■マグニチュード9.0と発表され、今までに体験したことのない長時間に亘る大きな揺れ。そしてその後に次々と東日本を襲った災禍。津波と原発事故による放射能汚染。あの日から、1年目の節目を迎えたこの国は、今日、鎮魂と再生を誓う一日を過ごしました。
この一年を振り返ると、もっとも痛感させられたのは、地震や津波は自然災害で発生しましたが、東電福島第一原発の4つの原子炉事故による放射能拡散と汚染が、復興の大きな足かせになっているということです。
↑震災と原発事故から一周年を迎えようとする東京電力本社。↑
調査班はインドネシアのスマトラ沖地震による津波発生から3カ月後に現地に入った経験がありますが、先進国といわれる我が国で、これほどスローテンポでしか、復旧が進んでいない実態は、やはり原発事故による放射能汚染が最大の原因です。
■チェルノブイリと同様に、今やフクシマという名前を世界中の人が知っています。これまでヒロシマ、ナガサキの名前で、世界で唯一の原爆の被爆国として反戦、反核をアピールしてきたこの国が、自ら核の平和利用だと銘打って手を染めてきた原発が原因で、国民を被曝させ、さらに世界中に放射能を撒き散らしてしまいました。これほど、恥ずかしいことはありません。
↑レベル4から5、そしてついにレベル7の最悪の被害レベルを日本政府が発表した直後の中国の昨年4月27日付けの新聞報道。チェルノブイリと比較した記事で埋め尽くされている。当時、中国の主要空港ではガイガーカウンターで日本人旅客を検査し、放射線が計測されると即刻帰国を命じられたという話も聞いた。↑
しかも、原発事故を起こした東電や、それを監督してきた政府、経産省の情報秘匿体質は、この国のシステムが国民主体につくられていなかったことを国民に露呈したのです。
■3.11を2日後に控えた先週金曜日の朝、当会の福島原発事故調査班は、久しぶりに東京電力の本社前を訪れました。
あいにくの雨ふりでしたが、社員らがいそいそと出勤する様子を見ていると、1年前に日本を震撼させた事故を起こした会社とは到底思われません。事故直後にはいろいろな市民団体が東電本社前でアピールをしたり、座り込みの抗議行動などを連日行っていましたが、現在はそのような団体もたまにしか現れず、熱しやすく冷めやすいこの国の国民性を象徴するかのようです。
↑東電本社の駐車場入り口には守衛が陣取っており、物々しく警戒していた。駐車場入り口に警告看板などが並んでいる。↑
■ところが、一つだけ、1年前と同じものがあります。それは、東京電力本社の警備に当たる警察官の姿と警察車両です。
当会の取材班が、東電本社ビルの前を通る山手線のガード下から、交差点を隔てて、原発事故から1年後の東京電力本社ビルの姿を写真に記録していたところ、警備の警察官が急ぎ足でやってきて「今、写真を撮ったでしょう」「一般の市民ですか」「何の目的で写真を撮影したのか」と当会の調査班に対して職務質問をしてきました。
↑東電本社ビルと山手線高架との間の道路わきの東電ビルの軒先にある花壇。障害者の雇用をアピールしているのはよいが、被災者への補償も忘れないでほしい。↑
そこで、当会の調査班は「はい、東電の本社ビルの写真を撮りました。目的は原発事故1年後の東電本社の様子を記録するためです。撮影した写真はこれです」と警察官に見せました。そして「ところで、一般の市民、とおっしゃいましたが、一般の定義について教えてください。そうしないと答えようがありません」と質問したところ、質問した警察官は返事に詰まった様子をみせました。
そのため「一般かどうか分かりませんが、少なくともテロリストではありません。東電にとくに危害を加えようと言う意思はありませんから。しかし、東電の放射能で危害を加えられたと思っており、東電の幹部がいまだに責任をとらないことには怒りを覚えます」と警察官に感想を述べました。
さらに、「ところでここから写真撮影をすることは何か問題なのでしょうか。1年前にも撮影したことがあり、比較するのが目的です。あれから1年経過するあいだ、日本国民は放射能禍に翻弄されましたが、なぜ東電はこのように相変わらず無責任体質が染みついたままのでしょうか」とコメントしたところ、警察官は「いや、全然問題ありません。大変失礼しました」と東電前の警備ポイントに戻って行きました。
■東電前には警察の警備車両も駐車してあり、東電ビルに近い車道の1車線に赤色のコーンを並べて、一般車両は通行できないようにしてあります。警察官も何人か警備にあたっており、公金で東京電力を守っていることになります。
↑24時間体制で東電の警備にあたっている警察車両。↑
その後、経産省の前に言ってみると、こちらは反原発テントが経産省の脇の交差点の角にしつらえてあり、通行人に反原発をアピールしていました。このテントはもう何か月もあり、やはり粘り強く活動することの大切さを教えてくれます。
↑経産省前に「脱原発」と大書したテントを設置し、昨年の9月から座り込みを続けている「原発いらない福島の女たち/子ども福島」のみなさん。現在は女性の立場から「未来を孕む女たちのとつきとうか」をテーマに、妊娠期間とおなじ10ヶ月10日(とつきとうか)間の座り込み中。↑
■1年前の3.11とその直後の東電福島第一原発のメルトダウンと水素爆発の発生から約1カ月後の4月26日に東京電力前に行った時の記録があります。
その時は、マスコミの放送車をはじめ沢山の市民やグループが東電本社ビル前に集まり、厳しい視線を東電に注いで非情に険悪な雰囲気でした。
↑ちょうど夕方の午後5時半で退社時間。いそいそと定時退社する東電役員の高級車が逃げるように前を通り過ぎた。↑
↑東電本社の周りは警察だらけだった。
↑入出門する社員は守衛に厳重に守られて特別警戒中だった。↑
あれから1年。早くもあのときの熱気はどこへやら。東電関係者も静かにあらしが過ぎ去るのをじっと待っているようです。しかし、一旦汚染されたこの国の大地は、今度は農作物や畜産物を通じて、国民の健康に脅威を与え続けています。
↑上:東電の事故当時社長だった清水正孝・前社長の自宅がある赤坂の億ションPark Court Akasaka The Tower。入院と称して、ローンの残金を払い込み、さらに高額の退職金を得て20階で悠々自適の毎日らしい。昨年4月26日撮影。下:Park Court Akasaka The Towerの玄関に通じる緑地。
いつ終わるともしれない果てしない放射法汚染問題。今後とも、市民レベルでの監視が不可欠です。当会は微力ながら、東電の放射能汚染の責任を問い続け、再発防止を図ってゆく所存です。
【ひらく会情報部・東電福島原発調査班】
この一年を振り返ると、もっとも痛感させられたのは、地震や津波は自然災害で発生しましたが、東電福島第一原発の4つの原子炉事故による放射能拡散と汚染が、復興の大きな足かせになっているということです。
↑震災と原発事故から一周年を迎えようとする東京電力本社。↑
調査班はインドネシアのスマトラ沖地震による津波発生から3カ月後に現地に入った経験がありますが、先進国といわれる我が国で、これほどスローテンポでしか、復旧が進んでいない実態は、やはり原発事故による放射能汚染が最大の原因です。
■チェルノブイリと同様に、今やフクシマという名前を世界中の人が知っています。これまでヒロシマ、ナガサキの名前で、世界で唯一の原爆の被爆国として反戦、反核をアピールしてきたこの国が、自ら核の平和利用だと銘打って手を染めてきた原発が原因で、国民を被曝させ、さらに世界中に放射能を撒き散らしてしまいました。これほど、恥ずかしいことはありません。
↑レベル4から5、そしてついにレベル7の最悪の被害レベルを日本政府が発表した直後の中国の昨年4月27日付けの新聞報道。チェルノブイリと比較した記事で埋め尽くされている。当時、中国の主要空港ではガイガーカウンターで日本人旅客を検査し、放射線が計測されると即刻帰国を命じられたという話も聞いた。↑
しかも、原発事故を起こした東電や、それを監督してきた政府、経産省の情報秘匿体質は、この国のシステムが国民主体につくられていなかったことを国民に露呈したのです。
■3.11を2日後に控えた先週金曜日の朝、当会の福島原発事故調査班は、久しぶりに東京電力の本社前を訪れました。
あいにくの雨ふりでしたが、社員らがいそいそと出勤する様子を見ていると、1年前に日本を震撼させた事故を起こした会社とは到底思われません。事故直後にはいろいろな市民団体が東電本社前でアピールをしたり、座り込みの抗議行動などを連日行っていましたが、現在はそのような団体もたまにしか現れず、熱しやすく冷めやすいこの国の国民性を象徴するかのようです。
↑東電本社の駐車場入り口には守衛が陣取っており、物々しく警戒していた。駐車場入り口に警告看板などが並んでいる。↑
■ところが、一つだけ、1年前と同じものがあります。それは、東京電力本社の警備に当たる警察官の姿と警察車両です。
当会の取材班が、東電本社ビルの前を通る山手線のガード下から、交差点を隔てて、原発事故から1年後の東京電力本社ビルの姿を写真に記録していたところ、警備の警察官が急ぎ足でやってきて「今、写真を撮ったでしょう」「一般の市民ですか」「何の目的で写真を撮影したのか」と当会の調査班に対して職務質問をしてきました。
↑東電本社ビルと山手線高架との間の道路わきの東電ビルの軒先にある花壇。障害者の雇用をアピールしているのはよいが、被災者への補償も忘れないでほしい。↑
そこで、当会の調査班は「はい、東電の本社ビルの写真を撮りました。目的は原発事故1年後の東電本社の様子を記録するためです。撮影した写真はこれです」と警察官に見せました。そして「ところで、一般の市民、とおっしゃいましたが、一般の定義について教えてください。そうしないと答えようがありません」と質問したところ、質問した警察官は返事に詰まった様子をみせました。
そのため「一般かどうか分かりませんが、少なくともテロリストではありません。東電にとくに危害を加えようと言う意思はありませんから。しかし、東電の放射能で危害を加えられたと思っており、東電の幹部がいまだに責任をとらないことには怒りを覚えます」と警察官に感想を述べました。
さらに、「ところでここから写真撮影をすることは何か問題なのでしょうか。1年前にも撮影したことがあり、比較するのが目的です。あれから1年経過するあいだ、日本国民は放射能禍に翻弄されましたが、なぜ東電はこのように相変わらず無責任体質が染みついたままのでしょうか」とコメントしたところ、警察官は「いや、全然問題ありません。大変失礼しました」と東電前の警備ポイントに戻って行きました。
■東電前には警察の警備車両も駐車してあり、東電ビルに近い車道の1車線に赤色のコーンを並べて、一般車両は通行できないようにしてあります。警察官も何人か警備にあたっており、公金で東京電力を守っていることになります。
↑24時間体制で東電の警備にあたっている警察車両。↑
その後、経産省の前に言ってみると、こちらは反原発テントが経産省の脇の交差点の角にしつらえてあり、通行人に反原発をアピールしていました。このテントはもう何か月もあり、やはり粘り強く活動することの大切さを教えてくれます。
↑経産省前に「脱原発」と大書したテントを設置し、昨年の9月から座り込みを続けている「原発いらない福島の女たち/子ども福島」のみなさん。現在は女性の立場から「未来を孕む女たちのとつきとうか」をテーマに、妊娠期間とおなじ10ヶ月10日(とつきとうか)間の座り込み中。↑
■1年前の3.11とその直後の東電福島第一原発のメルトダウンと水素爆発の発生から約1カ月後の4月26日に東京電力前に行った時の記録があります。
その時は、マスコミの放送車をはじめ沢山の市民やグループが東電本社ビル前に集まり、厳しい視線を東電に注いで非情に険悪な雰囲気でした。
↑ちょうど夕方の午後5時半で退社時間。いそいそと定時退社する東電役員の高級車が逃げるように前を通り過ぎた。↑
↑東電本社の周りは警察だらけだった。
↑入出門する社員は守衛に厳重に守られて特別警戒中だった。↑
あれから1年。早くもあのときの熱気はどこへやら。東電関係者も静かにあらしが過ぎ去るのをじっと待っているようです。しかし、一旦汚染されたこの国の大地は、今度は農作物や畜産物を通じて、国民の健康に脅威を与え続けています。
↑上:東電の事故当時社長だった清水正孝・前社長の自宅がある赤坂の億ションPark Court Akasaka The Tower。入院と称して、ローンの残金を払い込み、さらに高額の退職金を得て20階で悠々自適の毎日らしい。昨年4月26日撮影。下:Park Court Akasaka The Towerの玄関に通じる緑地。
いつ終わるともしれない果てしない放射法汚染問題。今後とも、市民レベルでの監視が不可欠です。当会は微力ながら、東電の放射能汚染の責任を問い続け、再発防止を図ってゆく所存です。
【ひらく会情報部・東電福島原発調査班】