盛岡市街、北上川に架かる夕顔瀬橋。
夕顔瀬橋には他の橋にはない、訳もなくしんみりしてしまう思いがあるなあ。
最後の一年間は毎日渡った橋ですから。(そうしないと卒業できなかったからね)
橋の左岸は当時と同じ場所ですが、右岸側は架け替えに伴い下流に移動しています。
当時と変わらない馴染みのある左岸側の風景の先に母校があります。
勉学意欲が皆無だったボクが「母校」と口にすることに今でも気恥ずかしさがありますが。
歩いてみたくなるような風情を感じる川沿いの小道・・・この先は西下台あたりかなあ。
通ったことのない道です。今でこそ盛岡に来るたび街のあちこちに興味を覚えますが。
当時のボクの旅心は盛岡の外、岩手の外を浮遊し、身近な街には興味がなかったんですね。
当時、橋の袂のこの一画は立ち寄りたくないと思うほど薄暗い感じがしたんだけど。
橋の架け替えに伴い、環境整備されたのかなあ・・・、この機会に階段を下りてみよう。
ここに暮らした70年代前期の北上川は、松尾鉱山からの廃水で汚染されていたんだ。
赤くただれた流れは清流とは程遠く、北上川夜曲の印象を抱くボクにはショックだったね。
今、右岸側に整備された広い緑地には、楽しそうに遊ぶ幼稚園児たちの姿があります。
駅前のビル群の景観と清流を取り戻した北上川の姿に50年の時の流れを見ちゃうよなあ。
ボク等の練習グランドだったこの場所は、当時、大学構内に隣接する県陸上競技場でした。
フィールドの半分をラグビー部、残り半分をサッカー部とハンドボール部が使っていたね。
正面スタンド始め外構は撤去されていますが、この景色は当時のままだ・・・、懐かしい。
農業土木学科(今は改編された)のあった農学部の学舎にも、恐る恐る?立ち寄った。
当時の先生方は退官されているので、びくつく必要はないんだけど、これが劣等生の性。
あれ? ボク等が出入りしていた通用口が開いたまんまだ・・・入ってみようかな?
建物の外観はお化粧直ししているけど、この景色は笑ってしまうほど当時のままだ。
中に入るのはいつ以来? 卒業以来かなあ、ドキドキするよ。
四年生の時に所属していた土質工学系の講座「農地造成」は二階だったね。
思いの外、そこには何の感情も湧かない無機質な空間が細長く延びているだけだった。
そんなもんだよ、そんなもん・・・、情けないほどのここでのボクの四年間なんてさ。
今、ボクはイケないことをしてるんだろうなあ、でも好奇心には勝てないしね。
通用口の真っ前にある一等水準点「盛岡ベンチマーク=M.B.M」
盛岡を離れんとする48年前のボクへ・・・・・
今、しっかり、キミをバック・サイトしているところだぜ。