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陽気が良くなると、家の中にじっとしていることができなくなる。昨日は以前から気になっていた峠を探しにいってきた。その昔「蟹沢」の集落とひと山超えた「黒沢」の集落とを結んだ、人の往来もかなりあった峠だと、郷土史関係の本で知っていた。
こう呟いても、土地勘のない人には分かるまいが、高遠を抜け左右を山に挟まれた杖突街道(R-152)を北上していくと長藤の中条に至る。左手から1本の沢「黒沢川」が流れてきているが、その奥まった山懐にこの集落「黒沢」がある。以前に2回ほど行ったことがある。家々は日当たりの良い南向きの斜面に固まっていて、古くて立派な「鹿島神社」があるなど、かなり昔から人々の生活が続いていたと窺えた。口碑では、下駄が流れてきて、それでようやく沢の上流にも人が住んでいることを知って下流の人たちが驚いたとか。どこまで真実かは不明だが、今はさておき昔は、山を間にしても黒沢と蟹沢の人々の交流が、麓の人々とよりかもあったという伝承であるだけに面白い。その背後の山を越えて、さらに下れば手良の蟹沢へ至ることになる。
蟹沢の集落の背後にある山はかつての御料林で、「沢山(さわやま)」と呼んで何度も足を運んでいる。そこまで行けば分かるだろうと高をくくって行ったのが間違いだった。それらしい山道に入っては行き止まり、引き返しを繰り返し、信大演習林内の管理棟に立ち寄っても、屋根から煙が見えていたが応答なく、その挙句にはその先で行き手を阻まれ、ついに諦めるしかなかった。
それでも、春先の山の中を行ったり来たりしたお蔭で気分転換になったから良しとし、蟹沢の集落まで下ってきた。そこで野良作業をしている人影を見掛けたので、念のため峠のことを尋ねてみると、田を1枚挟んだ向こうの道がそれではないかと言う。驚いた。あれこれと話し、礼を言って帰りかけたら、親切にも畑に育てたウドをわざわざ掘り出して分けてくれた。年齢は同じぐらいだったろう。
気を取り直し、急な山道を一心に車を走らせ登っていくと、途中で目指す峠の案内板を目にした。そして、初めてその峠の名前を知った。「風超峠」というのだが、正しい読み方は急いでいて記憶にない、「かざこしとうげ」で良かったか。
結局、峠まで行くことはできず次回に期すことにした。どうやらこの峠の名前は黒沢の人たちが付けた呼び名で、蟹沢には別の名前があったこと、どちらの集落かは知れずも夜這いや、それが縁でか、婚姻も行われたらしいことなどなどが、読み飛ばした案内板に綴られていた。
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