てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

夏山は呼んでいた

2007-09-04 15:40:00 | ホビー

常念岳(2,857m)

 1976年(昭和51年)夏、山の魅力にとりつかれた職場の面々8名は、台風9号の進路を気にしつつ信州へ向っていた。いつもなら素人ばかりのパーティーなのだが、この年は学生時代ワンゲル部のベテランI井(故人)が加わりリーダーを務める。

 目指すルートは、北アルプスの常念岳(2,857m)の山小屋に一泊し、翌日は蝶ケ岳、長塀山へと縦走して、上高地の徳沢へ下山の予定である。

 国鉄大糸線の豊科駅に着いたのは早朝4時過ぎ。須砂渡を経て一の沢小屋から河原や原生林の沢沿いにさか登ること4時間。最後の水場から道標を確かめつつ、胸突き八丁の急斜面を大汗をかきながら登り切る。
 高山蝶の舞う草原の陽だまりで昼食後、しばし微睡んでいるところへ、ラジオが台風9号の影響で天候異変を伝える。急いで岩山を縫って常念ピークをアタック。槍ケ岳や奥穂高連峰の大展望の絶景は山岳パノラマの極地であるが、いずれも尖塔はガスで神秘に装っていた。

 はたせるかな夜半には、激しい風雨を伴い稲妻が走り、雷鳴が轟く。空が白みかけても天候回復の兆しは一向にない。せっかくだからと強行突破を主張するB場先輩の意見を押し切り、縦走は断念して雨に打たれながら、道が川になっているほどの登山路を引き返し、無事下山した。
 一同冷え切った身体を松本・浅間温泉で暖めて人心地ついた。I井リーダーのもと、チームワークの良さで山の鉄則を守った正解を祝し、来年の北アルプスとの再会を祈って祝杯を上げた。

 この時の常念岳登山の様子は、メンバーの一人T山先輩が社内報(昭和51年7月30日号)に<雨にたたられ縦走を断念 北アルプスで販売の8人>と題して寄稿した。文中のメンバー紹介では、小生のことを「多彩な趣味をもつ、カシ棒男」とある。31年の時を経て、往年のカシ棒男は、ただの「でくのぼう」に成り下がった。

 年に一度のぶっつけ本番だからしんどかったが、頂上を極めた壮快感と見事なお花畑が忘れられず毎年楽しみにしていた。今でも時折、山毎に整理したアルバムを広げ、笠ケ岳登山の八ミリフィルムを回して余韻に浸ることがある。
 ずっと続けたかったが、山の上でのたわいない話が下界の上司へ筒抜けたことで興ざめし、以後同パーティーの顔ぶれに問題があると判断したのと、念願の槍ケ岳を制覇したことで最後となってしまったのは誠に残念だ。
 
【これまでの登山歴】
1973年(昭和48年)独立峰御岳山(3,063m)
1975年(昭和50年)北アルプス笠ケ岳(2,898m)
1976年(昭和51年)北アルプス常念岳(2,857m)
1977年(昭和52年)北アルプス白馬岳(2,933m)
1978年(昭和53年)北アルプス鹿島槍(2,890m)・爺ケ岳(2669m)
1979年(昭和54年)大山(5合目)
1980年(昭和55年)北アルプス槍ケ岳(3,179.5m)・燕岳(2762.8m)
1984年(昭和59年)大山(1,713m)


常念小屋にて

常念ピークを目前にして
コメント (4)
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