仙岩峠を下りて、盛岡に向かっています。
「盛岡へ行った時でいいから。」と、奥サンに頼まれたお使いがある。
奥サン、ムスコ、ムスメ、それぞれのお好みで所望する「白沢せんべい」を調達。
色々、趣向を凝らしたせんべいもあるけど、ボクは頑固に、「ゴマ」一筋。
そして、盛岡に来れば、確かめておきたいこと。
高松の池から小路に入る。
燃料屋さんの奥のアパートには、コーヒー好きのプロップのシュンロウさん。
そのアパートは、今も、当時の雰囲気を残しながら、そこにある。
暗い街灯の下、足を引きずりながら帰った「高松マンション」。
当時、何の木だったろうか、道の中ほどに、樹齢を重ねた大きな木があった。
大家さんちが見える。
去年の二月、ヤスと来た時の工事は、クボ高の駐車場整備だったんだね。
大家さんちの前は、そうっと、静かに通ったっけ。
小路に面した部屋で、孫むすめさんが、一所懸命、受験勉強してたから。
一瞬、時間が止まった・・。
駐車場の舗装が、そこだけ、新しい。
ここが、あった場所。
なくなっちゃった。
消えてしまって、改めて、存在の深さを知る。買い取るわけにもいかなかったしなあ。
テラさんが腕を振るった三人分、いや、シュンロウさんと四人分の夕食。
日曜の早朝、セイザブロウさんの部屋から大音量で響く「われら青春!♪♪」。
繕ってもらいたくて、大家さんのおばさんにわざと見えるように干した、破れた練習着。
みんな、消えていく。
帰りの路は、西和賀町経由の最短コース。
雫石町から山伏トンネルを抜けると西和賀町。
もう午後4時を過ぎて、山峡を走る道は日が陰り、風も強く、寒い!!
昼飯を後回しにしていたのは、およね食堂の蕎麦を食べたかったから。
予定より一時間ほど遅れたけど、中でおばさん二人が談笑している。
閉まっていなかったので、ホッとした。
入ってみたら、おばさん二人が困ったような顔をしてボクを見ている・・。
二人はお客さんじゃなかった。暖簾を下した後、奥サンと従業員がお茶していたところ。
悟ったボクに、「新そばだから食べていって。」 西和賀はあったかいです。細井先輩!
冷え切った身体をここの湯で癒したかったけど、随分な人だかり。
地元の人たちが入る時間だ。ボクも帰りの時間が気になってきた・・、諦めよう。
あとで気づいた。人だかりは、高校生の子供を駅に迎えに来た親御さんたちだ。
暗い夜道を寒さに耐え、ただ、黙々と走ってきた。
雄勝のインターを下り、コンビニで一休み。ここから、あと二時間とかからない。
普段、コンビニを利用しないので、コーヒーの注文の仕方がわからない。
若い娘さんに助けてもらい、小さなコーナーでコーヒーを口にした。
冷えた身体が、ほんの少しだけれど、温まってきた。
物静かだった、ヨシカワのおじさん。
いつも着物姿で、品があって、優しかった、ヨシカワのおばさん。
「高松マンション」もなくなって、あと、盛岡に何が残っているんだろ。
「出来る範囲でやるラグビー」の今の現役からは、「赤ベコ魂」も無くなってしまってる。
ボクのその後は、「マンション」から始まってるし、「マンション」は、ボクの原点。
しかし、5年間?ですかあ・・。羨ましいです。