岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室

医大生が個別指導する全国でも珍しい塾が明光義塾長良地区、芥見地区に登場。山県市、美濃市、関市からも通塾されています

★あれから一年

2024年04月07日 15時14分39秒 | 日記

★桜の思いで

 桜の花が満開に近く風もなく穏やかで今日はお花見日和で最高かと思います。桜の花にはそれぞれの思いがありますしきれいだけに記憶も鮮明に残っている方が多いのではないでしょうか。
 私は昨年の4月13日にS病院に入院し翌14日に手術をしました。病名はすでにお話ししましたように大動脈瘤です。死と隣り合わせの非常に危険な病気に遭遇致しました。私の父親は4月11日に心不全で亡くなりました。岐阜から四国の新居浜市まで車で約500キロ少々ですが一気に帰りました。帰り高速から降りて国道11号線に散った桜の花の絨毯の上を車でぶっ飛ばして帰ったことが昨日のような気がします。私は桜と言えばどうしてもその時の心象風景があります。
 しかし、今度は私自身が大動脈瘤になりそれも胸と肢と2カ所に出来て将に薄氷の上を歩くような気持ちでした。発見は一昨年の夏でした。胃カメラを飲んでピロリ菌が発見されエコーを撮った時大動脈瘤がかなり大きい数字になっていたのです。50mmを越えると死亡率は90%と言われているようでした。当時中学3年生、高校3年生が多く彼是40人ほどいました。それ以外の小学生や中学生、高校生がいたので正直S病院の部長さんとお話をしている時何とか様子見で4月か5月頃まで伸ばせないかと相談しましたが「そんな余裕はないよ」と言われましたが最終的には「胸に痛みが出たらすぐ救急車で来なさい」との条件付きで少し延長していただきました。その間溜の大きさは52mmに達し肢の方は30mmがボーダーとのことでしたが既に32mmにもなっていました。毎日恐るおそる仕事をしていました。

 考えてみればサラリーマン時代私は何度か倒れています。最初は筋肉痛かなと思っていたのです。胸が急に引きつるように痛みが走り20分ぐらい経つと何とか直るということの繰り返しでした。結局体の不調は原因不明で会社を辞めて現在の仕事を始めたのですが私自身教室で2回救急車で運ばれています。20年ほど前のことですが立って居ると胸にドスンと思い重しのような物が落ちてきました。「あっ」と思ったが最後意識は失っていたのです。気が付けば病院の緊急治療室に入っていました。結果的に心筋梗塞だったのですが心臓の三分の一が壊死状態になりました。それから毎年検査、手術、検査、手術と繰り返しで10年ほど続きましたがその後落ち着いて何も変調はなく今回の手術の時に何かあってはいけないからということで検査をしましたが順調に進行しているようでした。そう言う結果で4月14日手術に至ったのです。病室の窓を少し開けてそこに流れて来る穏やかな春の風は散ることを惜しむように一枚の桜の花びらが私の体に流れてきました。手のひらで少し春を楽しみながら窓からフッと吹いて外に逃がしてあげました。それが私の昨年の桜との出会いでした。

 あれから1年が経ちました。正直手術は完璧に処理していただき非常に助かりましたが食欲がなく普段はよく食べるのですが米が食べれなくお箸で一口食べても吐き出す状況でした。体重は71キロあったのがどんどん下がり62キロまで下がりました。65キロで驚いたのがある朝63キロになって暫く変化はありませんでしたが62キロ台まで下がった時はちょっとどころか「死」ということが頭にちらつきました。正直手術の前には覚悟をしていたのですが無事に生還しましたので気持ち的には落ち着いていたのですが怖かったです。「生きたい」とあの時は思いました。食は味はなく体重も増えませんので薩摩のかりんとうやチョコレート等糖分のあるものを食べていました。退院後順調かと言いますとそうではなく急に38度、39度の熱が出て下がらないのです。昼まで寝て午後出勤という風に教室に行っていましたが朦朧として何ともならなくなり緊急口から入り見てもらうと初めての女医さんが緊急入院して下さいというのです。此処で押し問答が始まりかなり激しく言い合っていますと担当の先生が来てくれて何処も異常がないから解熱剤を渡しますと言って帰宅し教室に出かけて行ったのです。

 そういう生活が約退院後1か月検診の間続きました。此処で見たものは夢の中で過去のことと現実のことがクロスしてしまう妙な現象を知るのです。作家の平野啓一郎は「過去は変えられる」といいまた「個人」から「分人」へと分かれることの意味が非常によく分かりました。私も学生時代の彼女と自殺した無二の友人の死がクロスするのです。学生時代の彼女と彼の接点は何もありませんがどうしても夢の中でクロスするのです。一体あれは何だったのでしょうか・・・。

 抜糸1カ月後病院を訪れると医者はその話をじっと聞いてくれました。「手術は完璧でした。今度は1年後になります」と言って話され私はお礼を言って病院を後にしたのです。春の風は彼女の香水の香りがしました。高松まで来てくれて別れた彼女は元気なのでしょうか。後輩と一緒になったのですが噂は聞きません。私たちの学生時代は学生運動の最中でしたがあまり私は感心がなく小説ばかり書いていましたので部屋に籠っていました。社会人になって「瀬戸内文学」の同人誌に入り小松伸六先生から書きなさいと言ってくれたのですが何故か若気の至りでしょうか書くことを止めました。しかし、数年前からまた書き始めています。本を販売して儲けたいという気は何もないのですが自分の過去にケジメをつけるために節節で書いています。今回の手術についてもいつか短編集に載るかと思いますがあれから1年よくぞ頑張ったと思うと同時に桜の花びらが、あの病室に流れてきたように、そして窓から逃がしてあげた鳥のように花びらとお別れをした1年前は確かに死に対する私の儀式だったのかもしれません。

 神様はもう少し頑張れと言っているのでしょうか・・・。

<今日の言葉>
「俺は底まで落ちたが、とにかくそれに耐えてきた。これからは上にいくだけだ」
           D・カーネギー「道は開ける」

JUJU 『桜雨』

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長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170

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★思うままに

2023年12月31日 14時49分42秒 | 日記

★2023年度

 今日は大晦日。2023年ももう数時間で新しい年に変わります。今日は思うままに書いてみたいと思います。そして新しい章に入っていきたいと思います。まさに「時代おくれの男」なのかもしれません。

 昨年の9月に定期検査で胃カメラを飲んでピロリ菌が発見されてエコーを取ると大動脈瘤が二カ所あることが分かりました。その時は自覚症状は全くありませんし食欲もかなりありましたので気に留めていませんでしたが腹部は48mm、肢のつけ根は31mmでした。通常50mmを越えて破裂をすると死亡率は99%とかなり高く時間の問題といわれました。時は10月から12月にかけて検査しますと52mmまで急激に発達していました。医者は即手術を進めましたが当時は受験生の追い込みの真っ最中です。入試は3月3日でしたのでそこまでは何とか引っ張りたいと思い総合病院の先生とお話をして承認を貰い「痛くなったらすぐに来い!」といわれて結局入試は無事に終えて4月13日入院、翌14日手術ということになりました。手術は朝の8時半から6時間を要しました。「手術は終わりました、今午後2時25分です」という医者の声に私の麻酔は切れるのですが朦朧とした中で気が付くとおむつに履き替えられ嫌いな尿管を入れられ酸素吸入、点滴ともう何ともならない格好で特別室でその夜は過ごしました。保護者の方が循環外科にお見えになっていたり手術をしてくれた医者が昔私の教室で働いてくれていた講師の方でしたり、そう言う環境の中で手術は無事に終わり1週間ほどで退院をしました。実は退院後が急に熱が高くなり38度、39度を往復していたのですが我慢が出来ないので緊急患者用から病院に入りましたがその時期は5月の連休辺りになりますが先生は居なく別の女医先生が「入院です」といって突き放すように話すのですが私は気持ちが平均台の上を不安定な姿でふらふらとしている感じでしたがそこに何故か執刀した医師が見えたのです。そして「どこも問題はないから入院は必要ないです。薬出しておきます」といって私は帰宅したのですがその後一進一退が続き時間と共に次第に直っていきましたが体重は日に日に下がっていきました。元々は71キロありましたがどんどん下がり65キロまで来ましたがその辺かなと思っていましたら63キロまで下がりました。さすが私も怖くなりましたがこれがMAXかなと思っていたら62キロ台に突入しました。一瞬生きた心地がしませんでした。その上味覚が変わり今まで好きだったものが食べれなく特に米は食べれなかったです。これほど不味いものはない気がしましたし刺身は元々好きではないのですが食べるものがなかったです。ただ肉の食べ過ぎで高脂血症に心筋梗塞を引き起こしたのですがその引き金になった肉は食べれました。薩摩のかりん糖やチョコレートなどカローリーの多いものをたくさん食べました。それから抜糸が1か月ほどして致しましたがその頃にやっと食べれるようになりましたが元の食事量までに1年かかりました。今はやっと元に戻った感じですが体重も66キロ台になりましたのでお酒も十分飲めるようですから大丈夫と思います。

 そのようなことで今年は大病をして生きる不安と、死の怖さを知った一年でした。講師の方の応援や皆さんに助けられて今日まで来ましたが2024年度はもっと本格的に薦めれると思います。それは体力に自信が戻ったからです。年が終わり新しい時代に入っていくのに今必要なのは今求められているものは何かと考えますと何もかも受験時代と何も変わりはないのです。新しい時代に入っていきます。
 2023年度つたないブログを読んでいただいた皆さんありがとうございました。2024年度は1月4日から冬期講習再開です。

<今日の言葉>
「過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える」
            ニーチェ

河島英五 時代おくれ('92松山市民会館)8/8

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★Merry Christamas

2023年12月24日 16時41分47秒 | 日記

★クリスマスなんか忘れていた

 冬期講習も今週28日をもって前半戦は終わりです。来年は1月4日から土曜講座も含め始まります。今の今まで今日がクリスマスだということは知っていましたが曜日が全く感覚がずれて頭が混乱してしまいます。時間の合間を縫って本を読んでいますがその世界が現実と混在し余計複雑にしています。しかし、時間は経っていくのですから止めることは出来ません。したいことや新しい生徒の募集に余念がありませんがただ時間だけが過ぎていきます。
 今日は年末ということで中山競馬場で有馬記念がありました。馬券は勝っていませんが見ることは好きで特に馬の血統を見るのが好きです。競馬四季報ってあるのを知っていますか?株の四季報は有名ですがこれは馬のルーツを書いているのですがつい先日犬猫の年齢不詳問題が起こり保護法が検討されているようで色々です。

 競馬はこのようなブログに書いていいのかどうか・・・、あまり感心はしませんが織田作之助の「競馬」という小説を思い出します。一子という女性を思い数字の1番ばかり追い掛けて全国の競馬場を巡るのですが学生時代読み漁った全集の一作品を思い出しました。彼はその後自殺をするのですがそれを知った太宰治が「織田君君はよくやった」と称賛し彼もまた玉川上水に身を投げるのです。彼の死体が発見されたのは太宰の誕生日だったとか。

 どうしてこんな話になったのかよく分からないのですが私の中にこういった得体のしれない闇のようなものがあるのでしょう。作家というものはその闇を深く掘り下げていくのです。「ああ、面白かった・・・」ではつまらないのです。そこに人生の深淵のような者があるはずです。逃げも隠れもしませんがみんな浮かれていけばいくほど寂しい思いをする場面に遭遇します。私はあまり多様性という言葉は好きではありませんが広島市長のように教育勅語を指導の一例として話す気もないです。多様性がそういう風に取るのか取らないのか。イチローが「高校生から目標達成後に大切なこと」は何かと質問され答えています。スポニチの記事です。https://news.yahoo.co.jp/articles/9d39ecdc54a192cf6c9c6848bf9ef1a10f375492

この様に達成した選手でも色々と次代の若者に伝えていきたいと思うのです。私などのレベルではそれほどのものを伝える能力はありませんがそれでも気持ちだけは負けないつもりです。多様性はそういう意味で一種の差別的なところもありますが考え方、居心地の良さを基準とし、優先するならばそれも一種の妥協かもしれません。ただ一生は自分の一生ですから悔いのないように生きていきたいと思います。そうこうするともう今年も1週間ほどで終わりになります。ブログもネタが切れてどうなるのかと思いましたがこのgooで15年ほど、楽天で8年ほど書いているでしょうか。gooの前にはライブドアで5年ほど書いていましたので彼是20年ほど書いていることになります。基本的に日曜日には書いています。普段教室で書けばいいのですがなかなかそういう時間があってもその気にはならず書いても原稿の下読みをするぐらいです。

そんな中で冬期講習も終わりを告げていますが特典は今週の28日で終わりになります。詳細は
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今夜はゆっくりクリスマスを楽しみワインを飲んで丸亀市から取り寄せた一鶴の「骨付き鳥」を食するのが長年我が家の伝統になっています。これを食べるために歯の治療に大変でしたが間に合いました。私は大学はこの名古屋でしたが就職は地元に帰りましたが転勤の繰り返しでまた中部圏に戻ってきました。余程縁があるのでしょうか。学生時代から酒は欠かさず飲んでいますが適量といいますか社交的に一晩でもお付き合いは出来る自信はあります。酒は楽しく飲むものですが冠婚葬祭にはつきものですが美味しい楽しいお酒を飲みたいものです。酒に飲まれて自分を見失うことはほぼありませんしソムリエの資格も頂いたのでもう日本酒(四国の梅錦)、焼酎は甲種の芋焼酎白波を飲みワインはカベリノ・ソウビニオンの品種を好み、少し重たいワイン、イタリア、カルフォルニアクラスがいいです。スペインやチリはもっと重く11月の第3木曜日にその年の新酒がボルドーから発売されますが個人的にはあまり好きではないです。ワインの話をしていますと日付が変わりますのでこの辺にしておきます。

 さて、今日は雑なお話で緊張感の持続人には迷惑だったかもしれませんが少し糸を張るのも緩めてください。車のハンドルでいえば遊びです、橋でも真ん中では揺れますし高層ビルでも揺れます。揺れないと倒れてしまうのです。1981年に耐震基準の改正で「新耐震」「旧耐震」と色分けされています。倖田露伴の作品に「五重塔」という小説がありますがノミを懐に入れて台風の時五重塔に上るのです。死を覚悟していく様子は寒気を催すほどの迫力です。勉強も何もかも余裕を持たないと思い込みでは難しいです。WBCで言った大谷選手の「憧れはやめましょう」ということでしょうか。兎に角今は年が明けるとすぐ中学受験、共通テスト、私立高校の試験、公立高校の試験と目白押しです。結果はついてきます。いろいろ情報に惑わされ的が絞れない場合は納得するまで相談しましょう。塾とはそういうものです。特に教室長の仕事はそう言うことになります。 私どもは6月、11月、2月の年3回学習相談会を実施しています。そのためには一年生から志望校を判断基準をする必要があります。偏差値でA判定、B判定とか言っても仕方がないのです。根拠を正しく分析する必要があります。明光義塾長良教室&芥見教室はそういう塾です。

<今日の言葉>
「二度絶望することはない。二度は絶望できない。二度絶望したと思っている者は、一度も絶望していない」
                 むのたけじ「たいまつ」

シクラメンのかほり 小椋佳

冬期講習28日まで募集中!
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★夏の思い出

2023年07月30日 15時36分50秒 | 日記

 

★遠い昔

 夏期講習も本格的に20日からはじまり7/29,30,31はお休みですが8月から通常に始まります。高校野球夏の甲子園出場校も決まり岐阜市岐商を応援していましたが残念でした。昨年は芥見教室にいた森君がエースで獅子奮迅の活躍をしましたが今年は同じ森君がエースでしたが残念でした。私の高校も3回戦で今治西に負けたようですが決勝まで行ったのですから仕方がないでしょう。決勝は新居浜市の隣の川之江高校が決まったそうです。知らない人が多いと思いますがティッシュのエリエールと云えば多くの方は知っていると思います。その工場のあるところで愛媛県の東の端になります。

 今日は夏期講習についてはNO.7と総括編を書きましたので思うままに少し青春時代のことを書いていこうと思います。プロフィールの画像が変わりましたが気が付かれたでしょうか。「ワインと檸檬」というタイトルに変わりました。2年程前に刊行した本です。初めてのエンターティメントの物語です。機会があれば読んでみてください。

 私は大学時代に恋人はいました。多分一緒になるだろうと考えていました。彼女は1学年下でしたがサークルの文芸部に入ってきました。たまたま寮と私の下宿先が近くでよく話しながら帰りましたがある日合宿が近くなった時バスと衝突をして入院をせざる得なくなりました。結果合宿には参加できず私は参加しましたがそれ以外はほとんど彼女の病室にいました。彼女の病室が私たちのデイトの場所に変わってしまいました。
 彼女も怪我が完治し色々各学校の読書感想会などに一緒に参加しましたがに名古屋大学で小林多喜二の「蟹工船」の話になり私は「小説ではない」と云ったものですので凄い攻撃を受けました。実際そういうプロレタリア文学というジャンルはあるのですが純文学とはかなりかけ離れていました。しかし、そう言い切ってしまうのもどうかと今は思っていますが小説としての一つの世界は次代の反映の写しだったような気も致します。でなければ日本が戦争に参加し米国の原爆が落とされるまで続くのですから憲兵との拷問の凄さは明らかです。それはそれで当時の時代だったのですがあまりにも攻撃が私に集中し「個人攻撃は卑怯よ」と叫んだ彼女は睨みつけるような目で周りの学生たちを見ていました。中京大。、愛知大、淑徳大。すみれ短大、名大などの学生を前にして叫んだ彼女に一瞬場は静まり異様な雰囲気になり何時しか一人二人といなくなり私たちは二人で互いに何も話さず帰ってきました。私たちはよく喧嘩もしました。非常に気が強く個性が強かったせいか京都女子付属高校出身だったと思うのですがよく「かんにん」と言って八重歯を見せて笑っていました。当時はスマホもないものですから写真も残っていません。ただ残っているのは彼女が書いた数編の詩だけです。先日OB会に行った時東海地区で作った鯱門文学に掲載されていました。その後彼女はサークルを辞めることになり暫くは距離を置くようになりました。私が再び彼女に出会ったのはテストで単位を落とし追試験を受けることになったのですがノートを借りたことでまた再び付き合いが始まりました。

 あの時私たちは「結婚」ということを意識していましたが結局「思わせ振りしてかんにん」と言っていました。別れる直前私たちは大垣城で長い時間をかけて話をしていました。何を話したかよく分からないし覚えてはいません。ただ大垣城の石垣や2月の寒い時期でしたのでベンチに腰掛けてコートを身に纏っていたことは覚えています。私は当時は煙草を吸っていましたのでただ吸うことしか記憶はなかったです。多分ここできちんと話をしないと別かれることになるのではと思いましたがもう最初に出会ったようなインパクトは互いに持っていなかったような気がいたします。あの時強引に彼女を連れて帰ることは出来たとは思いますがどうしてしなかったのでしょうか・・・。また彼女の実家も近くでしたのでそれでは今から行くからいいいかと了解を取り付けなかったのでしょうか・・・。今もって分からない何か壁があったのです。その壁は何だったのかはよく分かりません。私が転勤を繰り返し岐阜支店に赴任して初めてその謎は知りました。

 大垣城で別れ駅まで行って彼女は養老線でホームの向こう側に渡り私に向かって手を振っていました。ホームに下りの列車が入り暫くして列車は駅のホームを離れていきました。定刻にホームを去った列車の向こう側には養老線の電車の姿もそこにはもう見えませんでした。これが彼女との最後の別れとなりました。私は四国に帰り住宅メーカーの高松支店に入社しましたが当時は月賦販売の住宅メーカーNO.1で御三家と云われ住宅は大工さんから組織的に積み立てをして残りを融資をしていく会社だったのですが住宅ローンが出始めたのはそれから数年の後になります。そして仕事に夢中に励んだ日々が続きました。

 その年の夏、彼女が突然高松まで来ました。今のように携帯はないですから住所を頼りにアパートまで来るのは大変だったと思います。私は慌てて自分のアパートに帰りますとそこには久しぶりにみる笑顔を見せる彼女が居ました。私たちは大垣城で別れましたが電話では繋がっていたのです。会社勤めをしながら私は瀬戸内文学の同人誌に参加もして当時は免許もなかったので車に乗っていませんでした。ですから彼女を送ってあげることを出来なかったのですがホテルまで歩いて送ったことを覚えています。部屋では寄りを戻すとか結婚するとかの話はしませんでした。ここまで来たのにどうして私は受け入れなかったのだろうかと思います。「愛のセレナーデ」という曲をギターで弾いてあげました。この曲は彼女のために作った三部作からなる曲なのですが彼女も初めて聞く曲なので喜んでいました。途中目頭を押さえているのも確認しましたが私は最後までギターを弾きました。彼女のために作り本人を前にしているのですから途中で止めるわけにはいかないです。彼女は曲が終わった時泣きながら私に抱きついてきました。私たちは本当によく泣きました。最初から最後まで会えば泣いていた記憶しかありません。翌日ホテルから会社に電話がり会いたいという話でしたが私は会いませんでした。交換の女性は私たちの遊び仲間の女性でしたので状況はよく分かりました。外出してるときはメモをくれるのですが電話番号でした。それでも私は掛けることはしませんでした。高松に来て3日目の午後彼女から電話がありました。交換の女性は私に繋いできて「話してあげてくださいね」といって電話を回しました。しかし、何も喋れなかったのです。彼女は泣いていました。嗚咽を漏らしていましたしまた私も泣いていました。もう外出している社員さんがぼつぼつ帰って来ていましたが私には話す元気はなかったのです。彼是20分ぐらいでしょうか、机に座って何も喋らなかった。交換の女性は交換室から飛び出して私の傍に来て背中を叩くのですが私たちは何も喋らずに電話を切りました。「さようなら」と彼女が言った後、私は「うん」としか言えなかった。だらしない男だとあの時は今になってもそう思います。だから私の小説の中には彼女はよく出て来ます。

 それにしてもどうして私は結婚を求めなかったのだろうかと思うのですが結局は彼女が拒否したのです。最初から最後まで私は彼女を求めていました。しかし、何故か彼女は自分で身を引いたのです。高松に来たのはきっと彼女が別れをきちんと言いたかったのかもしれません。何故なら私たちは私の汚いアパートの一室で「愛のセレナーデ」を弾いた時寄りを戻すと言ってくれればそれで解決したのでしょうが私も声を掛けなかったのは後悔をしていますが、彼女に何があったのかよく分かりません。ただ空虚な時間を過ごしたのは事実です。その後卒業した彼女は結婚をしたということをサークルの仲間から聞きました。私と仲が良かった後輩とでした。しかしそれから何十年と経ちますが彼女の噂は何一つ聞きません。私がまた岐阜に戻ってきたことも知っているのでしょうか・・・。今更会っても仕方がありませんが苦い青春時代の思い出です。きっと彼女も私の名前ぐらい検索していると思いますので自分のことを書かれていることぐらい知っているでしょう。感受性の強い女性でしたから尚更です。青春とは酷な試練です。

 今日はつまらない私の大学生活を卒業しての話を書いてみました。ブログももうGooで15年ぐらい書いています。その前はライブドアで5年ほど書いていましたのでかなり長く書いています。書くことは余り苦にならないので続いているのでしょうが今日は夏期講習の谷間でしたので私の夏の思い出を日記を書いてみました。

<今日の言葉>
「最後まで努力をするってのが、本当の生き甲斐ではないでしょうか」
              手塚 治

ビリーバンバン ♪さよならをするために

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★学生時代

2023年05月28日 16時58分15秒 | 日記

★若かりし仲間

 昨日27日は月末にも拘らず大学時代のOB会に出席していました。メンバーは当時は60数名の大所帯でしたが6名の方が出席でイタリアン料理に酔いしれて思いをそれぞれに話しました。
 私は術後が余り良くなく特に血圧が従来130台-80台でしたが110台―60台に下がっていました。食欲がなく食べても吐きそうになるのは降圧剤がきつすぎたのかもしれないと半分元に戻しましょうと戻したのですがそうしますと今度は一気に170台まで行きまして非常に情緒不安定な状況が続いていました。そんな中で昔の話にもあまりガンガン入ることが出来ず愛知大学や市邨短大、中京女子大学、金城大学、日本福祉大学などで結成し作った「鯱門文学」の話になっていました。私は創刊号には掲載しませんでしたが第二号には短編「熟柿」という作品を乗せました。

 時代は変わり随分学生の気質や環境も変わりましたが私たちは文学を通じて結束をし4年半ぶりにOB会を再会しました。ただ学生運動は私たちのサークルが中心だったのですが私が3年の時に分裂をし解散いたしました。当時の作品集を持参していたものも見えましたが現在は「狼郡」という名で続いているようです。

 久しぶりに会って文学の話をガンガンするのではなくただ近況を話すだけのことです。大学教授も二人いますし会社役員も私を入れて三人、残りは悠々自益な生活を送っているのですがそれぞれに楽しみ方はあるようで楽しかったです。昔住んでいた恵方町まで行きたいと東京の彼が言うものでタクシーで2000円かけて行ってみましたが前回同様店は閉められた状態でした。「これで区切りがついた」と呟いた彼は毎日金もないのにこのスナックで飲んでいたのです。よく金が回ったものです。アルバイトなどしなかったのですが。ただ麻雀が強かったのでほぼそちらで稼いでいたのかもしれません。結局4年間アルバイトはしませんでした。一時的にボイラーの仕事を手伝ってくれないかと隣の住人が頼むので行ったことはありますが記憶に残る仕事はしませんでした。それでも卒業できたのですから不思議なものです。

 あの時代私たちは何かにとりつかれたように何かに拘りました。それは勉強かもしれないし、学生運動かもしれないし、恋愛かもしれない。それぞれの思いに駆られ時代を駆け抜けていった思いだけが残ります。話せば気持ちはみんな20代に戻ります。あの時の彼女はどうしているのか分かりませんし話題は同じ部活同士で結婚した教授の話に変わっていました。私は「鯱門文学」の彼女の詩を食い入るように何度も読みました。彼女とはどこの学校の読書感想文、読書会には一緒にいましたし気が強いのでよく喧嘩もしました。しかし、大垣城で別れ四国まで来てくれましたが結局はそこで終わりになり消息は分かりません。消息が分からないことの方が昔のイメージのままでいいのかもしれません。今度は2年後です。

 さて、塾の方もテスト対策が近づいてきました。非常にのんびりと構えている子が多く(私どもの生徒だけかもしれませんが・・・)危機感はあまり感じてない気がします。6月にはもう夏期講習の話になってしまいます。

<長良教室>
http://www.meikogijuku.jp/school/gifu/gifu-shi/S1527/

<芥見教室>
http://www.meikogijuku.jp/school/gifu/gifu-shi/S1280/

今日は疲れがどっと出て帰って少し仮眠しました。手術後12時過ぎまで起きていたのは初めてですしスナックで酒を飲むのも歌を歌うのももう5,6年以上前ではないでしょうか。錦三丁目から今池に移動し酒と歌に若かりし頃を重ねて歌う背中にそれぞれの誇りと寂しさを感じたのは私だけではないかと思います。次の世代のためにもう少し頑張るか!堀内孝雄流に言えばそうなるのでしょうか。ともあれ元気で再会できたのは喜ばしいことでした。

<今日の言葉>
「他人に負けたくないという気持ちで生きていると、他人が人生の中心になってしまいます。自分らしく生きたいと願う時にだけ、私たちは自分の人生の主人公になれるのです。他人より妥協しそうにになる自分に勝つことを考えましょう」
                片柳弘史

 続・竹とんぼー青春(ゆめ)のしっぽー【本物】/堀内孝雄/1999年はぐれ刑事純情派主題歌

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★君は頑張ったね

2023年03月12日 16時49分56秒 | 日記

★春期講習総集編ー6

 いよいよ今週17日(金)公立高校の合格発表があります。本来ならば卒業式の後に入試の試験があるのですが3年前からコロナ禍の関係上受験が二段階方式が取られるようになりました。勿論大方の方は3日の一斉受験を受けられたことと思いますが思いはそれぞれだと思います。コロナの関係で生活のリズムが壊され体調を崩されたり不登校になったりと色々負の面が表面化した年でもありました。そんな中、九州のある県は大学受験のように第一志望校、第二志望校、第三志望校と現在の様な一発型は止めましょうと今年から実施を致しました。私はこの英断は素晴らしいと思います。特にここ数年コロナに負けて十分に勉強が出来なかった子にとっても吉報だろうと思います。岐阜県も早くそうして欲しいと思うのは私だけではないと思います。現在の普通科は筆記試験と内申点の比率は7:3で商業・工業は5:5の比率になっています。しかし、考えてみれば一発勝負に滑り止めという感じがしないでもありません。これが第二志望、第三志望と好きなだけ受検の制約が大学のようになればどれほどの学生が精神的に追い詰められなくなるでしょうか。

 今年の大学受験は学校推薦型選抜&総合型選抜と非常に呼称は変わりましたが人気が高かったです。旺文社の蛍雪時代のYouTubu を参照ください。https://www.youtube.com/@keisetsujidai

この様に非常に大学受験も内申から評定という言葉に変わりますが如何に普段のテストが大事かと思われます。今後の勉強はテストのためのテストではなく勉強のため、人生をしっかり見定めるために総合的に勉強をしていく考え方が大事になって来るかと思います。非常に今年の高校入試は昨年よりも若干難しかったように思いますが私から見れば一昨年の数学が難しくてその反動で昨年の数学は易しかったですが今年は少し難かしているようですがトータル的にはあまり変わらないと見ています。310点これが私の見た平均点と思っています。

 合格発表が17日ですが3日から2週間待つ気持ちは非常に辛いものです。私も大学受験で合格していると自負していたのですが発表まで時間がかかり合格の通知は永久に来ませんでした。落ちたという通知は担当の先生から聞きました。テストは8割は出来ていたのですがそれでも英語の足きりに掛かったようです。英語なんてつまらないと勉強を3年の夏休み以降しかしませんでしたがそれがその後の人生に大きく左右することになるとはその時には思いませんでした。

 面接は時の運と言いますが試験も時の運のようなものはあるのかもしれません。私は野球漬けで1学期は過ごしましたが結局は何もかも中途半端にわりました。グランドから遠くに見える西日本最高峰石鎚山は私たち若者の夢の風景を語るバックグランドでした。友と語った夢は今や少しずつ亡くなっていくことで消えていき、先ほども大学の先輩で大阪の四天王寺女子高の先生をしていて現在は大学の名誉教授をしているKさんからOB会の参加の要請がありました。お互い歳を取るとコロナの中参加するのもどうかということもありますが会いたい気もします。結局は参加するのですが我々の学生時代と今の学生時代は風景自体随分と異なっています。勉強を真面目にする方が多くなりましたが将来の日本を憂う気持ちは昔の学生の方が強い気がします。
 勉強とは何でしょうか。現在シンガポールの方とInstaguramで知り合い英会話を始めました。あれ程嫌いでアメリカ嫌いの私が英語を話すということは私自身を知っているものは驚いています。しかし、最近もっともっと知りたいのです。知らないことが多すぎて悔いが残ります。この分野だけは手は出したくなかったのですが仕方なく日々努力しています。英会話は恥ずかしがっていては始まりません。
 私が英語が嫌いになった理由は一つには米国に日本が負けたことです。二つ目は止めを刺されたようなものですが中学の時は通信簿は5でしたからまあできない方ではなかったです。しかし高校に入って英語の先生が何やら英語でペラペラ喋るのです。周りの学生はけらけらと笑っている。私は正直この風景は今も忘れることはないです。凄いコンプレックスに襲われてなんて優秀な連中だと驚きました。試験すると大したことはなかったのですが会話はその時の衝撃は驚きでしたが今やっと始めたという次第です。出来れば今からでも大学にもう一度行って勉強したいとも考えていますが時間もありませんので自分のやりたいことに時間を回そうかと考えています。

 合格発表をまじかに迎えた学生のみなさん「君は頑張ったね」と正直声をかけてあげたいです。全員の合格を心から祈っています。もう少しの辛抱です。

<今日の言葉>
「希望が逃げて行っても、勇気を逃がすな。希望はしばしば我々を欺くが、勇気は力の息吹である」
               ブーテルヴェク

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★夢の途中

2022年12月25日 16時24分28秒 | 日記

★2022年最後の日曜日

 早いもので今年も残り一週間で終わりになります。今日は思うままに書いていこうと思います。私がブログを書き始めたのはもう十数年前になります。最初はライブドアとFC2で書いていましたがブログの機能に限界が出てgooさんにお世話になるようになりました。途中楽天さんとも合流をして二本立てで初めて今日まで来ましたが「人気ブログランキングや」「ブログ村」さんにも大変なお世話になり今日になりました。単にブログと言いますと写真を多くの方が添付されるのですが私は個人情報もありますので写真は一度も掲載したことはなかったし今後もする気はありません。実際はブログという言葉は好きじゃなくてコラムという方に近く以前「まぐまぐ」さんからかなり要望があったり河合塾さんの先生との1位をかけてのデッドヒートも続きました。マナビスが岐阜に初めて出店するお話も頂きましたがそれもブログ関係がご縁でしたがその話はお断りしました。生徒の集客についてあまり苦労をする必要はなさそうだったのでそれが魅力でしたがご縁がなかったのでしょう。
 私は昔、岐阜市金宝町に立地していた自社ビル5階建ての建物に勤めていましたが5階の空きに入って来られたのが能力開発センターさんでした。お陰で能開さんの8階建てのビルやその他地域の建物を建築させていただきました。現在は自社ビルは解体され他の整形ビルに変わっています。自分の勤めた会社が無くなりそこを通るたびに寂しい思いを致します。永年転勤族で色々変わりましたが住んでいた処は何処も懐かしさでいっぱいです。会社を退職する1年ほど前から体の異変が始まり原因不明の状況で救急車で何度もお世話になりました。東京で会議中に倒れ東京女子医大にも運ばれましたが原因は不明でした。そう言うことが重なり結局体優先をして1年ほど休養しましたが縁があって明光義塾の傘下に加盟したのは1999年2月17日です。東京に行き研修も受けて帰りましたがパソコンを使うことは必要でなかったものですからこれが一番苦労をしました。本部の方はかなり丁寧に説明をしてくれましたが何といっても機械には疎い方ですし今までは印鑑を押していればよかったのですから大変でした。しかし今まで赤字の会社を何度も立て直し岐阜放送などにも出演させていただき随分いい時代を過ごさせていただきました。このことが私の仕事の基盤になっています。誰がやっても過去の仕事の経験を使わない人はいないでしょう。私も教室をオープンして電話もなくすることがなくて絨毯の上に寝転んで天井をぼんやりと眺めていた日々も懐かしく思います。天井から矢がナイフが落ちてくるような錯覚を覚えたりました。教室は当時は個別指導は珍しく早々に生徒は集まりました。講師もチラシを一度撒けば5人ぐらい応募がありましたが現在ではなかなか難しい時代になっています。気が付けばもう24年も塾をやっていることになりました。

 そもそも学習塾を経営することについて何のノウハウもありませんでしたので住宅展示場にいた時を思い出し企画をどんどん作っていきました。企画と育成が当時の問題でした。今はAIと企画、そして生徒の成績向上が一番のテーマになっています。成績を上げることは昔も今も変わりませんがただ違うと言えば結果を求める期間、時間が早くなったことでしょうか。昔は腰を据えて待ってくれましたが最近では半年ぐらいでしょうか、早い人は1か月そんな方も見えますが基本的に状況がよく呑み込めていない方が多いのも事実です。そう言うことで私どもは「定例学習相談会」なるものを実施し、また「アンケート」も実名で頂いています。このことはオールDOZANという考え方で合意の上で実施をしています。来年も新たな企画を考えていきたいと思っています。

 ともあれ現在は冬期講習中です。1月13日までは講習でそれ以降は新年度生の募集となります。生徒の募集や講師の募集は年中やっています。従って冬期講習中でも新年度生の募集は並行してやっているのです。ここが個別の妙なところですがそれなりに特典を掲げてやっています。ですから3月からとか4月からだとかあまり関係はなく早めに来てください。何故そう言うことを言うのかと言いますと曜日時間を選択するのに遅いと難しくなるからです。早ければ3月から希望の曜日にしましょうねと云える訳ですが満席の場合そこに入りたい、通塾の送迎の予定のためにはそこしか難しい、習い事があるのでその曜日しかないというようなことが出て来ます。

 凡そ、入会したらすぐに授業に入らないといけないかと言いますと全くそれはありません。現在は12月ですが1月からでも2月からでも3月、4月からでも構わないのです。要は申し込み完了していれば自習室の利用も構いません。それぞれのご家庭のご都合があるかと思いますがそれに合わせていくのが個別の妙です。現在は大学の合格が次々出されていますが年が明けると一気にヒートアップいたします。第一志望を勝ち取るためにはうまく塾を利用するしかないですし一人が自信がなければご兄弟姉妹と、友人と一緒でもいいのではないでしょうか。要は如何に効率よく残りの時間を使うかです。

 思うままに書いていますとキリが無くなってしまいますが兎に角体に気を付けて頑張りましょう。コロナ禍の中で思いは様々と思いますが条件はみんな同じです。桜の花が咲くころに満面の笑顔を出せるように背一杯指導いたしますので受験生の皆さん頑張りましょう。またこれから入会を希望される方、他塾から来られる方色々だと思いますが思いはみんな成績を上げたいという一心に通じているのです。当たり前のことが当たり前でなくなったらそれは少し問題です。

 最後に今年一年つまらないブログを読んで頂き有難うございました。何処か少しでも参考になれば嬉しいのですが皆さまのご健康ご多幸を心からお祈りし2022年度のブログを最終とさせていただきます。
 有難うございました。

<今日の言葉>
「私たち一人ひとりが航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、理性は羅針盤、情熱は疾風」
                アレキサンダー・ポープ

元気です / 吉田 拓郎

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★「グッドバイFURSATO」について

2022年11月13日 15時40分32秒 | 日記

 

     

★思うままに

 中学生の中間・期末テストが終わりそうです。高校生も大学受験が60日ほど残すほどで追い込みに大変です。6日の日には第3回岐阜新聞テストが実施され12日は四谷大塚の小学生全国大会の結果が返ってきました。毎月ここ夏期講習後休みはほぼ1か月に2日間位でしたが今日は久し振りに休みでのんびりできました。昼から三洋堂で竹下夢二の「恋愛論」初版本を270円で見つけ迷わずに買いました。数日前にはオークションで三島由紀夫の「美徳のよろめき」初版本を1700円送料込みで購入しました。基本的に新刊より古書の方が好きです。特に表装は今とは違いかなりしっかりしていますし何といってもあの独特の紙の匂いが何とも言えない快感を感じます。誰が持っていてどんなことを考え読んだのだろうか。男性だろうか女性?社会人、学生?などなど想像していくともう止まりません。中でもよく見受けるのが友人に贈呈した書籍。手紙を書いているのがあります。実は古書でもこれはあまり手は付けません。何故なら私が新刊を贈呈して古本に出されたときにそれを見た時には多分その場に倒れるほどのショックを感じてしまうかもしれません。ですから古書に対しては私は私なりの拘りがあるのです。勿論新刊も買います。一時サイン本にも拘りましたが昔から購入しているのは初版本は多いです。

 そういう中で学生時代から社会人2年ほど前までは「瀬戸内文学」の同人として小説を書いていましたが、事情もあってぷっつり書くことを辞めていました。その間時代はバブルで盛り上がりリーマンショックを受け、体を壊した私は学習塾を経営するように変わってきました。元々は住宅メーカーで昭和55年までは全国一位でしたがそこを境に会社は加速をして倒産の道を進みました。私は転勤は18回もしましたがその間に小説を書こうとはしませんでした。何かのことで書こうと思ったのは確実に体を壊し会社を辞めて自分の時間が出来たことあり、この先生きていく自信がなく死と直面したことが小説の世界に再び足を踏み入れた原因のような気がしています。焼き物や絵画、写真などは残りますが小説ってのは駄作はシュレッターに掛けて処理するだけです。そうしますと何のために書いているのかよく分からなくなるのですが多分に将来こういうことを考えていた人が先祖にはいたということが分かるだけでもいいかという思いが書かせたのです。春と秋に「作品集Ⅰ、Ⅱ」「ワインと檸檬」を刊行致しましたが無料で読めるようにもしています。Amazon Kindle 楽天kobo では電子書籍で、紙の単行本はAmazonから刊行されています。https://www.amazon.co.jp/s?k=%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E4%BD%8F%E9%9B%84&rh=n%3A467250&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss

 このような作品は私小説の「グッドバイFURUSATO」に書かれていますが塾に関しては皆無です。今の現状ではネタにするようなことは少々きつすぎますので殆んど書いていません。今回の話は四国をどうして捨てるようになったのか、最初は丸亀にいる時会社を辞めて実家に帰ろうとしましたが叶わず、また岐阜に来てからは仕事が忙しく家も建ててしまいましたのでもう帰ることは不可能になってしまいました。ただ母親は土葬でしたのでお墓を移設するについて非常に苦労を致しました。しかし実家のご住職や延山寺の先のご住職のご人力で何とか可能にして頂きました。
 私の一族の身内では学校の総代は2名出ています。一人は母でもう一人は本家の従兄でした。私はそこまでは及びませんでしたが感謝はしています。母親は42歳で飲酒運転の車で事故死をし弟は39歳の時、車の中で心臓発作を起こし亡くなりました。彼は予言師として非常に有名な存在で機関誌にも紹介されていましたがこの小説は家族の話でそれを手記に書きしたためたのです。一昨年小説新潮新人賞に応募致しましたが無残にもいい結果は得ることはなかったです。しかし、絵画や写真、焼き物など芸術一般に残していくことは可能な訳ですが、小説は駄作であってもシュレッターに掛けて処理されるよりは形に残しておいた方がいいかなと思い5年ほど前から書き始めました。
 思えば大学受験を目の前にして殆んど勉強をせずに小説ばかり書いていました。大学受験に失敗し逃げるように四国を出て名古屋の大学に入るのですが初恋の女生徒の兼ね合いも含め書いてあります。今時初恋なんてと思うのですが私にとっては切り離すことは出来ない存在でした。埋葬した母親を掘り起こし隣に亡くなったはずの弟が般若心経を唱えいる。振り返ると彼女の家が見えてくる。そういう山村の状況の中で彼女は星を見て育っていくのですがサソリがオリオンを指すような冬空が本の表紙になっています。

 この物語は第一章と第二章に大きく分かれています。私どもは不条理な世界に翻弄されながらも現在に至るのですが正直あまり面白いものではないです。私小説とはもともと自己満足自己表現の世界ですからあまり面白くはなく現在のエンタメ系の方が面白いに決まっています。しかし、それでも書かざる得なかったのです。それは私の使命感しかなくブログを通じて小説として発表をしていくしかありませんでした。

 来年は楽しい小説を書いてみたいと思っています。芸術は楽しい時より苦労して不幸な時に描いていける妙なものです。人それぞれに異なるのでしょうが私は書き出したら100枚は1週間もあれば書いてしまいます。これは私の好きな村上春樹も言っていますので左程無茶なことではないと思います。比較することが土台無理なのですがそこまで表現のブロットを作成するのに時間が画かあるのですがテーマは基本的に同じですので早く書き上げるようにしています。

 今日は少し話を勉強と切り離し日記として私の10/1に刊行しました「グッドバイFURUSATO」について書かせてもらいました。いつの日か岐阜市図書館や地元別子銅山記念図書館にも置いていただいていますので機会がありましたら一度手に支店てください。冬期講習に関しましては来週からシリーズで書いていきます。HPには書いてありますので「資料請求欄」からお送りいただければ幸いです。教室では随時お渡しをしています。

<今日の言葉>
「自分の内なるものも外なるものも、見ているものを変える必要はない。ただ見方を変えればいいいいのだ」
               タデウス・ゴラス

永井龍雲・・心象風景

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★グッドバイFURUSATO ーあの頃の手記 四国ー

2022年10月02日 20時56分09秒 | 日記

★第2回岐阜新聞テスト

 今日は第2回岐阜新聞テストでした。昨日は第2回英語検定でテストテストの連続で少々体が悲鳴を上げていますが何とか頑張っています。今回の岐阜新聞テストは第1回よりかかなり易しいような気がいたします。平均点もそれなりにいいような気がいたします。数学にしても左程難解な問題はなく通常しっかりやっておけば問題はなかったと思います。問題は英語の長文対策です。基本的に大学の共通テストの真似をするという訳ではありませんがよく似た傾向が出ています。実力テストに関しましても同様な気がいたします。長文対策を数年前から実施していますので大丈夫とは思いますが。

 10/1は私の小説「グッドバイFURUSATO ーあの頃の手記 四国―)がAmazon,楽天から電子書籍で刊行されました。また紙の単行本はAmazonからやはり刊行されました。この小説は私の実家は四国の愛媛県ですが転勤を重ね岐阜に辿りつきましたが体を壊し現在の塾経営に独立をしたのですが正直そういう話は一言もありません。何を書いているかと言いますと人間の存在と死についてです。私の母親は高校一年の時に42歳で亡くなりました。弟はその時小学5年生で我が家はとんでもない世界に突き落とされました。私は大学に行くにはしなくても正直点数はありましたのでやりませんでした。しかし、滑り止めを放棄して東京に行こうと用意をしていましたが結局英語の足きりに掛かったようで駄目になりました。合格点はありましたので「何故?」という感じでしたがこれも仕方がなかったです。母親は土葬でした。それを岐阜に移転することで大変苦労をしましたが住職の計らいで何とかうまく墓地も移転は出来ました。我が家の家系は1600年から明確な系図は残っています。今も私の手元にありますが宮崎県、日向市の飫肥城は何らかの関係があります。現在大河ドラマの鎌倉殿にも出て来ますが伊東祐親がドラマの中ではどうか知りませんがあまり評価はされてはいません。しかし5月には伊豆で伊東祐親祭りが現在もあるのです。古い人か歌舞伎に詳しい人は知っているかと思いますが「曽我兄弟物語」という十郎、五郎が叔父を討つのですがその叔父が伊東祐親なのです。そう言う経路もあって我が家は先代から行者の家系でした。弟はそういう意味では予言者として世に名を売り出す直前に亡くなりました。39歳でした。行方不明の人を探すことが有名で金丸信副総裁の秘書も見えていたと言いますから当時は相当なものだったのかもしれません。彼の死後宜保愛子女史がTVで活躍されましたが弟には宜保さんに先立てて話があったと聞きます。

 私は自分の家の事や親戚、友人のことについて語ることはあまりしたくはなかったのですが正直書いておかなくてはいけないのではないだろうかと思ったのです。文学界や群像の新人賞ばかり狙っても40歳を越えますと非常に難しいです。黒田夏子さんの「abさんご」が75歳で受賞が最高齢ですが年齢は関係はないと言いますが正直あります。理由はその方が今後の活躍をどの程度出来るかということなのですから。私は少し変わった考え方をしています。学生時代大学のサークルでよく書きましたがそれとて彼女に対する日記の告白本の様でした。大学を出て瀬戸内文学に一時在籍しましたが結局」転勤転勤で続けることは難しく文学界の同人誌評の小松伸六先生が「中間小説のツボを心得た面白い小説」とおほめにあずかったのですがこの言葉で私は筆を折ってしまったのです。現在で言うエンタメ小説に近い中間小説、私小説でした。今は純文学、エンタメ、ライト小説と分類されているようですがそういうことはあまり意味がないのです。ただ今までに書き溜めていた小説を全部シュレッターで捨てるかか、または残すかという二択だったのです。正直没になった小説に何の意味があるのかと思いましたが年を取ると残してもいいのではないだろうかと思うようになりました。お陰様で愛媛県新居浜市別子銅山記念図書館や岐阜市の中央図書館に置いてもらえるようになりました。非常に有難いことだと思っています。ですから私の小説はベストセラーになるとか映画化になるとかは問題が次元が異なるのです。ですから今回の小説は正直面白くはないのですが私の原点の様なものです。機会があれば読んでみてください。

<今日の言葉>
「泣いてパンを食べた者でなければ、人生の本当の味は分からない」
            ゲーテ

「いつのまにか少女は」井上陽水(土屋太鳳)

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★夏の終わりに

2022年07月24日 14時01分43秒 | 日記

★熱い夏

 この時期が来ると受験生はかなり目の色が変わってきます。誰しも昔からそうなのですが危機感を感じてきます。それでもあまり顔に出さない方も見えますが確実に変わってくることは事実です。悠然と構えている人は自分の立ち位置が分からない方か若しくはかなり優秀な方でしょうか。概ね私も含め気は焦っていることは事実です。これが秋ごろに少し緩み冬にかけて一気にスパートをかけるという風に変わっていきます。その時には目は吊り上がり体調は不順になり、片頭痛や顔のむくみや血圧の低下など数えればきりがないほど変化があります。年が明けて正月が過ぎるともう完全に体力勝負になってきます。ここ数年はコロナの発生で試験が1週間ほど早く実施されています。それだけに多くを語らなくても危機感を早く抱いた人の方がいいと思います。現在の処では二分され危機感を抱いている方とそうでない方に分かれます。何でも早くに越したことはありません。この夏精いっぱい頑張りましょう。

 今日はもう講習の番外編を書いてしまいましたのでつまらない話ですが私の学生時代、そして作品集Ⅱの「郡上踊りにひきこもり男が総理を目指す」という作品についてお話をしていきたいと思います。この作品は6月1日にAmazonからKindle版の電子書籍、また紙の単行本も同様にAmazonから刊行致しました。この二つの作品は同じようなテーマが流れています。それは社会に行き詰まり逃げ場がなくなり自分の居心地のいい場所を探していく物語です。しかし、社会から逃げてはいけないし壁に向かって立ち向かっていって欲しい若者達です。そう言う彼に対して私はこの作品を通じて問いかけてみました。すでに色々なお話や批評を頂きましたが概ね人間とはみんな捉え方が違うのだなということが信じられないほど感じました。私が仕掛けをつくって盛り上げても何も感動はなく自然の流れについて深く感動をし涙を流したとも言って頂きました。最初の「午後3時50分僕たちは鉄橋を走った」については岐阜市と瑞穂市を繋ぐ前野橋に架かる鉄橋の話です。公安委員会から叱られるからと批判も多かったですがもう少し一歩踏み込んで読んでいただくと何故主人公は鉄橋を走ったのか、または走らないといけなかったのだろうかということになります。この話は学生時代に「トランペット」という50枚の短編小説を発表した作品の一部から引き延ばしたものです。また作品集Ⅱの「郡上踊りにひきこもり男が総理を目指す」作品は学生時代の彼女との別れがこのような形になり社会にでて挫折を感じ何時しかひっそりと人里離れた郡上という人口4万人ほどの街に逃げ込むのですがそこにいる若者の姿に主人公は活気を貰うことになります。父親が県会議員ということでその後を継いで自分が逃げていたことを今度は自分から迎えよう、そういう若者を救おうと決意をして櫓から彼女に愛を告白をするのですが郡上踊りが終わる頃夏の終わりが来ることでも知られています。作品Ⅱのもう一つの作品「朝子は鵜飼いの篝火にピカソの光を見た」という作品は意外と高評価を頂きました。いつか時間があれば読んでみてください。ピカソのキュミズムの世界が彼女を救い主人公は不条理の世界を黙って受け入れていく話です。

 私は学生時代に小説を書いてそこそこ有名?ではありましたが小説家で飯が食えるとは思わなかったです。社会人になって瀬戸内文学の同人誌に暫く参加させていただきましたが転勤もあり何時しか書けなくなりました。当時は文学は純文学か大衆小説かに二分されていました。今は大衆小説はエンターティメントとライト小説に分かれます。先日芥川賞と直木賞が発表されましたが芥川賞をとってもエンタメ作品を書いている人も多いです。それだけ純文学で生きることは苦しいのです。ですから一発屋が多いのも事実です。私の場合一度筆を折りましたから書き始めるのに相当のエネルギーが必要でした。他の作品を読んでみてもそれはそれで感心したり、また途中で放り出したりで色々です。私の本も一時ヤフーのオークションに出ていた時には正直ショックでした。何で?そういう気持ちでした。
 ただ今は若者が生きる難しさの中でそれを一つの壁とするならば逃げて楽をして要領よく生きるということもあるでしょう。色々な生き方があっていいとは思いますがただ壁に向かっていく若者は少なくなったような気がいたします。それよりも自分の居心地のいい方に舵を切って無理をしない考え方に変わって来ています。しかし、今から受験を迎える皆さんは何処でもいい、だから無理をしないというのであれば塾に来る必要はないと思います。行く必要性、目的は個々に違うのですから。では塾に行くのは何故なのでしょうか。いい高校に入りたい、いい大学に入りたいということはいい会社に入る、いい給与を貰うというレールに乗りたいと考える方もいますし今までは多分にこの考え方が多かった気がいたします。しかし、最近では先ほども言いましたが無理をしない生き方をする方が増えてきました。多様性という言葉や新自由主義という言葉など西欧ではもう過去の話なのですが何故か日本では主流になっています。ともあれ自分の考え方をしっかり持つことが大事です。受験が近くなると体調を壊しよいです。それはそれだけ真面目に考えている証拠なのです。もっと勇気を持ちましょう。もっと攻めていきましょう。夏が終わる頃には必ずいいことはあると信じます。

<今日の言葉>
「自分がどんなに努力しても、すぐに結果が出るとは限らない。結果に拘り過ぎると安全な道を選び、進歩は止まってしまう」
              藤沢秀行

水鏡 鈴木一平 【高音質】

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