山陽新聞へ連載となった「栄光 還暦 それから…」の第3回目(最終回)です。いよいよ“エース平松”の登壇です。
彼は先の同窓会には欠席でしたが、「現役を引退して23年目。相変わらず解説をしています。4月初めから腰痛で今現在続いています」と直筆のメッセージが届きました。
その彼が新聞記事の中で語っている、『プロで活躍しなかったら、あの優勝はラッキーだったと思われてしまう』の一言が印象的です。
プロ入り後間もなく、アマチュアとの差を痛感していたころ、一歳上の西鉄のエース、池永正明さんからの『優勝投手はやっぱり駄目だ、と言われないよう二人で頑張ろう』という言葉を発奮材料に努力を重ねたそうです。あの優勝に恥じないように、というのが人生でも基盤になっているといいます。
戦後の甲子園優勝投手で、プロで200勝以上挙げ、名球会に入ったのは平松しかいません。そんな平松と学び舎を同じうしたことを誇りに思います。
2007年(平成19年)8月17日付山陽新聞より
彼は先の同窓会には欠席でしたが、「現役を引退して23年目。相変わらず解説をしています。4月初めから腰痛で今現在続いています」と直筆のメッセージが届きました。
その彼が新聞記事の中で語っている、『プロで活躍しなかったら、あの優勝はラッキーだったと思われてしまう』の一言が印象的です。
プロ入り後間もなく、アマチュアとの差を痛感していたころ、一歳上の西鉄のエース、池永正明さんからの『優勝投手はやっぱり駄目だ、と言われないよう二人で頑張ろう』という言葉を発奮材料に努力を重ねたそうです。あの優勝に恥じないように、というのが人生でも基盤になっているといいます。
戦後の甲子園優勝投手で、プロで200勝以上挙げ、名球会に入ったのは平松しかいません。そんな平松と学び舎を同じうしたことを誇りに思います。
2007年(平成19年)8月17日付山陽新聞より