1週間が逃げるように過ぎていく。19日に牧を閉じてから、もう、それだけの日が過ぎた。その最終日の19日は上に泊まり、翌朝20日、囲い罠に9頭の鹿の捕獲を確認してから里に下った。次の日の21日、その鹿の殺処分に立ち会うため上に行き、さらに24、26日とまた出掛けた。しかし、これで当分は上に行かなくても済むだろう。
そうそう、誰かが小黒川林道の入り口に付けた不審な南京錠の件も、ここでは詳しく呟かないが一応落着した。後は貸与されていた軽トラを農協に返せば、まだ上に行くことはあっても、今年もまた例年のように長い冬ごもりに入ることにする。
そう言えば、入笠も冬ごもりの体制に入るため、ゴンドラは止まり、それに合わせて山小屋も冬季営業の準備のため一時休業になったはずだ。それに今冬は、上に通じる道路は伊那側も富士見側も全て通行止めになってしまったから歩く以外に方法がない。たまに訪れる鉄砲撃ち以外、人気はすっかり絶えてしまっただろう。
本当はこういう時こそ、冬枯れの山のうら寂しさを満身に感じ、孤寂の甘味をしみじみと味わうことができるはずなのに、どこからも、誰からも何の問い合わせもない。
雪の山頂、ヒルデエラ(大阿原)、テイ沢ぐらいを歩いて入笠を知ったとか、「マンネリ」だとかウソブクXXXさん、あなたに言います。例えば、大沢山を巻く林道を一周しながら、葉を落とした木々の枝を渡る冬鳥や、群れから離れた孤独な鹿の姿を目にしたことがありますか。夏のころ、高座岩から半対峠まで足を延ばし、そして小黒川の川床を、石堂越えの踏み跡を辿るとか、渡渉して林道を戻ってくることなど考えたこともないでしょう。御所平峠から山椒小屋跡、あるいは御所が池くらいまでの雪の古道を散策したりしたこともありませんね。少し遠方になるけれど、深く切れ込んだ圧巻「東谷」の流れを眺めたことがありますか。手を浸したことがありますか。例えば・・・、ムー、もう止めておきますが、雪の降る夜道を、ご夫婦二人で歩いた時のことを忘れてはいないと思います。どうかたまには思い出してください。そして待っています。
安直な案内冊子を手に、それに頼るだけでは勿体ない話だと思う。また、山では目に写る自然ばかりでなく、心の中を歩くわけで、同じ山、同じ山路であっても、その時その時の山々との違った出会いがあって、新たな感慨に打たれる。そして、その記憶がいつか心という酒袋の中で発酵していくという気がする。
今、若かったころの山行を思い出しても、その時の目標の山の記憶はすっかり忘れてしまっても、ただ山を歩いていた時の情景ばかりが断片となって甦ってくる。それも、なぜか中級の上越や奥多摩の山々、少なくも森や林のある景色だ。森林限界を超えたもっと高い山のことを忘れたわけではないが、それらを懐かしく思い出すことはあまりない。
本日はこの辺で。