市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

レイムダック状態の群馬県政・・・公約も忘れ、はやくも退職金に関心を示した大沢フリン知事

2019-05-21 23:59:00 | 県内の税金無駄使い実態
■保守王国の群馬県で、これまで3期に亘り税金の無駄遣いの限りを尽くしてきた大澤正明知事ですが、任期を半年残した段階の2019年2月6日の臨時記者会見(本件記事末尾「参考情報1」参照)で引退を表明していました。2007年の知事選出馬時に語った「退職金はゼロ円」の公約は、すでに忘却の彼方。チェック機関であるべき県議会は、保守盤石状態のため、群馬県行政は、まさにやりたい放題。緊張感のない政治と行政環境の弊害が、このような形で露呈しました。それでは報道記事を見てみましょう。
**********毎日新聞2019年05月19日
退職金ゼロ公約、3期経て「変節」 群馬知事に自民幹部容認

大沢正明知事=杉直樹撮影

 7月末の任期満了での退任を表明している大沢正明・群馬県知事の現任期分の退職金支払いを容認する声が一部から上がっている。大沢氏は初当選した2007年の知事選で「退職金は0(ゼロ)円」を公約。退職金を受け取ればこの公約に反することになり、専門家は、まずは知事の公約遂行を県民に代わってチェックする県議会の判断が問われると指摘。知事の公約違反は県民の政治不信を招く可能性もある。【西銘研志郎】
 ◇条例案が必要
 今期限りの退任を表明している大沢氏の3期目の知事退職金は、有識者で構成する県特別職等報酬審議会の16年2月の答申を受けて、約3600万円と推定される。
 初当選時の公約を堅持し引き続き不支給とするならば、15日に開会した県議会第2回定例会に条例案を提出する必要があるが、与党幹部は県執行部からの条例案提出は「聞いていない」という。
 ◇激戦制す力に
 大沢氏は07年知事選で、当時5期目を目指していた小寺弘之氏の再選を阻み、初当選した。現在前橋市長の山本龍氏も加わった激しい“三つどもえ”の保守分裂選挙の中で、大沢氏は小寺氏を「多選」と「退職金」で批判。任期は「最長でも2期8年」、退職金は「民間並みに減額」としたものを選挙戦をより有利に進めるために途中から「0円」に変更。大激戦を制した。
 大沢氏は初当選以来、退職金ゼロは「自分の任期に限る」との方針から、正副知事双方の退職金を1期目の任期に限り不支給とする時限条例を全国で初めて提案、成立させた。
 ◇2期目でぶれ
 しかし大沢氏は、2期目再選後初の記者会見で「(2期目の退職金は)『もらわない』とマニフェストに書いていない」などと述べ、ぶれる。結局、内外の批判もあり、2期目も不支給の時限条例を県議会で成立させた。ただ条例案を審議した15年3月の県議会の委員会では、自民側から不支給継続を疑問視する意見が出た経緯がある。
 3期目の退職金受け取りに関して、自民県連幹部は「聞いていないが、個人的には受け取っていいと思う」と打ち明ける。さらに「3期目の知事選では『退職金は受け取らない』とは言っていないのではないか」とも指摘し、容認を示唆した。
 鳥取県知事時代は「改革派知事」として知られた、旧自治省(現総務省)出身で元総務相の片山善博早稲田大大学院教授は「発表した以上は、公約は守るべきだ。知事が条例案を提出しないという姿勢ならば、議会が案を出すなど、公約を守らせるためのルール作りをすべきだろう」と指摘し、懸念を示した。

**********東京新聞2019年5月18日
3期目退職金、知事受領へ 3600万円「県議会で容認の意見」

知事が初当選の際に掲げた公約のちらし=前橋市で
 七月末に三期で退任する大沢正明知事は十七日、公約に基づいて一、二期は辞退した退職金について、三期目は受け取る意向を明らかにした。金額は約三千六百万円。大沢知事は取材に「以前に県議会で三期目の受け取りを容認する意見があり、(知事ら県特別職報酬等)審議会で退職金引き下げが答申された経緯も踏まえ、今回は受け取りたい」と説明した。 (菅原洋)
 大沢知事は二〇〇七年の初当選の際、公職選挙法に基づく正式な「選挙運動用ビラ」で、「退職金は0円 厳しい県の財政に配慮」と掲げた。当時の故小寺弘之知事を挙げて「4期でなんと2億円」と比較し、強調していた。
 大沢知事は公約に伴い、当時は約三千八百万円だった退職金を一、二期とも不支給にした。いずれの際も事前に、一期目は一期に限る関連条例案を、二期目は二期に限る関連条例の改正案をそれぞれ県議会へ提案し、可決され、実行した。
 大沢知事は三期目も退職金を不支給にする場合、在職中は最後となる開会中の県議会定例会に、三期目に限る関連条例の改正案を提出する必要がある。だが、担当の県人事課に現時点で指示しておらず、取材に対しても退任まで提案しない意向を示した。
 県人事課によると、二期目の不支給を提案した一五年三月の県議会総務企画常任委員会で、大沢知事が県議時代に所属していた自民党の県議から「退職手当不支給が果たして正しいのか。委員会として考えていく必要がある」との問題提起があった。
 この意見が一つの契機となって県特別職報酬等審議会が開かれ、他の知事の水準と比較した上で、一六年二月に約二百万円の退職金引き下げが答申された。
 大沢知事は初当選の際の公約で、任期を二期八年までとも掲げたが、関係者からの要請などを受けて三期目の知事選に立候補した。
***********

■当会にとって大澤正明知事にまつわる最大の事件は、なんといっても副知事公舎を舞台とした愛人連れ込み事件です。主な経緯は次の記事をご覧ください。
〇2011年7月13日:首長に再選されたばかりなのに週刊誌のカモにされた我らが大沢群馬県知事の全国的スキャンダルの波紋
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/664.html
〇2011年7月23日:大沢知事が週末に彼女と業務打合せをしていた知事公舎の内部の使われ方と外部からの見られ方
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/673.html
〇2012年2月23日:大澤知事の知事公舎問題に絡む目的外使用・不正改修・自己負担不足等で住民監査請求を監査委員に提出
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/746.html

 さらに詳しい経緯は、次のブログ記事カテゴリー「県内の税金無駄遣い実態」から検索してみてください。
※参考URL ⇒ https://pink.ap.teacup.com/applet/ogawaken/msgcate21/archive

■この件で当会は、公舎の管理規則の適切な運用を県管財課に遵守させるため、また、知事と愛人の情事の為に無用に投入された3000万円を下らない血税の回収のために、「公舎妾宅化損害賠償事件」を提起し、最高裁まで争いましたが、司法は「配偶者以外の異性と公舎に宿泊を伴う滞在を頻繁にしても、それは同居ではないから、違法性はない」と判断し、当会の訴えを退けました。
〇2013年12月23日:大澤知事の知事公舎愛人連れ込みによる目的外使用事件で最高裁第一小法廷から棄却通知
https://pink.ap.teacup.com/ogawaken/1185.html

 この判決は、全国の公務員にとって、不倫をする場合、ラブホテルを使う必要はなく、公舎をどうどうと使用でき、しかも、ラブホテルに不可欠な設備の整備に公金をどうどうと投入してもかまわない、という画期的な福音でした。

 そのため、当会は、県庁を訪れるたびに、管財課に対して公舎管理規則にきちんとこの判決内容を反映して、明記するように要請していますが、なぜか群馬県の総務部管財課は、この画期的な福音判決を明文化しようとしません。そうこうしているうちに、功労者のフリン知事があと2か月余りで任期満了となりました。

 もしかしたら、今回の退職金は、県の職員のかたがたにとっても、福利厚生充実に功績のあった知事への感謝の念にとして、フリン知事が逆忖度したのかもしれません。

■せっかく最高裁まで争い、全国の公務員の福利厚生のレベルアップに貢献した知事ですが、公約違反の約5千万円と言われる退職金をめでたくせしめられた暁には、せめて愛人とともに過ごした副知事公舎の保存に必要な資金として、当該副知事公舎保存基金の設立のための原資に充てることを提案したいと思います。

【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】

※参考情報1「引退発表の臨時記者会見」
**********群馬県HP「知事のページ」
https://www.pref.gunma.jp/chiji/z90g_00024.html
臨時記者会見要旨(2月6日)
■日時 平成31年2月6日(水)午前10時00分~10時21分
■会場 記者会見室
■出席者 県:知事ほか
       記者:記者クラブ所属記者等28人
■記録作成 広報課(報道係)
■会見要旨
◎知事発言
 今日の新聞に、私の進退問題が書かれておりました。率直なところ、真実であります。自分自身、明日が予算編成の発表でありまして、31年度の予算は私にとりましても、群馬県にとりましても、今後10年を占う大切な予算でありました。その予算をしっかりと県民の皆さんに発表をして、その後、自分自身の気持ちを整理して、進退問題については記者会見をしたいと思っておりましたけれど、今日新聞報道がされたわけでありまして、これ以上先延ばしするのは失礼であろうという思いで、今日あらためて皆さんに、今期限りで引退するということを表明したいと思います。
◎質疑応答
(記者)
 出馬をされないという意向を固められた、その理由について伺えますでしょうか。
(知事)
 自分自身、12年、知事として県政に取り組んでまいりました。いろいろな課題がありました。
 その中でも特に子どもたちの問題には、子ども医療費の問題、わかばプラン、さくらプラン等々ですね、取り組んできたり、特に特別支援学校におきましては、平成23年の選挙中にですね、保護者の方から貴重な意見をいただいて、27年には特別支援学校を全地域に整備することができました。また、30年4月には、特別支援学校の重複障害の受け入れと、高等部の生徒を全て、受け入れることができました。そして、今年の4月には、沼田の高等部が新築、富岡、吾妻が改修後の新校舎となるわけでありまして、来年の4月には藤岡が新築され、子どもたちが新しい校舎で学ぶことができる、さらには、高等部において就労支援がしっかりできるようになった、見通しがついたところであります。
 また、コンベンションも長い間時間がかかりました。約10年かかって着工にこぎ着けたわけでありますけれど、来年4月にはオープンの運びとなったわけであります。
 八ッ場ダムにおいても、長い間、地元の方々が苦労をされてきて、平成21年に政権交代によって、突然の八ッ場ダム中止となったわけでありまして、その間、地元の方々と共にですね、八ッ場ダムの建設の再開に努力をしてまいりました。来年の4月には、八ッ場ダムも完成、そして生活再建事業、多少の遅れはありますけれど、来年度、しっかりと完成に向けて、着実に工事を進めていきたい。そして、地元の方々が、安心して生活ができる環境の方向性が示せたという思いであります。
 私としては、大きな事業の方向性がついた、そして、この後は若い人にしっかりと群馬県のリーダーとして、群馬県を引っ張っていっていただきたいという思いで引退を思ったところであります。
(記者)
 道筋がついたということだと思うのですけれども、知事ご自身が初当選された際に、2期8年という公約を掲げられておりましたが、多選批判に関する懸念についてはいかがでしょうか。
(知事)
 当初2期8年ということで、(知事選に)出たわけであります。3期目は県内いろいろな方から、頑張れというお声もいただいて、3期目の出馬を決意したところであります。3期12年県政をやらせていただきまして、自分としてはこの12年間で思いの全てをぶつけることができたかなという思いもしております。
(記者)
 後任の問題もあると思うのですが、知事も過去の知事選で自民党から支援を受けていますけれど、県連に対しては何かお伝えはしたのですか。
(知事)
 私も自民党から推薦・公認をいただいて出たものであります。それ(後任について)は県連のご判断だと思っております。
(記者)
 既にその(引退の)意向はお伝えしたのでしょうか。
(知事)
 はい。
(記者)
 先ほど今期限りで引退するということについての理由はお話しいただいたのですが、引退するというのを最終的にお決めになった、お気持ちが固まったというのはいつの段階なのでしょうか。
(知事)
 自分自身は3期目に当選した時に今期限りという思いは持っておりました。
(記者)
 3期目に当選された後、支援団体の清明会が会費を集めるということもしていなかったようですけれど、その辺りは知事が指示をされたところだったのでしょうか。
(知事)
 はい。3期目に当選してからですね、一切の政治資金は集めないようにという思いで、それが全てを物語っていると思っております。
(記者)
 ご自身は身を引かれて、次は若い人に、群馬を引っ張っていただきたいという話がありましたが、次に群馬の県政を担うリーダーに期待する部分、どういうところを取り組んでもらいたいという思いがありますか。
(知事)
 やはり群馬県は、町村部が非常に厳しい状況にあります。だから自分自身、知事に当選してから、やっぱり(群馬県の形である)鶴は両翼がしっかりと羽ばたかなければ飛び上がれない。また、尻尾がしっかりしていなければ方向が取れない。やはり利根沼田、多野藤岡、吾妻、甘楽郡、そういったところが大きく羽ばたけて群馬が羽ばたけるのではないかと思っております。(頭の部分である)邑楽館林にしてもしっかりと方向性を定める。それによって伊勢崎、太田、前橋、高崎という中心部をしっかりと持ち上げて群馬が飛躍できるのではないかなと。そのためにもしっかりと町村部に目を向けて県政運営をしていただければという思いは強いです。
 ・・・ちょっと言い過ぎだね。(笑い)
(一同)
 (笑い)
(記者)
 現時点で、山本一太さんが立候補を表明されておりますけれど、知事の後継として山本一太さんはなり得るというか、そこのところはどのように考えていますか。
(知事)
 大臣までやられた方ですから私の後継なんておこがましい(です)。やはり県連がしっかりと判断されることだと思います。
(記者)
 知事が直接後継指名はされないのですか。
(知事)
 そんな立場にありません。県民に本当にふさわしい知事が選ばれるように、県連に期待しているところです。
(記者)
 知事の支持者の方が後継の擁立をされた時に、知事がそれを応援するということになりますか。
(知事)
 仮定の話に答えるのは無理だと思います。
(記者)
 なかなか保守内の、知事も自民党の県議でいらっしゃったのですが、全国で知事選の分裂選挙がありますけれど、保守内の分裂を避けたいというのもあるのかなと思うのですが。
(知事)
 やはり私が知事になった時が分裂選挙だったわけであります。私が知事になって、経済界の方々も、(当時の)現職を推された方が多かったので、遠慮が非常にありました。真に打ち解け、腹を割って議論できるようになったのもある程度時間がかかりました。しかし今の群馬県にはそんな時間がない。経済にしてもこれからの国際戦略にしても、官民一体となって進んでいかなくてはいけない。そのためには、できるだけ一本化された中で選挙が行われることを期待しております。
(記者)
 山本一太さんを支持するのかどうか、どのようなお気持ちでいらっしゃいますか。
(知事)
 私は今この立場でどうのこうのということは言えないのではないかと思うので、やはり県連がしっかりとした方向性を出していただけるのではないのかと思っています。
(記者)
 山本一太さんの話ですが、会談を一太さんから申し込まれたときに、知事は距離を置かれましたが、今のこういう状況になって・・・
(知事)
 直接言われたことはありません。
(記者)
 今のところ特に会う予定はないということで。
(知事)
 私はもう引退するんだから。もう引退表明したら、別に必要はないんじゃないでしょうか。
(記者)
 昨年、清明会の皆さんが会合を開かれたり、その後も知事に4選出馬をぜひというようなお話もあがっているということもありましたが、この辺についてはどのようにお考えになっているんでしょうか。
(知事)
 非常にありがたく思っております。ただ先ほども言ったように、自分の多選という問題もあるし、73という年齢もあるし、やはり引くべきだろうという思いは強かったです。
(記者)
 引退についてご家族の方はどのような反応をされていますか。
(知事)
 かなり喜んでいると思いますよ。(笑い)
(一同)
 (笑い)
(記者)
 それはやはり今まで知事を支えてきたということで。
(知事)
 そうですね。今一番喜んでいるのは家内かなと。
(記者)
 4選出馬を求める声が各方面からいろいろと寄せられている中で、知事ご自身として今いろんな問題があるので引くべきという判断されたということだったのですが、もうちょっとやりたい、やり残したことがあるみたいな思いはなかったのでしょうか。
(知事)
 コンベンションにしても八ッ場にしてもですね・・・(しばらく沈黙後)思いがあったのは事実です。
(記者)
 悩まれた中で、最後は。
(知事)
 4年間ですからね、知事(の任期)は。1年ではありませんので、やはりしっかりとした若い人に今後の群馬を引っ張っていっていただきたいなと思います。
(記者)
 今、引退の思いは表明されましたけれども、まだ任期は7月まで残っています。この後、どのような思いで県政を・・・
(知事)
 いずれにせよ、この31年度の予算、明日皆さんに発表させていただきます。この予算は、なんと言っても県民のために作り上げたものでありまして、自分自身全霊をもって7月まで県民のために頑張りたいと思っています。
(記者)
 知事選については県連の意向に従って行動ということでしょうけれども、例えば今後、参議院選とか統一地方選とかありますけれども、知事として政治活動はどうされるんでしょうか。候補者を応援するですとか、そういうことはありうるのでしょうか。
(知事)
 全くまだ考えておりません。
(記者)
 知事を辞められた後、どんな風な生活をしたいですとか、こんなことをやりたいとか、その辺のことは今何か思い浮かぶことはございますか。
(知事)
 そうですね。自由人で。
(一同)
 (笑い)
(記者)
 自由人ですか。
(知事)
 まあ、群馬県政の応援団としてしっかりと協力していきたいと思っています。
(記者)
 何か具体的にこんなことをやりたいですとか、ボランティアですとか、前々から考えていたことなどは何かあるんでしょうか。
(知事)
 元々、特別養護老人ホームをやっていますからね。
(記者)
 そうですよね。
(知事)
 知事になったので理事長職を降りてますけれども、特別養護老人ホームの関係で、まだまだご奉公できるのかなと思っています。
(記者)
 そうすると人口減少、高齢社会の中で高齢者福祉の方で、力を尽くしたい、そんな感じですか。
(知事)
 そうですね。
(記者)
 まだ任期が半年近く残っているわけですけれども、今日この会見にあたって12年間支えられた県の職員へのメッセージと県民へのメッセージをいただければと思うのですけれども。
(知事)
 12年間本当に県庁職員には支えていただいて、県民の皆さんからも親しく声をかけていただいて、県政の課題を教えていただいた。その思いの中で県政に取り組むことができたということは、本当に幸せだったなと思っています。そして、その思いにも応えることができたかなとも思っています。ぜひ、この流れを次の方にしっかりと持っていってもらえればと期待はしております。
(記者)
 先ほど今回4期目に出ないということは3期目の最初から思っていたということは分かったのですが、いろいろその後ありまして最終的に今回出ないと決めたタイミングは、例えば今月か、先月ぐらいかなと思うのですが、最終的に決めたんだというタイミングはあるんですか。
(知事)
 ずっと最初から。
(記者)
 その思いでずっときて・・・
(知事)
 さっき言ったように後援会として、政治資金を3期目に入ったときに集めることは止めているわけです。それがイコールだと思います。
(記者)
 誰かに相談して最終的に決断したとかそういうことじゃないんですね。最近になって最終的に決めてということではないということでいいですね。誰かに相談したりとか、いろいろ話し合ったりして。
(知事)
 私の支持者の方もおりますし、いろいろとご指導いただいた方もおりますので、それはご相談して今日まで来ました。
( 以上で終了 )
文章中の( )内については、広報課において加筆したものです。
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E-mail kouhouka@pref.gunma.lg.jp
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※参考情報2「不倫知事として全国に知名度アップ」
**********J-CASTニュース2011年7月14日 20時59分
公舎に女性泊めた群馬県知事 「ラブホテル代わり?」と週刊誌報道
 「週刊新潮」(2011年7月13日発売)で知事公舎に女性を宿泊させたと報じられた群馬県の大沢正明知事。知事公舎を「ラブホテル代わりにしていたのでは」と記事で指摘されたが、妻と別の女性を宿泊させたことは認めたものの、男女関係は否定した。
 問題の公舎は、入居前に塀を高くし、浴室をユニットバスにするなど税金を使って改修したにもかかわらず、週に1、2回しか使っていないという。そんな場所で起きた今回のお泊まり騒動、知事は「今後は誤解がないようにしたい」と謝罪した。
★辞職の考えはなし
 週刊新潮の記事によると、7月3日の知事選で再選した大沢知事は8日、県庁での初登庁式後に50代女性とともに公舎へ入り、翌朝まで過ごした。女性は大沢知事と十数年来の愛人で、2010年だけで30回、11年はすでに13回は泊めたと指摘している。
 報道を受け、大沢知事は7月13日の緊急会見で、「県民の皆様の信頼を傷つけることになったことに対しまして、深くお詫びを申し上げます」「今後は慎まないといけない」などと謝罪した。
 大沢知事の言い分によると、女性は愛人ではなく、知事が顧問を務める社会福祉法人の職員。月に1回は、公舎に事業報告をしにきており、7月8日は打ち合わせ中に2人とも酒を飲んで寝てしまった。そして車の運転ができないことを理由に翌朝まで宿泊させた。
 宿泊させたのはその1回だけで、40回以上の指摘については「意味が分からない」といっている。群馬県公舎管理規則では、第三者の宿泊についての規定はないものの、公舎は「公務の円滑な運営を図るため」にあると定義してある。女性を宿泊させたことへの責任については「自分を戒め、県発展のため努力することが私の使命」と辞職の考えはないようだ。
★最近では後藤田衆院議員がホステスと
 政治家が宿舎に女性を泊める例は近年あとを絶たず、宿舎をめぐる公私混同が大きく問題となっている。最近では、女優の水野真紀さんを妻に持つ自民党の後藤田正純衆院議員が、銀座の人気ホステスと議員宿舎に入ったところが6月3日の「フライデー」で報じられた。
 週刊新潮の記事によると、知事は同誌の取材に対し、「あの後藤田正純さんのようなこともあったから」と答えているように、妻以外の女性を公舎に招き入れることについては、かなり気にしているようだ。
 インターネットではこの会見の報道を受け、「愛人なんかどうでもいいが、公私混同は許せない」「公舎に泊めといて『意味が分からない』とはどういうことだ」などの声が上がっている。
 大沢知事は2007年の初出馬の際に「自宅がある太田市から県庁までエコカーで通う」と公約していた。当選して1か月ほどして危機管理を理由に公舎に住むようになった。築60年以上の知事公舎は老朽化で安全面に問題があるとして、それまで副知事公舎として使っていた公舎に、塀を高くしたり門扉を自動開閉するものにしたりする改修工事を施したうえで入居した。
 大沢知事は11年5月の会見で、知事公舎について「大きすぎる」との立場を示し、公舎は週に1、2回しか使っていないと明かしていた。13日の会見では、今後について廃止も含め第3者委員会を設けて検討したいといっている。
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