菩提寺の脇田山安養寺にて施餓鬼会があり、寺総代の一員として参拝した。
お寺への車中で、総代会長から貴重なお話が聞けた。町内の葬式用具は3つの講で共有しており、その一つに「出棺を告げる鉦(直径約18cm)」がある。3人の寺総代が順番に保管しているのだが、これが1823年(文政6年)9月に作製されたものだそうだ。
遡ること184年、勝海舟が誕生した年である。鉦の裏には江戸時代中期を代表する鋳物師西村和泉守作と彫られている。「開運!なんでも鑑定団」の幻の逸品によると、「和泉守が手掛けたものの中には、文化財に指定されているものもあり、名品として有名」だとか。本物なら大したものだ。
それはさておき、これまで何人を見送って来たのだろうか? 昨今は葬祭場で告別式をやることが多くなり、この鉦の出番もあまりない。
安養寺は正式には、脇田山安養寺常行院といい、聖観音を本尊とする天台宗の由緒ある寺である。
境内には本堂に向かって右手前に、「大悲観音」と彫られた自然石の碑が立っているが、この土台の固め石として使用されている8個の石は、近くの賞田廃寺の礎石を移して、旧本堂に使用したものではないかと言われている。
高島小学校の校門の横にも、賞田廃寺礎石が一つある。
総代メンバーの一人から漏れ聞くところによると、岡山市教育委員会では賞田廃寺を史跡公園として整備するために、安養寺と高島小学校に残る礎石を集めようとしているらしい。小学校にあるものは教育委員会内部のことだから如何様に処置しようと勝手であるが、お寺のものとなれば話は別だ。総代会にも相談があって然るべきと思う。教育委員会にはそれほどの権限があるのか?
今日の施餓鬼会に参加してこそ入手できたホットなニュースだ。暑いからといってクーラーの下ばかりに居たのでは、こんな話にも出くわさない。時空を超越した二つの話題だった。

直径約18cmの鉦 西村和泉守作と彫られている

「大悲観音」と彫られた自然石の碑

土台の固め石として使用されている礎石
お寺への車中で、総代会長から貴重なお話が聞けた。町内の葬式用具は3つの講で共有しており、その一つに「出棺を告げる鉦(直径約18cm)」がある。3人の寺総代が順番に保管しているのだが、これが1823年(文政6年)9月に作製されたものだそうだ。
遡ること184年、勝海舟が誕生した年である。鉦の裏には江戸時代中期を代表する鋳物師西村和泉守作と彫られている。「開運!なんでも鑑定団」の幻の逸品によると、「和泉守が手掛けたものの中には、文化財に指定されているものもあり、名品として有名」だとか。本物なら大したものだ。
それはさておき、これまで何人を見送って来たのだろうか? 昨今は葬祭場で告別式をやることが多くなり、この鉦の出番もあまりない。
安養寺は正式には、脇田山安養寺常行院といい、聖観音を本尊とする天台宗の由緒ある寺である。
境内には本堂に向かって右手前に、「大悲観音」と彫られた自然石の碑が立っているが、この土台の固め石として使用されている8個の石は、近くの賞田廃寺の礎石を移して、旧本堂に使用したものではないかと言われている。
高島小学校の校門の横にも、賞田廃寺礎石が一つある。
総代メンバーの一人から漏れ聞くところによると、岡山市教育委員会では賞田廃寺を史跡公園として整備するために、安養寺と高島小学校に残る礎石を集めようとしているらしい。小学校にあるものは教育委員会内部のことだから如何様に処置しようと勝手であるが、お寺のものとなれば話は別だ。総代会にも相談があって然るべきと思う。教育委員会にはそれほどの権限があるのか?
今日の施餓鬼会に参加してこそ入手できたホットなニュースだ。暑いからといってクーラーの下ばかりに居たのでは、こんな話にも出くわさない。時空を超越した二つの話題だった。


直径約18cmの鉦 西村和泉守作と彫られている

「大悲観音」と彫られた自然石の碑

土台の固め石として使用されている礎石