■昨日一日中放送していた3.11東日本大震災の一周年特集番組のなかで、夜10時から何気なくEテレにチャンネルを合わせていたら、「ネットワークでつくる放射能汚染地図5 埋もれた初期被曝を追え」という番組をやっていたので、思わず見入っていました。すると、東電福島第一原発事故の初期に、国民の知らないうちにベントを繰り返して大量の放射能を環境中に撒き散らしたうえに、相次ぐ水素爆発で大量のヨウ素131を含む放射能が環境中に撒き散らされていたことが改めて検証されていました。

↑2011年3月15日14:00のヨウ素131の分布状況。↑
同番組の概要についてNHKのホームページは次のように説明しています。
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福島第一原発事故は事故初期に大量の放射能を環境中に放出した。中でもヨウ素131は、チェルノブイリでは、体内に取り込んだ子供の一部に、甲状腺がんが現れるなど、その危険性は国際的に認められている。
しかし、今回の事故では、住民にヨウ素131の影響がどれだけあったのか、その詳細はわかっていない。ヨウ素131は半減期8日と短い間に消失してしまうため、早期の測定、調査が必要とされてきた。しかし、国は、事故初期の現場の混乱などによって、ヨウ素131の動きを十分に捕まえることができず、住民の内部被ばく調査も行うことがなかった。
浪江町津島地区は事故初期から大量の放射能におそわれた。環境中に大量のヨウ素131があったと見られる時期も、多くの住民にその情報は届いてはいなかった。無防備なままヨウ素131にさらされた可能性がある住民の間では、子どもへの影響を懸念し、どれだけ被ばくしたのか知りたいという声があがっている。
どうすれば事故初期の被ばくの実態に迫れるのか。取材を進める中で、事故初期に独自の甲状腺調査が行われていたことや、これまで公開されていなかった原発周辺のデータがあることが判明。放射能測定の草分け岡野眞治博士や気象シミュレーションを行う研究者たちとネットワークを築き、その解明に挑む。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0311.html
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■番組を見ていると、昨年3月15日あたりのヨウ素131の飛散がもっと多く、弘前大学放射線研究所の床次教授のシミュレーションの結果、ヨウ素被曝の最大値の推定計算値として、幼児で800mSv、4歳児で400mSvが得られたという報告がありました。
この他、政府が事故直後のサンプリングの収集をほとんどやっていなかったという事実もあきらかにされました。
なぜ、3.11の一周年の今頃になってこのような事実が明らかになったかと言うと、津波や停電で全滅したはずだったモニタリングポストの中に、3月15日前後の放射線のスペクトルのデータが克明に残されていたものが発見されたからだということです。
それらの蓄積データをもとに、専門家がヨウ素被曝の追跡調査を改めて行い、ヨウ素131の拡散の模様を詳細にシミュレーションしたのでした。

↑2011年3月15日(火)03:00↑

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↑19:00風がやみ、拡散が収まった。↑
■その結果を見た群馬県を含む関東地方の視聴者は、みな驚愕したことでしょう。なぜなら、風に乗って流された大量のヨウ素131の帯が、関東地方北部をなでるように横切っていたからです。
これから何十年後に亘り、どのような影響が、とくに幼い子どもたちの間に広まるのかどうか、注意深く検査する必要があることはもちろん、こうした事態を手をこまねいて招いた責任はだれにあるのかを、きちんと追求し、責任の所在を明確化しておくことが、現在の私たちの使命だということを痛感させられる番組でした。
【ひらく会情報部】