て籠もり事件。犯人を射殺して事件は解決したのだが、射殺してしまったことを非難するマスコミと、警察官僚組織の策謀。
隠し事が大嫌いな変人キャリア官僚でもある主人公が、この危機を如何に乗り切るのかが、本作の醍醐味である。
いやはや、フィクションだとは分かっているが、こんなキャリア官僚いるのかしら?
なにはさておき、この作品、未読なら読んで後悔することはないと断言できます。
あァ、楽しかった!
先週行われた名護市、市長選挙だがマスコミの予想(希望でしょうけど)とは異なり、自公などが推す新人が現職を破って当選した。
事前の報道では、辺野古移転反対の現職市長圧涛I有利であったはずなのだが、いざ蓋を開けると基地問題よりも名護市本来の行政の改革を訴えた新人の勝利であった。
マスコミがどの程度意識して情報操作をしたのかは知らないが、名護市長選で基地移転反対派の現職が敗れたら、次の知事選には出ないと言っていたはずの琉球王様は、前言を魔オて、基地反対の民意が問われた訳ではないと妙な言訳をしている。
大規模な軍事基地が身近にあり、騒音をはじめ様々な不満があるであろう沖縄の人たちの反基地感情は分からないでもない。私も幼少期の一時、米軍基地の隣町に住んでいたので、他人事とは思えない。
実際、基地から離れてはいたが、近所の米軍基地勤務のアメリカ人家庭の子供たちとは決して友好的な関係ではなかった。それどころか、奴らの蔑視は子供心にも不快であったし、遊び場を巡る些細な諍いは珍しくなかった。
私が最初に覚えた英語は、多分ファッキューかブルシットだと思う。多分、アメリカ人の子供も、バカとかクソッタレといった日本語を覚えたはずだ。話せばわかるなんて言っている連中は、異なる民族間で生じる軋轢が本能的なものだと分かってないと思う。
だが、その一方で私はガキの頃からアメリカの御菓子やジュースの美味しさも知っていた。米軍基地に出入りする業者たちが甘い汁を吸っていたことも、子供ながらある程度知っていた。
沖縄だって、似たようなものだろう。米軍基地とアメリカの軍人たちに対する不満は相当にあるだろう。でも、その米軍基地があることで懐が潤っている現実もあるだろう。
もちろん理想は軍事基地のない平和な沖縄なのだろうけど、これは地政学的に無理だ。軍隊がないことが平和なのではない。軍隊によって守られるのが平和だとの常識がない。その軍隊が本当に沖縄を守る為なのかは議論の余地があるが、本質的な問題は、その軍隊がアメリカ軍であることだろう。
それが敗戦国、日本の甘受すべき現実である。戦争は終わったとか、戦後とか言っているが、本当の意味での戦後処理の完結は、外国の軍隊が自国から撤退してこそであろう。
しかしながら、日本の置かれている国際的な状況が、それを許さない。アメリカがその防衛ラインを沖縄に置いている以上、基地の撤退はあり得ない。また海洋進出の野心をたぎらせる共産シナがある以上、軍隊に守られない沖縄の平和なんてあり得ない。
このような現実を無視し、ひたすら反アメリカ、反基地、あげくに反日本政府を叫ぶことしかやらない琉球王と、沖縄二紙の卑怯さにはウンザリする。
沖縄での生活を少しでも良くしようと思うのならば、やるべきことは数多ある。それをやらずに、ただ反米軍基地、辺野古移転反対ばかり選挙で口にするから、たいして実績のない若手に敗れたのだ。
実際、出口調査などによると、若い世代ほど現職よりも新人を支持していた。身近な生活を名護市及び沖縄県庁がお座なりにしていることに、若い世代が憤っていた証でもある。
選挙の後、一部の記者やら識者やらが、反辺野古移転の民意が否定された訳ではないと強弁していたが、その姿勢こそ若い世代から、そっぽを向かれた原因であろう。
とはいえ、米軍基地に対する反感があるのも事実であろう。でも、基地反対以外にすることも沢山あるはずだ。そこを無視したからこそ、名護市長選挙に敗れた。
このままだと、次の沖縄知事選挙は荒れると思うな。