今年は還暦がらみの行事や同窓会(同期会)がやたらと多い。一昨日の東松会に続いて、今日は高校の還暦同窓会があり約100名が相集う。代表幹事は中島賢一である。
中島と言えば、小欄「2006/8/21 私の甲子園」 でふれたように、1965年(昭和40年)春の第37回全国高校野球選手権大会で、わが母校が岡山県勢で唯一優勝旗を手にした時のナインの一人で、優勝を決定づけたヒーローである。
今回の同窓会のタイミングを計るように、山陽新聞で「栄光 還暦 それから…」と題して連載が始まった。活躍したナインが団塊世代で、主力だった3年生が今年、還暦を迎えている。その栄光の後を訪ねる企画だ。
連載1回目(10日付)は、その時の“ヒーロー中島”である。決勝の市和歌山商戦、1対1の延長13回裏1死2塁。3番中島は2回戦に続くサヨナラ安打を放ち、優勝を決めた。
連載2回目(12日付)は、“主砲和田”である。4番、1塁手の和田は当時5試合で19打数5安打、(点にはつながらなかったが)決勝で3塁打を打った。
併せて、10日付山陽新聞読者のページの「集い」には、岡山東商高OBで元阪神タイガースの八木裕さんを囲んでの懇親会の様子が写真付きで掲載になった。当の八木裕さんを差し置いて、写真の中心には車椅子の中島が収まっていた。あたかも「中島特集」の日であった。
掲載になった記事はすべてラミネートにした。「素晴らしい思い出をありがとう」のメッセージを添えて、中島と和田に届けようと思う。

007年(平成19年)8月10日付山陽新聞より

007年(平成19年)8月10日付山陽新聞より

2007年(平成19年)8月12日付山陽新聞より
中島と言えば、小欄「2006/8/21 私の甲子園」 でふれたように、1965年(昭和40年)春の第37回全国高校野球選手権大会で、わが母校が岡山県勢で唯一優勝旗を手にした時のナインの一人で、優勝を決定づけたヒーローである。
今回の同窓会のタイミングを計るように、山陽新聞で「栄光 還暦 それから…」と題して連載が始まった。活躍したナインが団塊世代で、主力だった3年生が今年、還暦を迎えている。その栄光の後を訪ねる企画だ。
連載1回目(10日付)は、その時の“ヒーロー中島”である。決勝の市和歌山商戦、1対1の延長13回裏1死2塁。3番中島は2回戦に続くサヨナラ安打を放ち、優勝を決めた。
連載2回目(12日付)は、“主砲和田”である。4番、1塁手の和田は当時5試合で19打数5安打、(点にはつながらなかったが)決勝で3塁打を打った。
併せて、10日付山陽新聞読者のページの「集い」には、岡山東商高OBで元阪神タイガースの八木裕さんを囲んでの懇親会の様子が写真付きで掲載になった。当の八木裕さんを差し置いて、写真の中心には車椅子の中島が収まっていた。あたかも「中島特集」の日であった。
掲載になった記事はすべてラミネートにした。「素晴らしい思い出をありがとう」のメッセージを添えて、中島と和田に届けようと思う。

007年(平成19年)8月10日付山陽新聞より

007年(平成19年)8月10日付山陽新聞より

2007年(平成19年)8月12日付山陽新聞より