心が朽ち果てる思いをした事は生涯忘れないと思う。
20代の前半、私はずっと家に閉じこもっていた。寝床に横たわり天井を飽きるほどに眺めていた。天気が良くても、窓の外を見る気にはなれなかった。だって眩し過ぎるから。
時代はバブルの最盛期。円高により海外から安く物資を輸入できることの幸せを、日本が初めて味わった時期でもある。馴れぬ大金を手に、大企業は株式市場と不動産市場に狂ったかのように資金を投げ入れた。
少し派手好きの人は、海外の不動産に投資した。ハワイやNYの高額物件を買い占めて、羨望と顰蹙とを手中に収めた。そんな新聞記事を読みながらも、私はどこか遠くの国、異世界の話題に過ぎないと捉え、寝床に潜り込んだ。
布団をかぶって目を閉じて、耳を塞いでいれば平凡にして退屈な療養生活が私を包み込んでくれた。嬉しくもないが、華々しい世間から意識を遠ざける効果はあった。大量の薬を飲むために食事を摂り、栄養と薬剤が身体を巡らせて、血液がなるべく腎臓を通過しないように静かに身体を横たえることだけが私に出来ることだった。
元々は散歩好きが高じて登山を始めた野外派である。年がら年中日焼けした肌で野山を駆け巡り、自転車で都内の古本屋を駆け巡る活発な小僧であった。ただ、本性がナマケグマなので家でゴロゴロと無意味な時間を過ごすのも好き。このナマケグマの本性が結果的に私を救ったと思う。
二十代半ばの療養生活中、私は薬の副作用で顔が丸くなり、家に籠っていたせいで色白の青っ白い不健康な青年であった。そんな惨めな自分を見られるのが嫌で、尚更家に引きこもっていた。
これがどれほど苦しいか分るだろうか。いっそうのこと、檻の中のほうがマシだと考えたことさえあった。つくづく人間という哺乳類は社会性の強い生き物なのだと思い知った。社会から隔絶されると心がすさむ。このまま私は世間から忘れ去られて朽ち果てるのかと思っていた。
安静を守ることが必要なのは分かっていた。でも、このままでは心が持ちこたえられない。病み疲れた身体に無理させて、週に一回は図書館に通い、レンタルビデオを数本借りた。家でゴロゴロしながらでも出来るのは、読書とヴィデオ鑑賞くらいだった。これならナマケグマにも出来る。
私はこれで少しだけ救われた。少しだけだがゼロではない。この少しのあるかなしかが境目だった。多分だけど、なにもせずにいたら心が朽ち果てて、異常をきたしていたと思う。
表題の書は、ナチス・ドイツのユダヤ人狩りから逃れてきたユダヤ人医師が、かつて偶然子供を助けた山村の一家に匿ってもらい、納屋の一角に隠し場所を作ってもらい2年間を過ごした話だ。
彼の世話をするのは、かつて助けた少年と、その幼馴染の盲目の少女だ。狭い箱のなかで気が狂いそうになっていた彼を救ったのは、この子供たちとの会話だった。だが、次第に狂気に染まりつつあるユダヤ人との会話は、思春期に入る子供たちにも微妙な影を落としていった。
実はこの物語の主人公は、匿われたユダヤ人ではない。彼の世話をする少年と彼の成長が主題となる。なかでも盲目の少女の存在感が際立つ。ユダヤ人が狂気に陥るのを防いだ二人の子供と、その成長の物語だ。
あまり世間に知られていないようだが、名作だと思うので機会がありましたら是非ご一読を。
20代の前半、私はずっと家に閉じこもっていた。寝床に横たわり天井を飽きるほどに眺めていた。天気が良くても、窓の外を見る気にはなれなかった。だって眩し過ぎるから。
時代はバブルの最盛期。円高により海外から安く物資を輸入できることの幸せを、日本が初めて味わった時期でもある。馴れぬ大金を手に、大企業は株式市場と不動産市場に狂ったかのように資金を投げ入れた。
少し派手好きの人は、海外の不動産に投資した。ハワイやNYの高額物件を買い占めて、羨望と顰蹙とを手中に収めた。そんな新聞記事を読みながらも、私はどこか遠くの国、異世界の話題に過ぎないと捉え、寝床に潜り込んだ。
布団をかぶって目を閉じて、耳を塞いでいれば平凡にして退屈な療養生活が私を包み込んでくれた。嬉しくもないが、華々しい世間から意識を遠ざける効果はあった。大量の薬を飲むために食事を摂り、栄養と薬剤が身体を巡らせて、血液がなるべく腎臓を通過しないように静かに身体を横たえることだけが私に出来ることだった。
元々は散歩好きが高じて登山を始めた野外派である。年がら年中日焼けした肌で野山を駆け巡り、自転車で都内の古本屋を駆け巡る活発な小僧であった。ただ、本性がナマケグマなので家でゴロゴロと無意味な時間を過ごすのも好き。このナマケグマの本性が結果的に私を救ったと思う。
二十代半ばの療養生活中、私は薬の副作用で顔が丸くなり、家に籠っていたせいで色白の青っ白い不健康な青年であった。そんな惨めな自分を見られるのが嫌で、尚更家に引きこもっていた。
これがどれほど苦しいか分るだろうか。いっそうのこと、檻の中のほうがマシだと考えたことさえあった。つくづく人間という哺乳類は社会性の強い生き物なのだと思い知った。社会から隔絶されると心がすさむ。このまま私は世間から忘れ去られて朽ち果てるのかと思っていた。
安静を守ることが必要なのは分かっていた。でも、このままでは心が持ちこたえられない。病み疲れた身体に無理させて、週に一回は図書館に通い、レンタルビデオを数本借りた。家でゴロゴロしながらでも出来るのは、読書とヴィデオ鑑賞くらいだった。これならナマケグマにも出来る。
私はこれで少しだけ救われた。少しだけだがゼロではない。この少しのあるかなしかが境目だった。多分だけど、なにもせずにいたら心が朽ち果てて、異常をきたしていたと思う。
表題の書は、ナチス・ドイツのユダヤ人狩りから逃れてきたユダヤ人医師が、かつて偶然子供を助けた山村の一家に匿ってもらい、納屋の一角に隠し場所を作ってもらい2年間を過ごした話だ。
彼の世話をするのは、かつて助けた少年と、その幼馴染の盲目の少女だ。狭い箱のなかで気が狂いそうになっていた彼を救ったのは、この子供たちとの会話だった。だが、次第に狂気に染まりつつあるユダヤ人との会話は、思春期に入る子供たちにも微妙な影を落としていった。
実はこの物語の主人公は、匿われたユダヤ人ではない。彼の世話をする少年と彼の成長が主題となる。なかでも盲目の少女の存在感が際立つ。ユダヤ人が狂気に陥るのを防いだ二人の子供と、その成長の物語だ。
あまり世間に知られていないようだが、名作だと思うので機会がありましたら是非ご一読を。