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生涯現役を貫いた聖路加国際病院名誉院長、日野原重明さん 7月18日、105歳で死去 「追想―メモリアル」

2017年09月25日 23時10分55秒 | 日野原重明
生涯現役を貫いた聖路加国際病院名誉院長、日野原重明さん 7月18日、105歳で死去 「追想―メモリアル」
2017年9月25日 (月)配信共同通信社

 献花台が置かれた東京・聖路加(せいるか)国際病院の礼拝堂には、7月の猛暑の中、弔う人が絶えなかった。車いすの高齢者から小学生、音楽療法に取り組む演奏家、栄養士...。世代や職種を超えた人々が死を悼む光景が、業績の幅広さを物語っていた。
 一貫していたのは、垣根をつくらず他者と交わろうとするスタンス。医師としては、早くからチーム医療を推進、看護師らとの連携に心を砕いた。「どれほど勇気づけられたか」と、他の病院から葬儀に参列した看護師も少なくなかった。患者に対して、病だけでなく人として寄り添う医療を目指し、後輩らに「患う人の心に向き合う感性が必要」と繰り返した。
 社会に向けては「年を取っても、何かを始めるのに遅いことはない」とシニア世代を鼓舞し続けた。102歳を過ぎ、講演会の舞台袖で車いすにもたれて肩で息をする場面もあったが、ステージに出た途端、両手を広げステッキをぶんぶん振り回しておどけてみせた。
 秘書として身近に接してきた岡由利子(おか・ゆりこ)さん(60)は、「とにかく人がお好きで、人からエネルギーをもらって元気になっていた。その力を返すように、また誰かを励ましていた」と振り返る。東日本大震災の当日、会議で偶然居合わせ、帰宅できずにいた人たちを、自宅に連れ帰って泊め、周囲を驚かせたことも。
 そうした言動と情熱の裏には、おおらかな牧師だった父の影響と幼少期の環境があった。若い信徒など人の出入りが多い家庭で、6人きょうだいの次男として「芋を洗うように」育ったという。
 延命措置を望まず自宅療養していた6月、取材に「人間には一つのゴールがある。それまで向上できる」と、最期まで前を向いていた。人を励まし、励まされながら走った105年だった。(共同通信記者 野沢昭夫)

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