てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

還暦祝い

2007-08-10 17:48:46 | ビジネスと社会
 今日は飲み会があった。小欄「2005/8/2 団塊世代の宿命」で書いたように、高校・大学と同じ学窓で学んだ仲間で組織している「東松会」の主催による、還暦を迎えた同期K内の還暦祝いである。

 会場は30数年来、「すし亀」と決まっている。大学の小亀先輩が卒業と同時に、奥さんと二人で切り盛りしているすし屋で、先輩の人柄と人脈をもとに客層は広くて厚い。
 先年、すし亀開店30周年祝賀パーティーをやり100名以上が集まった。発起人は同じく大学のT越先輩で、現在は岡山商科大学で教鞭を執り、地元ではマーケティング分野の第一人者。
 われらがいつも使う部屋には、小柴昌俊博士がノーベル賞を受賞される前年の、平成13年のご来店されており、その時の写真が額に入れて掲げられている。

 東松会はフルメンバーで約30人だが、概ね毎回20人前後は集まる。年齢差は上下10歳(64歳~53歳)の開きがある。飽きもせず長く続く秘訣は「会場が不変」、「日時が一定で年に2~3回まで」、「仕事を持ち込まない」の3点だろうか。しかも会場である「すし亀」のリーズナブルな値段が何より安心。部屋の冷蔵庫のビールは、いつも飲み放題。

 さて、前置きが長くなったが、今日の主役は先日還暦を迎えたK内である。一堂から赤いチャンチャンコならぬ、粋なゴルフシャツをプレゼントされ、参加者全員から祝辞や彼にまつわるエピソードが寄せられた。
 2月に脳に瘤が見つかり開頭手術を受け、死の渕からカムバックしたK内は感慨一入で、「親父が58歳で早死にしているので、その歳をクリアするのが目標だった。周りに支えられて今日を迎え、会社も無事勤め上げることができ感謝。健康の有難さを痛感している。」と謝辞があった。

 また、挨拶の最後には小生がかねてから提案しているように「(今年から団塊世代が続くので)今後は個人毎に還暦祝いをやるのではなく、年度毎に纏めてやろう。」と付け加え全員一致で了承された。そして、次回は来年の1月11日に、N須と小生の還暦祝いを兼ねて東松会を開催することを決め、その場で会場を押さえた。

 懇親会は延々4時間続いた。税理事務所に勤めるK谷に税務指導や合法的節税法を仰ぐ人、ガス会社の役員を務めるK内に都市ガス工事のアドバイスを求める人、「新聞購読は●陽、買い物は●満屋、テレビは●SK、銀行は岡山●●信金、教育現場のことなら……」と参加者一堂の声を代弁PRする人など、それぞれの職域ではエキスパート揃いで貴重な情報交換の場となった。
 各分野で活躍し功なり名を遂げた者もいれば、一線を退き悠々自適の年金生活に入った者もいる。世代を超え、何の気兼ねも遠慮も要らない、利害関係を抜きにした気のおけない連中との酒席は楽しい。

 3年前に還暦を迎えた大先輩が、「われらの後に続いて、誰欠けることなくいつまでもこの会を存続して行こう!」と中締めした。そして東松会の更なる発展を目指し、お互いの情報の交換と共有を狙いとして、ホームページかブログの立上げが提案され、そのお鉢が回ってきた。

 4時間を費やしても話は尽きず、会場を移して2次会となった。最後に1曲づつマイクが回ってきた。小生、今日は勿論「時代おくれ」。これには大先輩をして「新バージョンじゃな!」と言わしめた。例の十八番3曲の番外編であることを見透かされていた。
 そんなこんなで今回も、帰還は午前様となった。


プレゼントを披露するK内

O先輩による乾杯のご発声

50歳代から上になった面々

50歳代から上になった面々

小柴博士夫妻の来店を伝える写真
コメント (10)
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