ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

大工不足

2023-12-22 14:23:27 | 経済・金融・税制

大工が不足しているという。

正確には若い大工が育っていないが故に、高齢化が進み、引退する大工を代替する若い大工がいないことだ。マスコミ様は書かないけど、敢えてその原因を言ってしまえば、大手建築会社とりわけハウスメーカーが原因だ。

現在、ハウスメーカーが建てている家屋は、組み立て式である。ハウスメーカーの工場から出荷された建材を現場で組み立てるだけ。つまり高度な技術を持つ大工を必要としない家造りである。高い工賃の大工を排除する一方で、高性能を謳い文句にした建材を、その豊富な資金力で宣伝して販売している。

だから日本のハウスメーカーが建てた家は、建築がパターン化している。顧客の要望に応じるのではなく、顧客の要望を自社のシステムに納得させることに力点を置いている。これは木造建築も同様で、規格化された材木を、しっかりと構造計算してギリギリの安全基準で組み立てる。だから坪単価は安いが、顧客の要望に柔軟に応じることは嫌がる。

当然である。そのような規格外の要望に応じられる腕の良い大工を排除したからこそ、安い価格で販売してこれたのだから。その結果として、町の個人経営の工務店は価格競争では勝てず、宣伝力もないためハウスメーカーが優先的に選択される。

バブルの頃に比べて、個人経営の大工さんの所得は、概ね6割程度ではないかと思う。若い人が大工になりたがらないのも当然の結果である。

ところが困ったことが起きた。日本人が人口減少により家屋が余ることは想定内だが、そこへ海外の富裕層が日本に別宅を求めるようになった。長野県の白馬村では、スキー目当てのオーストラリア人が10LDKもあるような邸宅を構えていることが有名だ。ただ、この建築に日本の建設会社はなかなか参入できずにいる。

はっきり言えば、富裕層が満足できるような注文住宅を建てる技術のある大工が大幅に不足している。木造建築ならば宮大工に代表されるような高い技術を持つ大工は居るのだが、鉄筋造りの家屋で特殊な設計に対応できる大工が圧倒的に少ない。

仕方なく海外から大工を連れてきて邸宅を建てているのが実情だ。つまり日本の建築会社はのけ者である。この状況に焦りを感じてる大手ゼネコンは、富裕層向けの高級マンション建築のための大工養成を今更ながら始めている。

地方の中規模な工務店でも、富裕層の注文に応じられるよう、技術力を持つ若い大工の育成を始めている。だが経験がものをいう世界だけに、日本はこの分野では完全に出遅れている。

本来、手先が器用で職人気質が強い日本が築きあてた製造業大国は、もはや幻想とかしている。霞が関のお偉方が盛んに喧伝していたIT立国だのデジタル大国、金融立国なんて絵にかいた餅に過ぎず、一番良かった分野をダメにしてきたのが日本の政治である。

まだ軌道修正は可能だと思うけど、少なくても霞が関主導の未来の日本には希望は持てませんね。

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中村俊輔の引退

2023-12-21 09:38:04 | スポーツ

テープが擦り切れるほど繰り返し視たのがディエゴ・マラドーナのプレー集であったそうだ。

80年代にアルゼンチンに君臨した王様、それがディエゴ・マラドーナであった。そのプレーは正に異次元のもの。他の選手の倍はボールタッチを繰り返すドリブル。他の選手ならば優しく浮かせるボールを激しく高速でゴールネットに打ち込まれるフリーキック。筋肉ダルマと言いたくなるような逞しい体つき。小柄な体躯ながら超絶的な跳躍力をみせ、ダッシュとストップを繰り返す独特のプレースタイル。

よくペレと比較されるが、ピッチ上の一人の選手として評価するならば、私はマラドーナのほうが上であったと考えている。ちなみにペレの偉業は、世界とりわけアフリカやアジアにサッカーの魅力を伝えて世界的な人気スポーツとしたことだと思う。

サッカーがマイナーであった日本でも、マラドーナのプレーが見れるヴィデオはサッカー少年の間ではバイブル扱いであった。そんなサッカー少年の一人が中村俊輔であった。何度も何度もヴィデオを繰り返し視て、そのプレーを目に焼き付けて練習に励んだという。

だが身体の線が細く、大柄な選手に弾き飛ばされることが多かった俊輔は、ジュニアチームでこそマリノスの下部チームに居られたが、ユース年代ではチームに置いてもらえなかった。その屈辱を胸にして、高校サッカーで活躍しての日産マリノス入りを果たした苦労人だ。

私は中村俊輔に天才という冠を乗せたくない。この人こそ努力と研鑽の末に大成した選手であると確信しているからだ。

中村俊輔といえばフリーキックの名手として知られるが、Jリーグにデビューした時はなによりもドリブルの名手であった。マラドーナのように細かいタッチを繰り返し、相手からボールを取られず、トリッキーな動きで翻弄してゴールに向かってドリブルを進める姿には感嘆符が思わず漏れる素晴らしさ。

そして当時の日本人選手には珍しく正確なロングキックによるパス供給も得意であった。その実力でチームに貢献し、次第に中心選手となった。当時のJリーグには海外の有名選手が多数いたが、フリーキックを任される数少ない日本人選手が俊輔であった。

そして当然に日本代表にも召集されたが、当時の監督はトルシェエであり、彼は自分の戦術に選手を当てはめるため、日韓ワールドカップでは代表を外される屈辱を経験している。もちろん、その後は復帰して大活躍している。アジア杯やコンフェデレーションズ杯における活躍は私の中では生ける伝説級である。

しかし予選ではあれほど活躍し、俊輔抜きでワールドカップ大会への出場はあり得ないほどに貢献したにも関わらず、様々な理由で本大会ではほとんど活躍できていない悲運の選手であった。

その俊輔も現役引退を発表し、先日引退試合をしている。間違いなく今後は指導者への道をたどると思う。実際現在横浜FCのコーチであるが、狙いは日本代表監督であろう。現役時代に満たされなかった思いを指導者として活かして欲しい。きっと彼なら出来ると私は信じています。

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オスプレイの残すもの

2023-12-20 09:54:02 | 社会・政治・一般

挑戦に失敗はつきものだ。

失敗に失敗を重ねて欠点が判明し、その改善を繰り返すことにより完成品となる。その代表がヘリコプターであった。朝鮮戦争末期に登場したシコルスキー製の見慣れぬ航空機は、飛行機に必須であった飛行場を必要としない。

この利点ゆえに、当初は怪我人の救出に使われたが、現場でその活躍をみた軍人たちは無限の可能性に気が付いた。偵察から攻撃まで多彩な活用により戦闘を有利に運べることが可能だと気が付いたからこそ、20世紀後半はヘリコプター抜きでの戦争は考えられなくなった。

しかし、その一方で初めて開発、運用された航空機だけにトラブルは多発した。アメリカでもソ連でも、ヘリコプターは数多開発されたが、実用化されずに失敗機として終わった期待は数知れずだ。また実戦登用されても、墜落等による事故はなかなか減らなかった。

その原因として考えられたのが、まず複雑な動力伝達機構からくるメンテナンスの難しさ。航空機といっても通常の飛行機とは全く異なる操縦法に対応しきれないパイロット。そしてその運用の多彩さゆえに過酷な状況下で使われるが故のトラブル。

現在、当たり前のように飛んでいるヘリコプターだが、その過去には数多くの失敗、事故の積み重ねがあってこそである。それゆえにヘリコプターを開発製造できる国は極めて限られている。第二次世界大戦末期にドイツで開発はされたが、実際に実用化に成功したのはアメリカだ。そしてイギリス、フランス、イタリア、ソ連と続いたが、現代でも一から開発出来る国は少ない。

ちなみに我が国もライセンス生産をしているが、近い将来なくなるかもしれない。実際、自衛隊でも必要性を認めつつ、割高な国産に拘ることを改める傾向にある。

ヘリコプターは便利な機体ではあるが、欠点も多い。なかでも飛行速度が遅いことと、飛行距離が短いことが問題だった。そこで開発されたのが垂直離発着が可能なうえに、水平飛行も通常の航空機並みの速度を得られ、飛行距離も長いオスプレイの実用化は夢の実現であった。

しかし、やはり初めて実用化されただけに事故の多さが目立つ。そして何よりも調達価額が高すぎた。アメリカ軍以外では唯一日本だけが購入している。離島を数多く持つ海洋大国である日本にとって、垂直離発着が出来て、なおかつ飛行距離が長いオスプレイは理想の航空機であったからだ。でも一機当たり130億円はあまりに高いのも事実。

遂にボーイング社はオスプレイを2026年で製造中止と発表した。その代わりではないが、ベル社がV280バローを発表し、既にアメリカ陸軍が調達を決定している。オスプレイよりも小型ではあるが、より改良された機体との触れ込みである。

アメリカは長年使ってきたブラックホークの後継として考えているようだ。いささか小型化されたのは残念だが、いずれ日本にも採用される可能性は高いと私はみている。一部のマスコミ様は執拗にオスプレイは欠陥機であり、沖縄配備反対だと騒いでいる。しかし離島を多く抱える日本にとって、オスプレイのような性能を持つ航空機こそ防衛に適している。

ただ西太平洋を狙っているシナには目障りこの上ない航空機なのは確か。だからこそ日本には必要不可欠だと私は考えます。出来たらオスプレイのライセンス生産を日本国内でやってくれるとありがたいのですが、財務省に媚び媚の現首相様では無理でしょうねェ。

 

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胡散臭いEV報道

2023-12-19 14:45:35 | 経済・金融・税制

呆れてしまうのだが、未だに「日本車はEV化が遅れている」と口にする専門家様がいることだ。

既にEUでもEV車は人気が急落して、替わりにハイブリッド車が爆売れしている。国策でEV化を推進していたシナでさえ大量のEV車墓場がニュースで報じられている。

正直、世界におけるEV車の惨状を知っていれば、恥ずかしくて書けないレベルの記事である。ここまで酷いと、なにか裏があるのではと勘繰りたくなる。だが、なにも証拠はないし、邪推だけで批難するのも価値がない。

そもそも何故にEV車の普及が課題とされたのかといえば、表向けの理由は地球温暖化対策である。すなわち化石燃料を燃焼させる現行の自動車のエンジンは、地球の温暖化を加速化させて人類を危機に追いやる。だからこそEV車に切り替えて、少しでも地球温暖化を阻止する努力をすべきだと。

実はもうこの段階で、EV化推進方針は怪しい。まず地球の温暖化が進んでいる、これは事実である。しかし、現在の地球は寒冷期にあたり、一時的な気温変動に過ぎない可能性が十分検証されている訳ではない。参考までに温暖期の地球では、北極及び南極に万年氷がない状態を指す。そして今も極地から氷が消えたことはないのが寒冷期であるなによりの証拠である。

次に温暖化の原因として化石燃料の活用による二酸化炭素の排出が挙げられているが、そのうちガソリンエンジン搭載の車による影響がどの程度なのかさえ十分検証されていない。本気で温暖化防止を進めるならば、家畜の排せつ物から出るメタンガスも考慮すべきだが、多くの加盟国が農業大国である事情からか無視している。

EUによるEV車強要の背景にあるのは、日本車排斥であることは当初から噂されていた。これは現在最も現実的なガソリン燃焼抑制につながるハイブリッド車の特許が日本メーカーに牛耳られているからこそ、殊更EV車に拘ったらしい。

もっとも皮肉なことにEV車については、シナのメーカーが先行してしまいEU圏内のメーカーが立ち後れて本末転倒の事態に追い込まれている始末。遂にはBMW社やVW社の社長自らEV車一辺倒の開発を止めると宣言される惨状。

呆れたことにEU委員会は、未だにEV車への強制変更の方針を変える決断が出来ずにいる。既に足元から叛旗が翻っていることを無視しているのに、官僚的頑なさから方針変更が出来ない愚かさを露呈している。

ただ勘違いしてはいけないのだが、温暖化以上に危機的な原油の枯渇問題は、徐々に現実化している。原油は現代文明にとって血液と言ってもおかしくない必需品であり、原油の枯渇は文明の死活問題となる。だから代替エネルギーの開発は責務ではあるが、現時点では主にコストの問題から原油以上のエネルギー源は実用的ではない。

EV車は原油の枯渇を考えれば、極めて現実的な解決策の一つであるだけに、EU委員会の独善的な施策により失敗したかのように思われるのは残念である。バッテリーも問題もさることながら、ガソリンスタンドのように気軽に充電できる環境が構築されれば、非常に有効な解決策であることも確かだ。

ただし、現状では課題が多すぎて実用的ではない。だからこそ欧州の人々、特にEV化の先頭を走っていたノルウェーでハイブリッド車が爆売れしているのだろう。やはり、まだ早すぎた施策なのだと思う。

そんな現状を専門家様が知らないはずがない。それなのに「日本はEV化が遅れている」なんて平然と口にすることが私には不思議でしょうがありません。

 

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政宗さまと景綱くん 重野なおき

2023-12-18 13:27:16 | 

時と場所、機会の巡りあわせがあまりに不遇だった、それが伊達政宗だと思う。

まず生まれが遅すぎた。せめて10年早ければ戦国大名として北条や松平、武田、上杉、最上と対等に戦えたと思うが、彼が奥州を統一した時には既に信長、秀吉が台頭していた。

そして場所。やはり奥州は遠すぎる。これは四国の長曾我部、九州の大友、島津にも共通するが、当時の日本の中心地は京都であり、遠すぎては情報が適切に伝わらない。

最後の機会巡り合わせ、これは人(敵、味方、部下)と物(鉄砲や新商品)との出会いであり、入手機会でもある。伊達政宗はこの点でも不利であった。

ある意味、非常に残念な戦国大名であった。秀吉と家康は、この奥州の猛者を非常に警戒したのも無理はないと思う。それだけの潜在能力はあったと思う。しかし私は伊達政宗を一級の戦国大名だとは認めているが、信長や秀吉のような天下人にはなれなかっただろうと考えている。

これは武田信玄や上杉謙信、長宗我部元親らにも共通するのだが、伊達政宗も優れた戦国大名であった。それは間違いがないが、では戦国覇者としての観点からすると、所詮ローカルな統治者に収まってしまう。

織田信長が凄かったのは、織田家歴代の家臣に囚われず、優秀ならば外部の人材を積極的に登用したことだ。柴田勝家と丹羽長秀を除けば滝川一益、明智光秀、羽柴秀吉は外部登用者である。だからこそ日本各地に彼らを派遣して勢力圏を伸ばすことが出来た。もちろん重要な戦いには自らが赴くことも忘れない。

ただ最後に最も信頼していた明智の裏切りにあったのは不運であったが、案外と信長は「是非もなし」として納得していたかもしれない。それを観ていた秀吉も外部からの人材登用に積極的であったが、本能寺の変以降は、次第に親族を重用したことが豊臣政権が短命に終わった原因であった気がする。

この二人の戦国覇者を見ていた家康は、裏切る可能性のあるものは難癖付けても潰し、潰せないほど強力なものは遠隔地に配して徳川泰平の世を実現した。そして伊達政宗はその後者であった。

単なる武者でなかった政宗は、徳川の世が安定するとみるや、本国の開発整備に力を入れる一方、幕府に対しては隙をみせず幕末の世まで続く伊達藩を残して見せた。まさに英傑だと思う。

そんな伊達政宗を主人公に、その補佐役や家族らを描いた歴史四コマ漫画が表題の作品です。気軽に楽しめる佳作だと思うで機会があったら是非ご一読を。

コメント (4)
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