岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室

医大生が個別指導する全国でも珍しい塾が明光義塾長良地区、芥見地区に登場。山県市、美濃市、関市からも通塾されています

★通信簿の謎

2016年09月25日 19時40分21秒 | 受験

 ★観点評価

 学校も後半に入りました。しかし、二期制の場合は前期末、三期制の場合は1学期末で通信簿を学校からもらってきたはずであります。
点数はかなり良かったけども通信簿は悪かった。学習態度は特別悪くはないがどうしてだろうか・・・。自分よりも悪い人が通信簿の5段階評価がいいのは納得がいかない・・・。多分にあの先生は個人的な主観がかなりあって好き嫌いが激しいから差別しているんだと自分で自分を慰めてはいませんでしょうか・・・。

 凡そ通信簿は相対評価と絶対評価に分かれますが今やほとんどが絶対評価になっていますが関心、意欲、態度、提出物、時事問題等への関心。理由や資料や動機を問う問題等一つ一つ分析していきますと全く通信簿ってどうやって評価しているのだろうかと考えてしまいます。

 ここで通信簿の付け方の前に絶対評価と相対評価についてワンダートレンドの記事から引用してみます。

http://wonder-trend.com/archives/3305.html

 このようになっています。
 この記事を読んだ後にAll About の記事で『そうだったのか、中学校の通知表の成績はこう決まる「高校受験」
http://allabout.co.jp/gm/gc/66170/

 お分かりでしょうか。このように評価はなっているようです。ですから主観的なことも無いとは言い切れない処もあるかもしれませんが何といっても学校間の格差が問題になって来るわけです。そうしますと勉強のいい学校弱い学校と云うことでランクが付けられてきます。ですから例えば家を購入する場合あの学校の校区は生徒数が少ないからダメだ。逆に生徒数が多くてうるさくて適わないからダメだ。またあの学校は学級崩壊寸前の噂を聞いたから土地を買って家を建てるのは違うところにしようか・・・。ってことはザラにあるわけです。

 当然大学を目指すのであればのんびりした学校より競争が厳しい面倒見のいい学校が選択されて当たり前になります。そのために考えられたのが絶対評価と云う通信簿になります。

 しかしながら受験生の場合は実態はそうではありません。此処からは私の主観がかなり入りますので正しいことか間違っているのかはわかりませんがただ云えることは岐阜県の高校入試は内申点と入試の配点で決まります。普通科や単位制の学校は3:7で商業、工業の職業科は5:5にほぼなっています。そうしますと仮に普通科に行くとすれば今や伝説的ではありますが特色化選抜があった頃5:5の時がありました。どうしても岐阜高校に行きたい。しかし、岐阜新聞テストでどうしても400点が取れないという生徒がいました。今は国立看護に行っていますが当時どうしても取れないお姉さんの仇を獲ると云って頑張っていましたが結局第3回の岐阜新聞テストまでは取れませんでしたがお姉さんは岐阜北高校から名大と云うコースでしたが兎に角彼女は岐阜高校を目指したいということで頑張ったのですが4回目の岐阜新聞テストでは400点は越えました。しかし、現在ではこの点数ではかなり無理であります。今回の第1回岐阜新聞テストの岐阜高校の平均点は450点ほどで岐阜北高校は405点位であったと思います。これは平均点の話でボーダーラインの話ではありません。

 そこで彼女は勝負に出ました。内申点と入試は5:5であるならば内申点は自信があるから受けますと云って受けました。そして見事合格したのです。大学に入って第一志望校が筑波大学でしたが1点に泣き結局国立看護にしたわけですが帰ってきて後輩に指導している時にはそんな話を良くしていたものです。
 
 これは相対評価の欠点と云いますか見通しがかなり曖昧な時代のことです。今は中間、期末テストよりも実力テスト重視になっています。ですから期末テストは推薦ぐらいにしか評価はされません。中学3年生の場合は9月の実力テストが非常に大事です。もうほとんど終わったと思いますがこれは各学校が統一化していますのでかなり具体的に評価は正しくされます。「頑張らないと危ないぞ」とか「もう少し頑張ればなあ」とか言っていただければそれはOKの合図です。しかし、「ダメダメ」「そこは無理だから私立高校の単願で・・・」なんて言われますとかなり迷ってきます。私立高校の単願についてはよくできる生徒+遅れている生徒が何人か引き連れてと云うことになります。これは毎年お宅の学校からは何名くださいって話ができている訳です。昔、平常のテストで400点ある女子にU高校に単願で行かないかなんて話が合ってお母さんはかなり憤慨していましたが当たり前のことです。そのお兄さんは名大に進んだのですから怒るのも無理ないことであります。

 そこで一番大事なことは実力テストだということを知ってください。そしてそれは中学3年生だけでなく中学1年生、2年生の実力テストもかなり参考にされています。つまり進捗状況はどうなっているのかと云うことであります。

 ですから評価が5:5の時代と3:7の現在の時代ではかなりな差が出てまいりますが、ここでどうしても触れておきたいことがあります。
 それは少し話が横道に外れますがお隣の美濃学区は今はかなりハイスピードで成績がUPしています。どうしてでしょうか・・・。美濃学区と云いますと関高校がありますし名門高校であります。私どもでも一橋大学や大阪大学に入学した人を輩出しました。しかし、現在は少し関心のある方はお分かりかと思いますが今年、昨年と関高校は定員割れになっています。武義高校は今年は定員割れでした。

 そして驚く事実があります。数年前までは岐阜新聞テストでは岐阜学区は平均点は現在でもそうですが県平均よりも10点ほど高いです。反面美濃学区は県平均よりも10点ほど低くなっていたのです。しかし関高校が定員割れと同時に美濃学区の成績がドンドン上昇し県の平均点まで上昇しているのです。今まで中学まで非常にスポーツが熱心でしたが今やそれどころではなくなっているのです。これはみんな隣接学区に行けるわけですので岐阜学区に来ているわけです。従って岐阜学区においては非常にボーダーラインが高くなってきていると思います。特に今年は長良高校は高校野球で決勝戦まで残りましたから応募者はかなり多くなってくると思います。

 そんな中で関の方がどんどん入塾されていますが非常にレベルの高い方が見えています。先日の志望校判定模試でも特待生の資格を確保された生徒さんも見えました。そんなことで皆さん岐阜学区に挑戦と云う構図が出来上がっています。
 今年各務原西高校には届かないし各務原は楽に行けるという方が関高校を受験しましたが見事に合格しました。そういう事例は今の美濃学区の状況を非常によく表現しているかと思います。

 一方私立高校におきましても色々仕掛けをしてきています。10月度は私立高校の説明会が目白押しです。ただここで言えることは今まで一律でしたが試験日はガチンコで同日でなく避けていることです。これはどういう意味を持つのでしょうか。そのことについては次週詳しくご説明したいと思います。
 不安定なお天気が続いています。体に気を付けて頑張ってください。みんなきついのですから。そしていつかこの日のことを思い出す時が来ると思います。

<今日の言葉>
『人間の苦しみや悲しみで、人間の戦い得ないものはないのだ』
                       椎名 鱗三


<今週のYouTube>
田省吾の『君と歩いた道』を選びました。
https://www.youtube.com/watch?v=7lr-7GGzSH4

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長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170

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★無名作家

2016年09月18日 17時58分19秒 | 日記

★新たなスタート

 台風が次から次と押し寄せ風速60メーター、66メーターなんてのを聞きますと怖い気がいたします。いくら私が台風の通り道の四国で育ったと云いましてもやはり大変なことです。そのために色々な工夫をしてきた建築物を構築してきましたがこの中部圏ではそこまではいってはないようです。

 さて、今日は無名作家と云うことで書いてみます。先日は芥川賞の村田紗耶香氏の『コンビニ人間』、直木賞の萩原 浩氏の『海の見える理髪店』を読んでみました。私の好きな作家は村上春樹や立松和平などが好みなのですがそれぞれの持ち味が違いますので同じようにレベルと云いますか比較するのは難しいかと思います。此処では二つの賞のことについては省きます。

 ここで云いたいことは私がやっと小説を書き始めたということであります。私のやりたかったことは実は作家としてと云うよりも書いておきたいことをしたいと思ったからであります。
 無名作家・・・なんと響きのいい言葉でしょうか。この言葉に今まで縛られてきたわけですがこの鎧を外しますと気が楽になります。今まで書こうとしましたがどうしても呪縛に縛られ書くことができませんでした。

 『純文学』、この言葉が今まで私を縛ってきた言葉です。私は純文学を目指していましたが中間小説として絶賛されそしてそれが自分の才能の限度と知り筆を折ってしまったのです。そういう意味で昔討論会でM大のサークルに招待され小林多喜二の『蟹工船』は文学ではないと云って激論を交わしたことを思い出します。そういう意味で文学には大衆小説にしろ中間小説にしろ純文学にしろ一線を引くことの難しさを感じてしまいます。色々な芸術があります。絵画、音楽、美術など表現するテーマはそれぞれに形は違えど基本は同じなわけです。つまり手法の違いだけのことなわけです。当時の若さゆえ蟹工船の悲しさは理解せずに云ったことを非常に今は恥ずかしく思っています。ただ純文学ではないことは明確なわけでそういう意味では私が目指したものとは世界は違っていました。

 凡そ、小説家と云うものは書いてなんぼの世界ではありますが発表を目的とし、あるいは商業的に書くのであればまた話は少々違ってきます。村上春樹の小説に『職業としての小説家』と云う本が19015年9月に出されていますがそのあとがきの中で彼は
 「書いたものを読み返してみると、文章の流れが幾分生硬というか、とんがっているというか、もう一つ上手く気持ちに馴染まなかった。そこで試しに、人々を前にして語り掛けるような文体で書いてみるとわりにすらすら素直に書ける感触があり、それならと構造原稿を書くつもりで全体の文章を統一してみることにした。(中略)そのような、ある意味では身勝手で個人的な文章—メッセージと云うよりはむしろ思惟の私的プロセツのようなものかもしれないー」
 
 このように書いているわけです。別に彼のやり方を模倣したいとは思いませんがやはり書き方やり方は自己流と云いますか何十年も経っても治らないです。ただ表現的には多少変化は見えるようですが基本的なものはテクニック的なものばかりでなく思想的にも随分変化を感じることはあるかと思います。

 最近は自分の小説(あれが小説といえるのならば)がどのような形であれ拘りは捨てようと考えました。そうして身軽な気持ちで語る様な言葉で私は数十年の蓋を取り除いたのです。友人と話をしましたが今回は兎に角出来の良し悪しは別として書くことができた喜びを感じているのです。

 最初から原稿用紙100枚という短編に決めていましたが『文学界』や『小説現代』『小説すばる』などに出す気はありませんでしたが、基本的に原稿は100枚から150枚が主流になっているようです。そして万年筆で書くのではなくパソコンで書くようになっているのも今の時流のようです。

 そんなわけで慣れないパソコンを駆使して何とか書き上げましたが文章に勢いと云いますか状況描写や登場人物の表現能力が今一つ低いかなと感じておりますが折角立ち上げましたのでこの際脱稿し投稿いたしてみました。

 タイトルの横に氏名や住所を書く項目がありますが年齢も書かなくてはいけないのですがなんとなく照れ臭く苦笑しました。この年で新人賞?本来はこの9月末で岐阜市の児島信夫の応募に参加をしようと思いましたが250枚もと云いますとなかなか今まで書けなかったのですから無理だと最初からあきらめたということです。

 そんなことで今回はエネルギーを凝縮しやっと小説らしきものを書くことができたということでいいのかもしれません。結果は来年のお話です。

 そう云う中で大学時代のOB会が10月に行われます。2年毎にあるのですがその年がこの10月15日(土)となります。果たしてどのようなことになるのでしょうか。

 塾の方では秋季生と云いますか9月生の募集をいたしています。講師と生徒は年がら年中募集中であります。これって通常途中からって不思議ではありませんか?個別指導塾は何処からでも入れるのです。一番極端なことを言いますと新規オープンした教室はいつを持ってオープンと云うのかってことなのですがこれは新聞の折り込みを最初にした日がオープン日となります。私も18年前は200万(今考えたらすごいお金・・・)をかけて岐阜新聞、中日新聞などに毎日織り込んでいました。芥見教室では最初の日は相当な人が応募があり忙しかったですが反面長良教室では(当時は福光教室と云っていました)誰一人問い合わせがありませんでした。あの時は私が長良教室を担当していましたが体を壊すまで約半年間は籍を置いていました。しかしながら病に倒れ芥見の方に帰らざる得ませんでしたので現在に至っています。懐かしさでいっぱいです。

 ですから生徒一人一人の苦しさや悲しさはよく理解できます。希望の高校に行きたいのに成績が伸びない・・・。結局愚痴や不満がこちらに来るわけですが泣きながら訴えられたことも一度や二度ではないです。しかし、合格した時はまた泣き出してこちらも涙腺が弱くなっていますのでもうそれは誰にもはばからず涙を流したものです。顔を上げるとお母さんも一緒になって泣いているのです。塾とはそんなものではないでしょうか・・・。喜びも悲しみも一緒になって目標に向かっていく。辛い困難なことではありますが私も出来る限り頑張っていこうと決意も新たにしているところです。

 今日は久しぶりに日記を書いてみました。今まで書けなかった原稿が書ける喜びもうそれは口には表すことができない喜びであります。一つの長いトンネルを脱しました。これからは益々自分の時間を大事にして頑張ろうと思っています。

<今日の言葉>
『凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない』
                       ウィンストン・チャーチル

<今週のYouTube>
今週もやはりこの人 森田童子の『チチよハハよ』何という心に響くのでしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=psgqW3ysm1Q

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★算数と数学の違い

2016年09月11日 16時21分25秒 | 受験

★9.11

 ニューヨークを震撼させた米国テロ事件から今日で15年が経過しました。この事件は当時の米国民のみならず世界中を振るわせました。NHKのアーカイブからの映像です。http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030302_00000

 これを見ていただければよく分かると思います。悲しみの中で日本だけでなく世界で不幸や貧困が起こっています。東日本震災にしましてもまだ仮設に住まわれ苦労されてる方も見えます。いつの日かいい日が来ると信じて誰もが頑張っているわけですが何時のことになるのでしょうか・・・。
 
 さて、先日は第1回岐阜新聞テストが返却されてきました。少し例年より易しく目立った気がいたしましたが大体は予想の範囲でした。平均点は予想通り約300点ほどでありますが私立高校を書いているのは何とかならないものかと思ったりしています。基本的に私立高校は滑り止めや特待を目指す場合の目安にはなりますが多くの方が書きますから実際のところは分りません。偏差値56以上あれば県内ならどこの私立も問題はないでしょう。上を見ればきりがありませんが大体はそのようです。

 私どもも先週志望校の判定模試を実施いたしました。月末には結果が分かるかと思います。目標の高校に行けるといいですね。

 さて、今日は高校、大学と同級であったK君がNHKホールで歌を歌うから必ず見てくれと云うことで私も彼の指示通りBS12チャンネルで1時からの音楽祭を見させてもらいましたが素人は素人なりの良さが出ていたようです。私はあまり自分の時間がありませんので彼に電話して少々話をしてから電話を切ったのですがまあ長いお付き合いです。
 
 来月には私の大学時代の文学仲間のOB会が実施されます。2年毎に開催されていますが出席の予定ですがどうなることでしょう。

 今日は先週お話をしました『算数』『数学』についてお話をしたいと思います。小学校時代は算数・国語・理科・社会となっていますがこれが中学になると『算数』だけが『数学』と呼称が変わります。私が回りくどく説明するよりも『教育学部の学生が分かりやすく解説』というブログを見つけましたのでそれを最初に読んでみてください。
http://www.proof0309.com/entry/sansuutosuugakunotigai

 こんなところでしょうか・・・。これを読んでみてもらえば非常によくまとめていますのでわかります。小学生は日常の計算に力点をおき中学はプロセスを重点的に指導するようになっているようであります。

 凡そこのように小学生の場合大方は小学5年生の割合の辺りから分からなくなります。分からないというよりか分数、小数点の計算、パーセント、割合これらがごちゃごちゃになって非常に整理ができないのです。ですから小数点のある計算はできますがそれが何割か何%となると理解ができなくなる傾向が強いです。過去に小学生で入塾し岐阜高校に入った方もやはりここで躓いていました。
 そして6年生になりますと速さや時間の問題が出てきますがこれがまたわからない。時計は生活の中で培われてきましたから時間は読めますがA君が自転車で時速何キロで1時間半行くと道のりはいくらでしょうか・・・。となりますと分からない。

 こういったことは文章題が苦手と云う前に算数の原理が理解できていないのです。先ほどの中にも書いていたかと思いますが算数は生活の一部分です。ですからしっかり考えないとできなくなります。割合にしましても例えば1000円の3割引きと1100円の4割引きではどちらが得か?当然1100円の4割引きの方が安いですね。3割引きでは700円、4割引きでは660円となります。ですから日常生活の置いての勉強がこの算数であります。では数学となりますとこれが学問に入っていきます。つまり公式を使用いたします。この公式をどう活かすかが問題でそのプロセスが大事なわけです。ですからこのプロセスを間違えたと云って消しゴムで消してしまいますと自分の間違いがいつまでたっても治りません。

 「うっかりミスばかり・・・」
 
 そう云って自己満足していませんか?これはうっかりミスではないのです。つまり算数と数学が基本的に理解できていないわけです。ですからうちの子供はミスが多いのですと言われる方が多いのですがそれはうっかりミスと云う自己満足で自分を慰め納得しているだけなのです。ですから二期制の中学1年生の方は今回成績が下がった方はその辺が完璧に小学生から脱却できていないのです。中学に入れば中学の「数学」の勉強をしましょう。

 凡そこの時期に入塾されてくる方は大なり小なり問題を抱えてきています。そしてよくあるのが成績が下がったという根拠を説明をしてあげていないことの多いことです。下がるには理由があります。上がるにも理由があります。しかし、その前に成績について偏差値と云うものをご説明しているでしょうか・・・。私は面談時には必ず偏差値の見方考え方をご説明しています。非常に偏差値の出し方は難しいですが簡単な見方でご説明をしています。以前書きました偏差値の見方考え方を此処に張り付けておきます。
http://blog.livedoor.jp/o_dozan/archives/3054655.html

 朝晩すっかり涼しくなってきました。夏休みお盆が過ぎて体調を崩される方が多く風邪をひかれた方が何人か見えました。また涼しくなったこの頃は寒暖の差が激しく体調を崩す方が見えるようです。どちらにしても体には注意をしてください。

 比較的この時期ではのんびりしてしまいそうですが高校生は来月にはセンターの申込が始まります。いよいよ始まるのです。高校は通過点だと云ってはいますが正直通過点と云う言葉は慰めの言葉でしかなく何の意味もありません。大学に入ってそれでやっと社会人の入り口に建てる準備ができたということです。
 
 先日ハローワークに行ってきましたがそこで職員の方とお話していましたら実はうちの子供も去年大学に行きました。野球をしていましたので終わったので塾に行きたいということで50万支払いましたが2か月後推薦で大学が決まってしまいました。痛かったです。と云って苦笑していました。確かにそういうこともあるでしょう。特に映像の場合はそういうこともあるかと思います。私どものMEIKO MUSE にしましても月謝の様に分割ではありますが全額支払いになっています。生徒は月謝と云ことは誰かが一括で払っているわけですがそれは私どもなのです。これはそういう取り決めですから致し方ないです。遅れている方は速読を初め個別指導を本業とする私どもが一番いいのではないでしょうか・・・。

 先日ある塾に通っている生徒が体験を希望してお見えになりましたがここの講師の先生は問題が解けますか?学生さんばかりですか?って質問されました。
 
 私どもは学生の皆さんも社会人の皆さんも見えますし問題は解けないような講師はいないです。つまり講師の質を云っているわけです。私どもでは解答のある問題は全て構わないことになっています。全統模試であれ駿台模試であれ解答があれば構いません。但し、解答ないものは指導いたしません。ですから安心してくださいとお話しておきました。その塾では先生が問題が解けなかったというのです。子供にしてもこの先生はごまかしているのならば即座にわかります。そういう意味では怖い世界です。ですからこの夏期講習後のアンケート調査をお送りしたところです。また結果については後日ご説明をしたいと思います。

 そんなことで『算数と数学の違い』や日常のお話をさせていただきました。次はどんな生徒の方と出会うのでしょうか。それを楽しみに今日はこの辺で。

<今日の言葉>
『こけたら、立ちなはれ』
              松下幸之助
 
<今週のYouTube>
永井龍雲の『心象風景』を選びました。
https://www.youtube.com/watch?v=Wy8Fwsa2r2A


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★予習型と補習型どちらがいい?

2016年09月04日 23時14分49秒 | 受験

★志望校判定模試

 今日9月4日(日)は長良教室、芥見教室共に小・中学生の志望校の判定模試を実施いたしました。先日の岐阜新聞テストを受験しているのでどうのこうのと云ってる方や部活動や習い事がどうのこうの・・・。塾に何しに来ているのだろうかって思ってしまいます。
 こちらの都合を云うのは虫がいいのですが費用は約一人3000円近くかかります。それでも黙って全員に受験させるために費用は私どもDOZANグループで負担をしていますがあまりひどい場合は今後見直しに入ることも検討しています。

 ともあれ受験をしなかった方は数名ですが其の数名にしても私どもは全力を挙げてトライしているわけです。たかがテストとお思いかと思いますが中学1年生から志望校を選定している塾は果たしてどのくらい見えるのでしょうか・・・。

 そんなことで疲れに任せて愚痴を言ってみましたが岐阜新聞テストと難易度は遥かに違いますが偏差値は見事に±1点位ですので中学3年生は勿論のこと中学1年生や2年生はかなり有意義な試験であったと思います。

 さて、今日は「予習型」がいいのか「補習型」がいいのかについて考えてみたいと思います。と云うのも先日お見えになった方が開口一番「この塾は予習型なのですか補習型なのですか?」と質問されまして少々面食らったものですからここで予習型と補習型について書いておきたいと思います。

 正直明光義塾にしましても他塾にしましても明確に自分の塾が予習型なのか復習型なのか歌っているでしょうか…。予習型ですという宣伝チラシをたまに見ますがちょっと私は苦笑してしまいます。

 凡そ指導する側は学校にしろ集団塾にしろ主導権を持っているのは教師・講師であります。その点個別指導は主導権を握っているのは生徒になります。基本的に考えと云いますかスタートラインが違います。

 今日は疲れてきついので結論から言いましょう(笑)。集団にしろ個別にしろ予習型の場合は偏差値は63以上、少なくとも60以上は必要です。それ以外の場合は補習型がいいと思います。どうして予習型がいけないのでしょうか。いけないのではありません。補習型に対する考え方をきちんと明確にお伝えしていないのではないでしょうか。明光義塾におきましても補習型と予習型があります。しかしよく考えてください。基本が分からなくて400点もいかない生徒にポイントの基本問題ばかり教えさせてどうするのでしょうか。私から言わせればその生徒は100%成績は下がります。集団塾のいいクラスには入れたなどと喜ぶ前に自分の勉強スタイルを見直した方がいいかと思います。

 先生がポイントを1つ説明しますとよくできる生徒の方は3つも4つも発展的に考えを広げます。人によっては1つしか考えれない方も見えます。逆に分からなくてマイナスの方も見えるかもしれません。ですから予習は何のためにするのかと云う大義が必要なのです。学校の先生の話がよく分かるから。それでしたらそれでいいではないですか。ポイントや公式の分解、手ほどきを教えてもらって理解ができるのであればそれでいいかと思います。しかし、先ほども言いましたように偏差値63以上の方でしたらポイントの問題が分かれば発展的に問題を解いていくでしょう。しかし、遅れている生徒の場合はどうでしょうか。その前にどうして成績が上がらないのか、遅れているのかお考えになったでしょうか。

 つまり塾のスタイルとして集団塾の場合は頭を揃えることが必要です。少子化でなかなか難しくなってはいますが人気のある塾ではそれも可能かもしれません。反面個別指導の様に入塾のテストはなく単にヤル気だけの集団ですとそういう風にはなりません。ですからここに一つの問題があるのです。

 もう一つは成績のバランスがいい方と極端に単科目の弱点のある方は問題を抱えることになります。そういう方は単元ごとに成績を見直してそこを重点的に補充するしかありません。そんな状況の中で予習をしても仕方がないかと思います。

 私は塾は補習型でいいかと思っています。教材にしましても極力シンプルにしたいと考えている一人であります。勿論自分に合った教材を選別してあげる義務はありますがその指導を自分流に解読していくのは自分しかないのです。
 ここが自立学習の基本ではないでしょうか。ですから『補習型』=『遅れている子』という構図は成り立たないのです。しっかり出来なかったところを出来るようにする。『鉄は熱いうちに打て』といいます。冷めた時にいくら技術を持っても仕方がないと思うのです。馬の意志で水を飲むのが必要なのです。第三者がどうのこうのと云ってもするのは自分であります。ですから仮に受験に失敗したとしても悔いは残らないのです。やらなかったから仕方がない・・・。それは安易な妥協であります。私どもは熱くするのが仕事であると考えているのです。そして鉄を打つのも我々であります。ですから色々な塾があります。予習型や補習型の塾があります。ですが私どもは予習型ですから他塾より進んでいますよってみたいなことは云わないと思いますが何の自慢にもならないと思うのです。逆に私は『うちの塾は補習型です。しかし、出来るというならばうちの教材を説いてみてから言ってください・・・』といっているのです。ですから補習塾程奥の深い指導はないのです。今日は何ページから何ページまでと云う風に機械的に講師主導で進むのとは違います。生徒のスタイルはみんな違うのです。みんな違うということはみんな理解していただくということなのです。

 ですから機械的(表現が悪いですが)に講師のリードで決められたスケジュールをこなすだけの場合はついていけて成績が上がっているのでしたらそれはそれで合っていますのでわざわざ流れを変える必要はないと思います。『木の葉が沈み小石が浮かぶ』ってことにはならないと思います。流れに任すのが一番いいかと思います。

 答えは簡単です。分からない処に分からない問題を重ねてみてもよけいわからないだけです。ですから私は先日お見えになったご父兄に「私の教室は如何に偏差値がが68ぐらいあっても復習主体で予習は致しません」とお答えしておきました。
 怪訝そうな納得したようなお顔をされていましたので念を押してお話しさせていただきました。『補習型』=『遅れている』という考えをもしお持ちでしたらそれは捨ててくださいと申し上げました。奥深く勉強することと先の予習を浅く勉強するのではどちらがいいですか?予習型?いい塾生を集めてるのかもしれませんね。・その場合はいいのではないでしょうか。ご自分でポイントから発展的に突っ込んだ勉強が自立的に出来るわけですから。でもこれって少数の方にしか適応ができませんよね。

 学校で手をどんどん挙手してさも頭がよさそうな格好をしても本番で点数が取れなければ何の意味がありません。私はそんなことよりも一つ一つ納得して奥深く勉強をしてほしいのです。ですからランクをどんどん挙げて復習をすれば必ず結果は出てきます。正直高校生の授業はどうでしょうか。チャートを見ながらほとんど復習ではないでしょうか。この事実をどう考えているのでしょう。ですから予習型の塾が優れ補習型の塾は成績の悪子が行くのだというお考えをもしもお持ちでしたら即考え直してください。予習型の塾で成績が上がっている方はそれはそれで合っているのだろうと思いますのでいいのではないでしょうか。

 そんなことで今日は予習型と補習型について書いてみました。基本的には勉強は一人でコツコツとやるのが一番だと考えています。考える力それができれば予習型にしろ補習型にしろ問題はないかと思います。早く自分のスタイルを考えてみることが必要かと思います。奥深くいかなる問題が出てきてもこなしていけることが大事です。そうする努力が社会人になっても大事なことだと思います。一通の通達が回ってきたとしましょう。どうしてこのようなことがあるのか。上から読み横から読み、裏から読んで色んな考えをすることが大事になって来るのです。この通達はこうだからその通りしておけばいいとお思いになるか、あるいは備えをしておこうと考えるのではないでしょうか。そこが勉強の違い、仕方、考え方の相違かと思います。是非二期制の方のテストがそろそろ返却されてきていますがじっくり考えてみてはいかがでしょうか。また中学1年生はもう中学生の問題になってきたことを実感したと思います。小学生と中学生は違います。その極端なことは『算数』が中学になると『数学』に呼称が変わるということです。このことは次回にでも書いてみたいと思います。

<今日の言葉>
『大志ある才能と勤勉の前に「ここより先は進入禁止」の柵は立てられない』
                           ベートーヴェン

<今週のYouTube>
Mariya Takeuchi 竹内まりやの『駅』を選びました。歌詞がいいですね。

https://www.youtube.com/watch?v=vKpIqKq3-2s

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長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170

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